ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

キハ48、キハ141系輸出

もう調子づいてビデオ静止画三昧やります。
札沼線の電化によって余剰となったキハ48、キハ141系が輸出されることとなり、陣屋町臨港駅へ甲種輸送されました。その日は朝から土砂降りの悪天候でしたが、何としても撮影したかったので友人らとともに室蘭へ出向きました。早めに到着したので、雨宿りを兼ねて崎守駅で朝の列車を撮影してからトクデン前でカメラを構えました。

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本輪西東室蘭 9260列車
牽引機はDF200-122でした。まもなく北海道を離れて、愛知で活躍しますね。
速攻で陣屋町臨港駅へ移動しました。
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発送日の6月21日は苗穂を出た日でしょうか。気動車はこの日に直接苗穂から輸送されたのではなく、札タや東室蘭操で一時的に留置されてから輸送されたものです。
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早速、入換動車が気動車の入換を行います。そうしないとDF200が引き上げられませんし。
木曜日の平日なのに、結構、ファンらが集まっていました。台風のような雨風がカメラに容赦なく襲い掛かります。
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DF200は多分、東室蘭操へ引き上げです。

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キハ48 302
天気が回復する兆しのない中、クレーンによって気動車はトレーラーへ積み込まれました。この程度の風雨など問題ないようです。
数百メートル先の保管場所まで移動するだけです。

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そこへ予期せぬタンク列車が到着。といっても、これも廃車となったタンク車で、甲種輸送されてきたものでした。一日に車種の異なる甲種輸送が2回も見られるなんて。でも知っていたらもっといい絵が撮れたかも。

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何やら運転所のような様相を呈してきました。

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油層所での入換のようにも見えます。

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二度も輸送をお疲れさまでした。

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時間を見計らって「トワイライト」の通過を狙いましたが、できたばかりの白い建物が何とも・・・。

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今度はキハ48 301の移動です。片運転台だけに閑散路線での運用には不向きで、他の路線への転用は難しかったのでしょう。少数派のキハ48形式300番代は製造両数はわずか4両だけでしたが、キハ480に改造された304号を除き、3両ともミャンマーへ輸出されました。

それにしても、こういう作業現場を一般人にも見学や撮影させてくれるなんて、実にありがたいことです。この後にも続々と廃車になった車両が陣屋町臨港駅に輸送されてきますが、一時的に立入禁止となる以外は、かなり開放的でした。絶対に、危険な行為で作業に支障をきたすようなことがあってはなりませんね。

この時の動画もYouTubeにアップ済です。興味のある方は捜してみて下さい。不親切極まりないですね。

平成24(2012)年7月12日

友人から押し付けられたビデオ編集がようやく終わり、後は焼きあがったディスクをチェックするだけです。ビデオ映像と写真を、4時間近くにまとめました。自分が撮影したものではないので、無慈悲にバッタバッタと短くしたり切り捨てたりと、だいぶ整理してもこの長さです。
メインの編集機は、ある時期から書き出し中(編集結果をDVDやブルーレイ用のデータに変換すること)に突然フリーズするようになったので、最後の書き出しだけはサブのPCで行いました。メインPCが正常ならば5時間ほどで済む作業ですが、サブPCでは書き出しに15時間かかりました。CPUはCore 2 QUADで、今のCore i7から見るとすこぶる非力ですが、フリーズしないだけマシでしょうか。でも編集ミスでやり直しが出ないかとヒヤヒヤものです。
お金に絡むビデオ編集は、YouTubeを除けば年に1本かそこらですが、この押し付けビデオ編集は年に3回あります。ねえ聞いてる?ホリッち。