ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

本州へ行こう

夏休みを利用して、本州への撮影旅行を計画しました。その旅費を工面するのに、大通公園のビアガーデンでアルバイトをしたものの、8月7日に有珠山が噴火した影響でビアガーデンは商売にならず、早々に営業を終了してしまいました。何しろ札幌にまで灰が降ってきて、車に積もった火山灰がこびりついて大騒ぎになるほどでした。結局、バイト代は予定を大幅に下回り、貧乏旅行が決定的となった次第でございます。交通費をケチって、毎日往復3時間かけて徒歩で通っていたのになあ。

それでは6万円足らずの所持金に命運をかけて出発です。

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札幌駅 8210列車 急行「すずらん51号」 DD51 1154

旅費を節約するため周遊券を使います。なので特急列車には乗りません。旅館にも泊まりません。夜は駅寝か夜行列車です。寝袋持参なので荷物は嵩んでしまいました。
この旅行の目的は東北、関東、中部の中小の私鉄巡りです。北海道にはすでに専用線以外に私鉄と呼べる鉄道がほとんどなかったので、なんかちょっと憧れていたようです。臨時列車だから空いているだろうとふんでこの列車に乗車します。客車だし。
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鉄道地図は中部から関西、北陸方面のものが掲示してあります。本州の車ですね。番号が2000番代だし。

函館までの道中、写真は撮っていないけれども、車窓から見かけた車両の番号を控えていました。
D51 595(鷲)、DD51 651(鷲)、DD15 7(苫)、DD51 599(鷲)、DD13 89(苗)、DD13 90(鷲)、DD51 650(鷲)、DD51 596(鷲)、DD51 675(鷲)、キハ16 75(室)、DE10 1607(鷲)、DE10 1608(鷲)、DD16 28(鷲)、DD51 747(五)、DD51 847(厚)、DD51 1146(岩二)、DE10 1627(鷲)、DD51 501(釧)、DD51 1015(築)、DD51 788(鷲)、DD51 701(築)、DD51 504(五)、DD51 716(五)、DD51 1046(築)、DD51 559(長)、DD51 655(五)、DE10 502(五)、DE10 514(五)、DD13 515(函)、DD51 507(長)・・・配置区は昭和53年3月31日現在のものです。
DD51 847は東室蘭で目撃したことになっていますが、見間違いの可能性が大きいです。それにしても機関車が一杯!

函館到着です。
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入換用機関車DD13 214が出迎えてくれました。後ろには控え車が連結されています。函館ならではの光景でしょうか。

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17D 特急「北斗2号」と103列車 急行「ニセコ2号」が発車待ちです。「北斗2号」が5分早く発車しますが、札幌には1時間24分も早く到着します。つまり「ニセコ2号」ならば、安い料金で1時間20分も長~く乗っていられるっちゅうわけです。この日の「ニセコ2号」は三つ目のDD51 741が牽引します。この頃は三つ目だからといって騒ぐ人はいませんでした。函館のDD51はみんなちょっと特徴がありましたし。

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急行「すずらん2号」? DD51 1100
当時の時刻表が手元にないので確認できませんが、メモには「すずらん2号」となっています。気動車急行のはずなのですが、到着番線(2番)と時刻(14時10分ころ)から考えると「すずらん2号」のようにも思えます。

なにはともあれ、この後、8便の松前丸に乗船して青森を目指します。
連絡船の中ではそれなりに思うところや感じるところはあったようですが、覚えていないので書きようがありません。

ほんで夕刻、青森駅に到着。ホームに降りると、ブルートレインが何本も発車待ちをしていました。あまりの感激に、これが今なら泣き崩れてしまうかも。
機関車にヘッドマークはなく、テールサインは文字だけです。
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これも当時の時刻表がないでのどれがどれかは分かりませんが
18時47分発       8列車 特急「ゆうづる1号」
18時54分発 5008列車 特急「ゆうづる2号」
19時15分発   18列車 特急「ゆうづる3号」
のどれかになります。
おまけに少し時間を置けば、新たな列車が鎮座しています。
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6004列車 特急「日本海2号」と5018列車 特急「ゆうづる4号」

以上の5本の寝台特急の前には「日本海1号」「あけぼの2号」が発車しており、その後には「ゆうづる5号」「ゆうづる6号」「ゆうづる7号」「はくつる」が待ち受けています。他に夜行急行の「十和田1号」「十和田2号」「津軽1号」「津軽2号」「八甲田」などもあって、この頃の青森駅の夜行列車の賑わいぶりは今にして思えば想像を絶します。この40年後にブルートレインや夜行急行が絶滅するだなんて、誰が予想し得たでしょうか。まあ国鉄の分割民営化さえも未知な時代でしたし。

数々の寝台特急に興奮するも、私が乗車するのは急行「十和田2号」で、昔ながらのスハ43 2285に揺られてゆきます。スハ43、スハフ42、そしてその北海道版であるスハ45、スハフ44は、製造当初は急行形としてもてはやされましたが、12系や14系客車の誕生以降はとても見劣りがして、オハ60系とたいして変わらないじゃん、などと不遜なことを思ったりもしたものです。人に言わせると乗り心地が全然違うようです。道内の夜行急行もハザは全てスハ43系主体で組成されていました。

「十和田2号」はそれなりに混んではいましたが、自由席に無事着席できました。夜行列車の場合、着席できないとかなり辛いです、悲しいです。せっかく着席できたものの、興奮しているせいもあって、なかなか寝付けないまま闇の広がる車窓にぼんやりと眼を向けるばかりでした。列車は雨の影響で遅れているようでした。

昭和52(1977)年8月17日