matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年3月19日 浜川崎機関区
串刺し煙突以外はほぼ標準化改装がなされており、煙室戸の十字ハンドルが表情を引き締めています。先輪がディスクタイプなら、動輪もC58のボックスに変えたならば、どんな姿になったでしょう。案外似合っていたかも・・・。浜川崎区にはC11とC12が配置され、C12は南武線、C11は鶴見線での運用の他、国鉄線に接続する専用線での入換にもあたっていました。ほぼ電化済の国鉄線に対して専用線には非電化のものがあったため、蒸機が使用されていた次第です(DLは普及途上にありました)。旧型国電に混じって蒸機牽引貨物列車が走る姿は、想像しただけでワクワクしてしまいます。浜川崎駅はご存じのように鶴見線と南武線が合流する工場地帯のど真ん中にあり、付近一帯は線路も道路も複雑に入り組んでいるため、地方からの者にとっては迷い込んでしまったなら一生出られないような不安な気持ちにさせられます。画像から5か月後、浜川崎区から蒸機は姿を消してしまいます。