ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

修学旅行 京都

以前(2016/07/11)、高校時代の修学旅行の時に撮影した写真をご紹介させていただきましたが、カラーの写真を若干追加させていただきます。何しろ、フィルムが疵だらけ、ゴミだらけでレタッチが大変、あまり枚数をアップできません。

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青森駅 昭和49(1974)年11月21日

札幌から函館までは80系の特急(列車名は忘れました)、函館から青森は青函連絡船(船名は記憶なし)、そして青森から上野までは寝台特急ゆうづる」でしたが、写真のどちらに乗ったのかさえもさっぱり覚えておりません。初めてのブルートレインに乗車し、級友たちとワイワイ騒ぐばかりで、本来の鉄ちゃんとしての理性をすっかり喪失していたようです。若気の至りで赤面の至れり尽くせりです。

翌朝、上野で国電に乗り換え(京浜東北線だったか山手線だったか・・・)東京へ、東京から新幹線で京都へ向かいました。

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場所不明 東海道新幹線の車窓より 昭和49(1974)年11月22日

速いぞ速いぞ!などと喜ぶよりも、耳ツンが頻発して不快な気分に苛まれる始末。後年、就職してから乗車した時には耳ツンは全く気にならなかったので、国鉄技術陣の対策は凄いぞなどと感服する次第。
この日は奈良で観光して京都に宿泊。宿は祇園の近くだったような気がします。先生からは舞妓さんに会いにいってはダメという禁止令が発令されておりました。
11月ともなると、京都はとても寒うございました。夜間の外出なんてとてもとても。

翌日も奈良同様に団体で京都市内を見学です。まあ、どこで何を見たかなんてもう覚えちゃいませんて。バスでの移動なので鉄やる暇もなく、当然、鉄道写真もありません。はい、次。

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京都市電乗車 昭和49(1974)年11月24日

さて、4日目は自由行動の日です。何人かのグループで、町の中をふらふらしました。市電にはどの路線をどう乗ったのか、なんてさっぱり覚えていません。訪れたお寺の写真を見ても、今となっては何も思い出せません。せいぜい、タカノ君がヨシモトさんのことが好きと、ちゃかしたくらいなものです。

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町の中を徘徊しながら撮影したのでしょう、女性のファッションもバスのスタイルも当時の雰囲気を醸し出してるような気がします。

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帷子ノ辻駅京福電鉄

「かたびらのつじ」って、全然読めない。これに乗車して嵐山とかに行ったのでしょうか。ポールの集電装置を見て、少し感動です。流石京都!

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梅小路蒸気機関車館

私の意見を無理くり通して、皆で梅小路へ。鉄は私一人でしたが、他の生徒諸君もまんざらでもなさそうでした。いい時間潰しになったのでは。
雑誌の写真でしか見たことのないC53やC51に会えてちょっぴり感動。

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その日の夕食は、京都駅の中のレストランで。昼食はどこかの観光地でえらい待たされて高いメニューをいただきましたが、夕食も高校生にはいささか高価な食事となりました。

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京都駅 EF58 2 昭和49(1974)年11月25日

いよいよ帰る日です。でも、この写真をどういう状況で撮影したのか、全く覚えておりません。後ろにはマヤ34が連結されています。

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荷物車と湖西線113系電車

新幹線に乗車するまで結構時間があったのでしょうか。
この京都駅跨線橋からの風景も、今はとうに過去のものでしょうね。

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153系の新快速なんてのも撮影しています。72系の旧型国電との対比が面白かったのでしょうか。ありきたりの旧型国電も、北海道では見られない車両でしたしね。

来た時とは逆方向に、新幹線で東京へ、東京から国電で上野へ、そして上野からは583系電車に乗車しました。多分「ゆうづる」だったと思います。してその先は、んんん~どうにも思い出せませんね。