ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

平沼橋駅付近にて

とにかく次から次と列車が通過してゆくので目移りがして仕方ありません。とはいえ、どれも同じに見える113系は適当に割愛してしまいます。グリーン車くらいはちゃんと撮っておけばなあと今は思いますけど。

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平沼橋駅より西側へ移動します。
湘南色が沿線のミカン畑をイメージしたカラーリングだというのは全くの嘘です。80系電車から採用されたこの塗色ですが、最初の頃はオレンジ色の赤味が強くて「錆止めか」などと嫌味を言われたそうです。そこで徐々に赤味を弱めて現在の色に落ち着いたそうです。
現在の桜木町駅が初代横浜駅で、スイッチバック式だった頃には、現在の横浜駅の近くには平沼駅というのがあったそうです。

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相鉄は本数が多い割にはなかなかすれ違いシーンを見せてくれません。

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東海道本線横須賀線が分離されてまだ間もない頃でしたでしょうか。スカ色の方は「砂浜と海」のイメージで間違いなさそうです。

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上り153系電車、いわゆる東海形電車ですが、当初は80系湘南形電車の後継車という意味から新湘南形とも呼ばれていました。パノラマウィンドウの貫通タイプの運転台はこの系列から始まり、近郊形・急行形電車のスタンダートになりました。当初は幌枠にアルミ板が張られてアクセントになっていましたが、後にオレンジ色に塗られてしまいました。幌といえば、JR北海道の宗谷特急キハ261の先頭車が、幌をビラビラさせながら走る姿は何ともいただけません。
一面オレンジ色の顔は、貫通扉を塗り分けしない(検修時の塗り分けの手間を省くため)ことと高速運転時に遠くからでも目立つようにという警戒色としての意味合いもあったようです。

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大目玉113系電車。目の細い私は、パッチリ目に憧れてしまいます。

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横須賀線東海道本線。塗分けのラインが若干異なります。

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横須賀線湘南色の郵便荷物電車が上ってゆきます。

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相鉄と国鉄のツーショットもなかなかタイミングが合いません。

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今度は東海道本線を郵便荷物電車が上ってゆきました。クモユニ74です。

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165系に多くの急行運用を奪われてしまった153系ですが、まだ「伊豆」や房総急行で活躍していました。

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平沼橋駅に戻ってきました。

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横浜駅が見えます。まさに平沼橋からの構図です、大きな用水路のような川は帷子(かたびら)川。

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県道13号線の平沼橋から俯瞰します。川の色が青々としており、とても綺麗に見えます。

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183系特急「あまぎ」はこの半年後に「踊り子」に改称されます。

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上下の相鉄と上り東海道本線

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平沼橋から開かずの踏切(歩行者専用)を見ます。しばらく待っていましたが本当に開きません。右端にちょこっと写っているアーチ風の橋は水管橋ですが、平沼橋と同様に今は架け替えられています。
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踏切待ちの人々で混雑してくると、右へ行きたい車の通行もできなくなります。とんだとばっちりだこと。

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撮影した場所は忘れてしまいましたが、こんなに至近距離で撮影できる場所は限られているでしょう。

この後もう少しだけ撮影を続けました。

昭和56(1981)年4月26日

YouTubeではスポンサーが戻って来てくれて、収益が少しずつ回復してきました。今年の春まではほぼ視聴回数10回につき収益1円だったのがCMが載らなくなってから10回0.1円にまで下落したものの、今では10回0.6円まで戻っています。撮影には全然出ていないので、相変わらず古い映像ばかりをアップしていますが、若いファンにとってはそれもまた新鮮に映るのか、コメントを読む限り若い人っぽいからのものが多いです。平成10年頃の動画に対し「まだ生まれていませんでした」というコメントを見るにつけ、いやがうえにも自分の年齢を痛感してしまいます。因みに平成10年というのはフラノエクスプレスが引退した年です。ついこの間じゃん。