ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

車両写真-15 沿線で-2

タイトルが枝番だらけになりそう。さあ、マンネリで行こう。

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キハ17 260
つぶらな瞳って感じの17系気動車。かつて夏場の観光シーズンには中間車のキハ18が道内を走ったことがあるそうです。キハ20も。キハ58が走ったことがあるくらいだし。

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特急「いしかり」
夏場はしっかりお仕事をやるんだけれど、冬場がね。

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DD13 610
貨車をひっ連れて苗穂へ向かいます。何やら綺麗な車体に見えます。そのうちナンバーがブロック化されます。

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ED76 519
転線中です。かなり粒子が粗い写真です。露出不足なので。

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暗くなったので4灯とも点灯しています。
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「いしかり」の愛称名はその後、快速列車で復活しますね。

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踏切だし。車両写真じゃないし。どさくさに紛れて貼ったな。

昭和54(1979)年8月30日 札幌~苗穂

昭和4(1929)年と5(1930)年に、ドイツからDC11、DC10というディーゼル機関車を1両ずつ輸入しました。ディーゼル機関車の開発が目的で、DC11は電気式、DC10は機械式という異なる伝達方式の機関車でした。車体のデザインは、はっきりいって「がっさい」です。しかも研究のための車両とはいえ、あまり成績は芳しくなかったようです。それぞれ600馬力だったと言いますから、重連にして好調だったとしてもキハ201が1編成3両で対抗できちゃいますね。これら機関車を参考にして昭和10(1935)年に国鉄は電気式のDD10を開発します。けれどもキナ臭い時代に入り石油の輸入もできなくなって、結局開発は中止となってしまいます。
因みに昭和10年というのは、C55、C56、EF55が誕生しており、札沼線では10月3日に石狩当別浦臼の間が開業しています。
本題とは無関係などうでもいい話でした。