ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

高校生になって最初の苗穂

この年の4月、めでたく高校生になり、新たな生活が始まりました。勉強、難しい!
けれど、趣味の方は相変わらずです。

ということで、気持ちも新たに苗穂機関区を訪れるのですが、いつもの状況は一変し撮影許可が下りません。ついに苗穂もダメになったか。
すでに小樽築港機関区が、車両部品の盗難事件のため鉄道ファンの立ち入りを禁止したので、苗穂もそれに続いたものと思われます。職員の方は「構内は危険なので」と説明していましたが、今更のような理由です。かといって駄々をこねて「撮影させてヨォ~」とすねるのも高校生らしくないので、ここは素直に引き下がり帰ることにしました。

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とはいえ、帰り道に機関庫の中が見えてしまったからにはもう自制が利きません。庫の外からだし、とばかりにさっと1枚だけ撮ってしまいました。だって、初めて見るナンバーだったし。

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機関車が並んでいるのに指を食わえて遠目に見るだけというのは何ともやるせないものです。炭水車に落書きしてあってもいいから、接近して撮りたかった~!因みにこの日、転車台の留置線には苗穂工場製のD51 237がおったので、尚更残念でなりませんでした。

そんな気持ちを引きずったまま、このまま帰るのも面白くないので、工場の方に行ってみることにしました。

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いつもの駅西側の跨線橋です。C58は動きそうにありません。DD13も入換作業をお休み中。貨車が一杯でんな。
この7年後にSONYのメタルデンスケTC-D5Mを購入し、この場所で入換の様子を録音しました。すると、作業員が事故で亡くなるという場面に遭遇してしまいました。その様子は全然わかりませんでしたが、スピーカーから何やらけたたましく叫ぶ声が流れていたので尋常ではないことだけは分かりました。翌朝の新聞を読んで、その時の事故を知った次第です。その時の録音テープ、まだあるでえ。

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工場構内も、機関区の方からの煙で霞んでいます。ホンマ公害やね。
解体待ちの蒸機を見てみると、そ
のテンダーには「D61 5」とペンキで書かれているではないですか。足回りをよ~く見てみると確かに2軸の従台車がらしきものが。ぶるぶると撮影したい気持ちが沸き起こってきました。

ということで、6月25日の記事に続くわけです。

昭和48(1973)年4月29日