ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

気合いの中小屋へ

遠くから響いてきた汽笛で目が覚めました。札沼線の貨物列車を牽引するDD13のものです。衝動的に飛び起きて、新琴似駅から1番列車に乗車しました。
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石狩当別駅 8691列車 DD13 610、623D(新十津川行き)

石狩当別で下車し、石狩金沢方面に歩いてゆきます。
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石狩当別石狩金沢 623D
新琴似から乗車した列車は、石狩当別で長時間停車したので、発車を撮影することができました。
カラーネガにフィルムを交換し、更に金沢方面へ移動し、下り貨物や気動車などの撮影に勤しみます。

そしてこの日のメインイベント、上り貨物列車を撮るべく、中小屋へ向かいます。どうして中小屋だったのか、なんてとっくに忘れていますが、多分、5万の地図を見て風景的にいいなとでも思ったのでしょう。ちょっとは気合いが入っていました。

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月ヶ岡→中小屋 8692列車 DD13 610

この18年後、キハ53の最後の姿を撮ろうとこの付近にやってきましたが、樹木が生い茂り、この立ち位置がどこだったのか、さっぱり分かりませんでした。

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中小屋駅
今は車掌車の待合室があるだけですが、当時は木造の駅舎でした。

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そして駅の横にはこんな看板が。
スト権ストが国民の反発を買い、まず荷主が貨物輸送から道路輸送に切り替えてゆきます。また勤務態度の悪さが、マスコミを通じて国民の知るところとなり、民営化へ向けての下地が整えられてゆきます。乗客が運転士や駅員の態度の悪さを直接目の当たりにしたり、我ら撮り鉄は、汚された車体に何度も舌打ちするなど、それほど、たるんだ勤務態度が常態化していました。結局は、自分で自分の首を絞めた国労なのでありました。

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中小屋駅 628D(新十津川始発)
ちゃんと乗客がいます。

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石狩当別駅 628D
貫通扉が開いているのは、これから増結するからです。

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627D到着

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4両編成のうち、後ろ2両を切り離します。切り離した車両が628Dの増結車となります。

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この日は高校受験の二日目で、試験を終えた中学生たちがホームに集まってきました。

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増結車が連結されます。試験を終えた安堵感も手伝って、輝き放つ少年少女も今やオジンにオバン。ああ、青春って素晴らしい。
そんな賑やかな車内ではありましたが、睡眠不足と疲れにより、新琴似駅到着まで熟睡してしまったのでありました。

昭和53(1978)年3月8日