ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

千頭にて

福用での撮影を終えて終点の千頭へ向かいます。駅構内には保存車両が留置されており、それらを見物しようということです。乗車した列車は途中、いくつかの駅で行き違いがありました。

イメージ 2

イメージ 1
下泉駅
モハ313(←元西武鉄道クモハ362)+クハ513(←元西武鉄道クモハ361)
冷房車ではないので、気兼ねなく窓を開けて撮影できます。

イメージ 3
駿河徳山駅
ビルマ帰りのC56 44です。戦前には苗穂に居た機関車でした。駅の佇まいといい、蒸機列車にはピッタリの雰囲気です。それにしても一地方鉄道会社にもかかわらず、1日に2往復もの蒸機列車を運転するとは驚きです。

千頭駅です。
イメージ 4
福用で撮影した蒸機列車が到着したままの姿です。

イメージ 5
2100形式2109号機。2120形式、2400形式、2500形式らとともにB6と呼ばれた機関車です。B6は作業局時代の呼称で、3軸動輪のタンク機関車で6番目の形式という意味ですが、明治の機関車としては500両を超える大ベストセラーでした。鉄道院になり形式称号が変更され、製造国別にイギリス製は2100形式と2120形式、ドイツ製が2400形式、アメリカ製が2500形式とされました。2100形式と2120形式とでは動輪直径に差があります。もともとは勾配線区や貨物牽引を目的に増備されましたが、列車の重量化によって後継機関車にその任務を譲った後は、駅や機関区などの入換で活躍し、DD13が配置されるまでは大都会東京でも活躍していました。2109は現在、日本工業大学にて動態保存。

イメージ 6
C12 164
かつては「トラストトレイン」を牽引していましたが、その後ATS未装備のために戦線離脱。現在は静態保存状態なのだとか。

イメージ 7
「いずも」の愛称を持つ1号機関車で、C(動輪3軸)タンク機関車。大正生まれのドイツ・コッペル製で、元一畑鉄道の4号機関車でした。

イメージ 8
1275号機は元国鉄の1275形式1275号機。こちらもコッペル製のCタンク。コッペルといえば小型タンク機関車のイメージですが、北海道のコッペルでは夕張鉄道の1号機、2号機がB6を少し小型化したような機関車で、1C1形で整備重量43トンというそこそこ大きな機関車でした。

イメージ 9
49616はその風貌から北海道の機関車であることが一目瞭然です。切詰デフに前照灯のつらら切り。岩見沢のカマでした。数年前にD51風に改造されたそうですが、今はどうなっているでしょう。

イメージ 10
ここからは結構気合を入れて文章を書いたのですが、アップした時にエラーとなって全部消えてしまいました。よって、だいぶふにゃけた気分で書き直しました。ほえ~。

手前は井川線用のスロニ200形式201。荷物は登山客用のものを扱い、灰色の部分がその置き場となっているようです。観光用車両とはいえ「ロ」とはなかなかの強気です。
奥はクハ507でモハ307と組みます。すでに廃車のようです。

イメージ 11
スイスのブリエンツ・ロートホルン鉄道(BRB)と姉妹鉄道になった時、その記念車となったクハ506とモハ306。蒸機列車の動態保存ということが煙もとい縁だそうです。井川線アプト式BRBの影響とか。

イメージ 12
左は元北陸鉄道のクハ6051で、その後ろがクハ6052。クハ同士では走れませんから、動力車となるのが最後尾のモハ1906。クハ6052はもともと600V対応のモハ6001だったのですが、大井川鉄道の1500Vへの昇圧改造工事は困難を伴うということから断念し電装解除することとなり、何ともシュールな編成になった次第です。
一番左のチョコレート色の車両はモハ301でしょうか。二重屋根です。現在は改造の上、JR東海のリニア・鉄道館でモハ1035として保存されています。

とまあ、蒸機の上り列車の発車まで時間があったのでゆっくり車両を撮影したわけですが、それでも今になってみれば「なんで、もっとちゃんと沢山撮っておかなかったのか」という不満が噴出しています。

昭和56(1981)年9月6日

それにしても、エラー出るなよな~Yahoo!ブログ。