matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
昭和43(1968)年6月30日 高崎第一機関区
スキャンミスです。自動で読み取りさせた時に起こります。細身な画像ですが、黒味を切り抜くとこんなんなりました。
ネット上に画像が上がっていないかなとググってみましたが、廃車が1969年と比較的早期だったこともあり撮影した人はあまりいないようです。そんな中、面白い画像がありました。353号機が客車(オハユニ71)と80系電車を牽引している列車です。吾妻線がまだ長野原線として長野原駅(現 長野原草津口駅)まで(貨物は太子(おおし)まで:昭和46(1971)年廃止)だった非電化時代の頃ですが、ここに昭和35(1960)年、観光客向けの準急「草津」が誕生します。上野~長野原間での運転ですが、運用に就いたのは80系電車でした。気動車で運転するには準備ができていない(車輛不足と運転士の育成が間に合わない)というのが主な理由ですが、そこで非電化の長野原線内ではC11またはC58で牽引していたのです。翌36(1961)年には準急「草津」は準急「くさつ」に改称され、同時に東京発の準急「草津いでゆ」(上りは上野まで)が誕生。この2本の電車が昭和37(1962)年まで蒸機に牽引され長野原線内を走っていました。なお、80系電車の連結器は密着自連であり、蒸機の自動連結器とは連結ができません。そのため、電源車であるオハユニ71の連結器を片側だけ密着自連に交換し、控え車として蒸機と80系電車の間に組み込んだ次第です。蒸機ではないにしろ、機関車が電車を牽引する列車は九州地区でも見られましたね。181系電車とか485系電車とか。
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