ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

上野幌へ その1

1年間の受験勉強と鉄ちゃん活動の成果が実を結び、無事に受験合格を果たし、胸を撫でおろす間もなく、すでに現役合格済の大学生であるY君、K君らと上野幌へ繰り出しました。

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135列車 ED76 513
札幌止まりの倶知安からの135列車が到着し、牽引機は解放され、機回しを行います。

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829列車 DD51 1078
135列車の10分後には小樽からの829列車が到着します。これも札幌止まり。

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826列車 ED76 504
滝川からの札幌止まりの列車です。この時間帯は、客車列車のゴールデンタイムでしょうか。この後は、いずれも回送列車として札幌運転区へ引き上げます。

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DD51 600 苗穂機関区
乗車している726D(苫小牧行き)の車窓から。

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781列車 DD51 614
上野幌駅に到着するとすぐに貨物列車が到着しました。

それから北広島側へホームから降りて、切り通しまで線路際を行進します。今でこそそんな行為はご法度ですが、当時は特急列車でさえMAX95km/hの時代。余程線路に接近しない限りは大目に見てもらえました。線路際を歩く際に怖かったのは、列車そのものよりも、むしろ列車から放出される汚物の方でした。固形物や準固形物の洗礼を受けたことは幸いにもありませんが、霧状のものに包まれたことは数知れず。特急の80系気動車だからといって安心はできませんでした。

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上野幌←北広島 729D キハ21 42ほか
電化される前は、こんなにスッキリしていたんです。

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上野幌←北広島 203D 急行「ちとせ3号」 キハ56 23ほか

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上野幌→北広島 18D 特急「北斗2号」
なんか、頭しか撮ってません。編成がさっぱり分からないじゃありませんか。

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上野幌→北広島 5764列車 DD51 1147
向かって左側の手摺にはSG用のホースが掛けられています。

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上野幌←北広島 4085列車 DD51 1054
コキフが懐かしいですけど、ほぼ空コンではありませんか。

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上野幌→北広島 728D キハ21 42ほか
729Dの編成がそのまま戻ってきました。

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208D 急行「いぶり・ちとせ4号」
先頭のキハ22 73は、胆振線を通って札幌へ戻る循環急行「いぶり」です。
この「いぶり」は伊達紋別で「ちとせ4号」と別れた後、胆振線内は単独で運転され、倶知安から今度は905D 急行「らいでん3号」に併結して札幌へ向かう、何とも気が多いというか浮気性というか自由気ままというか、ちょい悪男の見本みたいな列車でした。

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上野幌→北広島 3066列車 DD51 723
機関車にしか興味がないようです。

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上野幌←北広島 23D 特急「北斗1号」
だから編成が・・・。

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上野幌←北広島 単1763列車 DD51 790

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上野幌→北広島 5960列車 DD51 787

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上野幌~北広島 5960列車 DD51 787、5765列車 DD51 676

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上野幌←北広島 5765列車 DD51 676
この頃はまだ車扱い貨物が数多く走っていました。

この後、駅に戻ってホームで撮影を続けます。

昭和52(1977)年3月22日