ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

渡島大野駅へ行ったお陰で

友人と二人で雨がちの天候ながら、津軽海峡線函館本線で撮影しておりましたが、新幹線ができたら渡島大野駅は大変身してしまうだろうからと、しばしこの駅で撮影することにしました。

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あまり使われることのない番線に上り貨物列車4092列車が到着しました。後続の「北斗4号」に抜かれます。藤城線ができる前の蒸機牽引の頃は、下り列車はここから後部補機を連結して峠を上ったそうです。その補機たるマンモスD52がたむろしていたわけです。

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スーパー北斗6号」が軽快に通過。だいぶ、草むしている中線を使うことはあったのでしょうか。「北海道鉄道」(初代)として開業した時には「本郷」という駅名だったことが、駅前の看板で紹介されていました。千歳線富内線の一部は2代目の「北海道鉄道」でした。

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上り普通列車4832D。駅名も変わってしまいます。この当時は暫定的に「新函館」と呼んでいました。でも北斗市が「なんで駅は北斗市にあるのに函館なんだ」と横槍を入れてゴタゴタ状態に陥り、結局はありがちな折衷案で「新函館北斗」に決定。「東京ディズニーランド」に対して浦安市や千葉県は文句を垂れなかったのでしょうかね。ま、税金が落ちればどうでもいいことなのかも。

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「北斗8号」が通過。少々長めの8両でしかも「とかち」編成。昔ながらの跨線橋のある駅の風景がたまりません。左手にはレンガ造りの油庫もチラッと見えます。

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最後尾はスラント車だったので、慌ててカメラを振りました。友人がこのことを別な鉄分濃厚な友人に電話で報告すると、函館到着後は回送列車で札幌に戻るとのこと。スジは予定臨の8037Dだと。これは貴重な情報だとばかりにここは早めに切り上げて、長万部で迎え撃つことにしました。

長万部~静狩 車が止められる元旭浜駅の付近にやってきました。なんかガスってますけど。
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2050列車。この頃の901は元気でした。登場から25年以上経っているし、もう本線復帰は無理でしょうか。量産車とは運転操作方法がちょっと違うそうです。なので、誰でも運転できるわけではないと。

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「トワイライト」は廃止の「は」の字もない頃です。

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「北斗15号」7両編成です。

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そしてお目当ての回8037D(多分)が登場。回送列車ながら、現役バリバリってな雰囲気で疾走してゆきました。やはり大きなヘッドマークは魅力的です。

渡島大野駅へ行ったことで貴重な映像が残せました。運なんてどこに転がっているか分からないものです。でも人生は転がり落ちたくないです。

平成21(2009)年7月26日