ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

小樽にて

札幌駅周辺ばかりでは流石にマズイべ、改心して小樽へやってきました。

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南小樽→小樽か?
単機回送から撮影です。たまには街並みと絡めて。

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南小樽手宮
手宮線の上り貨物がやってきました。DD16+DD51重連ですが、あまり気に留めていません。所詮DL同士の重連なんてララ~ラ、ラララ、ラ~ラ。

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9822列車 南小樽←小樽
カラーポジでは標準レンズで撮っていると思いましたが、もちっと周辺の様子が知りたい気分です。
現在この場所は、桜と絡めて撮れる撮影名所になっています。

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張碓→朝里
場所を移動し、朝里です。今度は国道5号線付近から俯瞰しました。現像ムラが情けないです。

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9821列車 張碓→朝里
シャッターを沢山切った割には、いやはや何とも。ポジも切っているけどさ。
蒸機列車の撮影は残りあと1日となりました。終わってしまったことを嘆いていても始まらないので、初心に返って最終日の撮影に臨みます。

昭和55(1980)年11月29日

蒸機列車の運転期間中、ビデオで撮りたいという気持ちがふつふつと沸き起こり、レンタルを考えたこともありました。けれども、1日2万円(VHS)というレンタル料はなかなかキツく、また装備は8mmフィルムの何倍も嵩張りますし、撮影のノウハウもない初心者が扱うにはいささか無謀であろうということで断念しました。
当時のビデオ機材は、カメラ部とデッキ部が別個の機材で、それを太めのコードで接続して使う、いわゆるセパレート形と呼ばれるもので、ワンマンオペレートには操作上の知識だけでなく、それなりの体力も必要でした。スマホ世代には想像も付かないでしょうが、スマホの代わりにデスクストップPCを抱えて歩くといった感覚でしょうか。
ビデオカメラを購入するのはこの9年後になるのですが、そのきっかけはやはり蒸機であり、それが「C62ニセコ号」でした。