ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

追分で

沼ノ端で蒸機時代の余韻に浸った後は、225列車に乗って追分に向かいました。

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225列車
旧客デッキのこの開放感、半端ね~。光漏れあり。

追分に到着するとホームから見えたのでしょうか、駅裏でこんなん撮りました。タンク車は無視して撮影していません。遺憾。
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衝突らしき事故で破損しています。どんな事故だったのか分かりません。
所属は札サウ。

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近くにはD51 241の記念碑が動輪と共に設置されております。あの火災事故を思い出し厳かな気分になります。

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ふと動輪の刻印を見てみると・・・D51 193ってか。

では、列車の撮影にまいりませう。

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追分→東追分 729D
夕張線の下り列車です。国道234号線が、まだ追分市街地を突っ切っていた頃です。跨線橋部分には撮影の邪魔になる柵はまだありません。

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東追分→追分 5780列車 DD51 1164
夕張線の象徴である運炭列車。

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東追分←追分 5785列車 DD51 519
セキ車の返空列車。

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追分→三川 単1297列車 DD51 1075

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追分←三川 2460列車? DD51 1139

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追分←三川 226列車 DD51
何だか後ろ姿を撮りたくなりました。

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東追分→追分 728D
電線はアレですが、背景の平凡な山並みがヤケに美しく見えます。なんでだろ。

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東追分←追分 5799列車 DD51 1065

この撮影では、蒸機を偲ぶ気持ちもあったはずなのに、当時のメモを見ると、撮影するうちに段々ウツな気分に陥ってしまい、撮影に来なきゃよかったと後悔しています。でも今は撮影しておいてよかったと思います。それよりも何よりも、二度と戻らない光景に胸が締め付けられるような郷愁感に囚われ、深い溜息をつくばかりです。

帰りは岩見沢経由です。227列車が岩見沢に到着すると、機関車が切り離されるシーンを撮ろうと、列車の先の方でカメラを構えます。
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見送りでしょうか。何だか切なくなってきました。

昭和53(1978)年1月7日