ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

185系が「踊り子」から引退とか

昭和60(1985)年7月30日 特急「踊り子」 川崎駅
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昭和56(1981)年10月、185系電車は「踊り子」で特急デビューを果たしました。それまでは153系電車とともに急行「伊豆」の運用にあたって足慣らしをしておりました。185系は老朽化した153系の置き換えという位置づけだったようです。
当時、伊豆方面には183系電車が特急「あまぎ」として走っていたので、急行「伊豆」の特急格上げにより185系も「あまぎ」になるのかと思っていたら「踊り子」という愛称名が新設されてしまい「あまぎ」の愛称名は「伊豆」とともに廃止されてしまいました。

登場した頃、「踊り子」という愛称名は特急らしからぬ名前ということで、鉄道ファンからの評判はあまり良いものではありませんした。しかし、そもそも公募で選ばれた「伊豆の踊り子」とリンクしたもので、一般的には好評だっただけに、鉄道ファンの特質が垣間見えた気がしました。私も異議派でしたけど。

185系はそれから上野口、高崎線方面にも投入されましたが、こちらは耐寒耐雪を強化して200番代を命名。外観的には基本番代車とは塗り分けが異なり、オーソドックスなものに変更されました。それが上の写真の編成です。
この増備は上野口の急行列車を特急に格上げするため、165系電車の置き換えが目的だったそうです。
東北新幹線が大宮始発・終着の暫定開業時には、上野~大宮間の「新幹線リレー号」として活躍したのが印象的です。後には「新特急」というカテゴリーの特急列車に大活躍します。この時、余剰となった車両が「踊り子」の運用に回され、代わりに183系は撤退、「踊り子」は全列車185系に統一されました。

185系は、特急用と通勤用という汎用性を持たせた車両だったので、通勤客にしてみれば「空いている時はお得、でも混雑時には迷惑な車両」、特急客からは「安っぽい特急車両」と見られ、決して評判がいいとは言い難い形式でした。そもそも窓が開く特急車両って、スハ44・スハフ43以来ではないでしょうか。いいんだか悪いんだか分かりませんが。

JRになってデラックスな(そして変顔の)251系が「スーパービュー踊り子」に登場すると、185系はすっかり陰の存在になった感がありましたが、それでもよくぞここまで生きながらえたという気がします。大勢の利用客は、やっと古くさい車両が消えてくれたかとせいせいしているかもしれませんけど。

バリバリ現役時代の185系特急「踊り子」

185系「踊り子」は7:20頃からになります。