ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

北広島駅南側

北広島といえば、いつも上野幌方の北側でばかり撮影していましたので、この日は島松方の南側へ行ってみました。

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208D 急行「ちとせ8号」、728D
駅の跨線橋から島松方を望みます。架線がないので実にスッキリしています。

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いかん、跨線橋の窓を開けっぱなしにしたままでした。

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728D
正面に伸びる空き地が気になります。昔の駅の何か施設でもあったのでしょうか。

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23D 特急「北斗1号」

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5762列車 DD51 649
中央通りの陸橋から。今は架線のみならず防護フェンスも設置されているので、まともに撮影できないかもしれません。因みに現在の駅舎へ改築するにあたり、線路の配線が当時とは幾分変わっています。

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5765列車 DD51 677
その陸橋の下付近からになります。今はフェンスが張り巡らされており立入不可です。この頃もフェンスはあるにはありましたが、部分的でした。

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730D
列車は中央通りの陸橋の下を潜ります。すぐ左手にフェンスがあります。フェンスの外側で撮影していますが、危険じゃなければOKというのが当時の暗黙の了解だったような気がします。おめーの勝手な解釈だろうと突っ込まれそうですが、実際それでたったの1度も問題化したことはありませんでした。(忘れてしまった可能性は否定できませんが。)

ひとたび事故が起きれば、すぐに役所の安全管理責任を追及するという今の風潮って、どうなんでしょう。自分の身は自分で守る、そんな当たり前の危機管理ができないばかりか、自分が起こした事故や降りかかった災害被害を人のせいにするという人間が増えていませんかね。被害者モンスターの存在は百害あって一利なし。困ったものです。
とはいえ、実際に自分がその被害状況に置かれた時、人のせいにしないという自信は正直あまりない、という自分が情けないです。って、おいおい。

昭和54(1979)年1月4日