matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
昭和43(1968)年6月4日 宇和島機関区
四国は他の地区に先駆けて無煙化を達成したため、蒸機の写真記録は少なめです。またその輸送需要から在籍した形式は8620、C11、C12、C58といった全国どこでも見られるありふれた中・小型機だけだったので、瀬戸内海を挟んで山陽本線を疾駆していた大型蒸機や地方私鉄の古典機に比べると、ファンを魅了するポイントは低かったとも言えるでしょう。四国の車輛が注目を浴びるのは無煙化後のDLやDC、また古びた私鉄電車と云えるでしょう。除煙板を後付けした175、199号機のようなはっきりした外観の違いが分かるものは別として、C12は外観上の違いに乏しいのが特徴なので、乏しい知識の私ではなかなか記事にするのが難しく、頭を悩ませてしまいます。82号機は、小松島機関区時代には徳島線で貨物を、宇和島区時代には宇和島線で客貨を牽引した他、予讃線の一部区間で補機の運用にあたり大いに気を吐いていたようですが、最後の住処となった木曽福島区では入換専用機となり、穏やかな余生を送ったような気がします。
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