ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

車両写真-45 札幌駅-21 岩イワ 822列車

この当時、客車は札幌鉄道管理局内では札幌運転区、岩見沢客貨車区、室蘭客貨車区に大量に配置されており、これらの車両は札幌駅で見ることができました。
822列車は岩見沢発7時12分、終点小樽には9時2分に到着しますが、途中札幌駅では10分間停車するので、その間に形式っぽい写真を撮りました。客車は全て岩見沢客貨車区の所属です。

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1号車 スハフ32 409
スハフ32のラストナンバーです。昭和17(1942)年製で、この時すでに車齢は38歳です。

2号車はオハ35でしたが撮影していません。
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3号車 オハ35 713

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4号車 スハ32 855

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5号車 オハフ33 104(←スハフ34823)
初期車なのでスハ32系同様の丸屋根です。

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(6号車)オハフ46 504(←オハフ46 17←オハ47 112←スハ43 199)
オハフ46はオハ47を緩急車化改造した形式です。スハ43系の緩急車は、車掌室が車端部にあるのが特徴ですが、オハフ46では車端にはなくオハ47~スハ43そのままの外観です。手前の窓には手ブレーキのハンドルが見えます。スハ43時代にはここも客室でした。

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(7号車)スハ32 848(←スハ33511)

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(8号車)オハ35 180(←スハ33829)
終戦後オミ35 17という連合軍指定客車となった過去があります。ミルクチョコレート色の車体に白帯を巻いていたのでしょうか。標準的な外観で、これといった特徴は見当たりませんが、台車がTR23からTR34に履き替えられています。こちらは昭和15(1940)年製。

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(9号車)オハフ33 1012(←オハ35 98←スハ33747)
最後尾の展望貫通路は男子高校生専用立席のようでした。こちらは昭和14(1939)年製になります。(改造は昭和40(1965)年)
緩急車や荷物車・郵便車には必ず後部標識灯が装備されています。

昭和55(1980)年5月17日

かつてビデオ編集をする際に、映像拾い出し用に使用してきたVHSのワークテープ300本は、本日をもって全て処分しました。毎回、燃えるゴミの日に少しずつ出していました。何か月かかったかな?これでVHSのテープは、市販ソフトと数本のS-VHS-Cを残すだけとなりました。これで本棚1段分のスペースが空き、買い集めてきた鉄道本を収納することができます。