ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

またまた植苗で

3月初めに中学時代の友人と一緒に登別へ行き、その数日後には標茶へ遠征し、その10日後には再び植苗へ行ってきました。2月の時と違って雪もだいぶ解けており、穏やかな撮影を満喫しました。

イメージ 1
札幌駅
この年7月から運転される、北海道初の電車特急用の485系電車が札幌駅構内に暫く留置されておりました。食堂車もグリーン車もない、モノクラス6連というみみっちい特急列車の誕生です。ヘッドマークの「回送」は「さちかぜ」が表示された時もあったそうな。結局は「いしかり」に落ち着くんですけど。

イメージ 2
「からまつ」を陸橋の上から眺めます。北口から駅に入れば近いものを、「からまつ」を撮影したくて少々遠回りして南口から入ります。2月にはまだ暗くて撮影はできませんでした。

イメージ 3
遠浅←沼ノ端
いつもの踏切です。残雪はありますが、そこはかとなく春っぽい雰囲気です。

イメージ 4
沼ノ端→遠浅
遠くには千歳線をゆく「北斗」の姿が見えます。

イメージ 5
沼ノ端←遠浅 DD51 641
DD51でも何でも撮りますよ。恒例の意味なく縦写しですが。

イメージ 6
写真だけ見ると、どっちへ走っているのか分かりません。仕方ないのでメモを見ます。沼ノ端←遠浅 でした。この時代の室蘭~岩見沢間は、気動車列車の方が希少でした。釣りをしているオジサンがいて、この辺りは以前は沼だったと教えてくれました。湿地だからさもありなん。平成の今は、樹木が成長し、見通しがすっかり悪くなっています。

イメージ 7
沼ノ端-遠浅 なんか土管だとか色々転がっています。こんな空き地、どこにでもありましたな。藤子不二雄の漫画にもよく出てきたし。
複線で列車本数が多めなので、列車のすれ違いは頻繁にあります。でも、なかなかそれをモノにすることは叶いません。あ、電柱が。あ、煙が。

イメージ 8
沼ノ端←遠浅 DD51 1048
今から免疫を作っておかなくちゃ、みたいな感覚で撮影していたのかもしれません。ヤケになってはいないと思います。

イメージ 9
沼ノ端←遠浅 DD51 647
何本かは客車列車にもDD51が充当されておりました。これは226列車。現在なら、この列車で十分大騒ぎになるでしょうね。

イメージ 12
沼ノ端→遠浅
結構、きわどい位置でカメラを構えています。後方確認はちゃんとしている積り。

イメージ 10
沼ノ端←遠浅
踏切に戻ってきました。

イメージ 11
遠浅←沼ノ端
2月の時と比べるとすっかり雪が少なくなりました。線路の向こうには国道234号線が見えますが、車の姿はありません。右に曲がる方が植苗駅へ続く道です。平成の今はありませんけど。

イメージ 13
遠浅→沼ノ端 DD51 646
運炭列車です。運炭輸送は蒸機に任せておけばいいのに。
少し先に、ファンの姿が見えます。あんな場所に立っていても、当時はど~ってことありませんでした。列車の速度が遅かったですから。そういえば、銭函の海水浴場なんて、駅からず~っと線路際を歩いて行ってたし。列車に轢かれる危険よりも、便所からの落下物の方が怖かったし。拡散波動砲なみにね。

イメージ 14
沼ノ端→遠浅
だいぶ陽が傾いてきました。無謀にも逆光100%です。絵としては、煙があっただけ救われましたかね。

イメージ 15
遠浅←沼ノ端 DD51 107●+DD16 44(回送か輸送)
今見ると、手宮線の貨物列車にも見えます。DD51のナンバーの最後の数字が判別できません。発煙筒のぼっこ、消したいな。

イメージ 16
植苗駅通過→沼ノ端
植苗駅南側の踏切です。駅のホームが見えますが、跨線橋はありません。この当時は構内踏切を横断してホームに出ていました。駅員はもちろんおりました。

イメージ 17
美々→植苗駅通過
急行「ちとせ」でしょう。「ちとせ」は「いぶり」や「えりも」そして「すずらん」とも併結運転をしておりましたな。キハ56系の天下だった時代でした。

再び雪が積もる頃、果たして蒸機はまだ走っているでしょうか。そんな不安を抱えながら帰途に就いたのでありました。

昭和50(1975)年3月16日