ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

車両写真-12

タイトルが安易で記事の中身が分からないではありませんか。アーカイブしてないし、ま、いっか。本日はキハ20系の車両をピックアップ。

苗穂→札幌 回538D
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キハ21 54

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キハ21 69

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キハ21 38

キハ20系は軽量化技術により製造されたのが特徴で、従来のキハ17系の車体を大型化して居住性を向上させました。グループとしては1100両以上も製造され、全国のローカル線で活躍しました。キハ21はキハ20の北海道バージョンで、昭和32(1957)年度に84両が製造されました。
上記の3両はいずれも台車を履き替えております。保守に手間がかかり乗り心地の悪いDT19C(TR49A)からDT22系(TR51A)に交換されました。
3両とも昭和55(1980)年に廃車されました。

昭和54(1979)年7月29日

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キハユニ25 2
こちらも台車換装車です。キハユニ25は1~3号は苫小牧の配置で、急行「ちとせ」で運用されていました。老朽化で廃車された後には、600番を名乗るキハ22の改造車が跡を継ぎました。

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キハ22 246
JR化前に廃車されました。
キハ22はキハ21の改良形で、極寒に対応した北海道向け仕様車です。一部は北東北にも配置されました。急行運用に活躍したのも今や思い出です。
羽幌炭礦鉄道や留萌鉄道にも同型の気動車がありましたね。

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キハ22 333
JR北海道に継承されましたが平成2(1990)年に廃車です。キハ22は、ワンマン化改造を受けJR北海道標準色をまとった700番代車も含め、平成7(1995)年までに全廃となりました。

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キハ21×3+キハ22×2
この頃は、首都圏色車がまだまばらでした。

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バス窓が連なるのも悪くありません。でも乗車する時にはデッキ付きのキハ22の方が落ち着きました。キハ150形式100番代車の側窓はバス窓に似ていますが全然違います。

おまけ
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S-9編成
クモハ711-901が先頭で、中間車はモハ711-9だった頃の編成です。2丁パンタ姿が特徴です。
一般的に形式写真では側窓は閉まった状態でなければいけませんが、窓が開けられた状態の方が記録性が高い場合もあります。あまりいい写真ではありませんが、上の写真ではクハ711-901とクモハ711-901の側窓は、上の窓が下降して開くということが分かります。(下の窓は固定)

昭和54(1979)年8月3日

何の変哲もない写真に解説を付けるって、ホント難しいです。