ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

道内最後のタンク列車、の後

YouTubeにアップする動画を漁っていたら、懐かしい画像(ビデオカメラで撮影)が出てきました。表題の通り、道内最後のタンク列車の運転が終了した、その後のものです。今回は気分を変えてその時の画像をアップします。

平成26(2014)年5月29日に、オイルを積載した最後のタンク列車が本輪西駅から札幌貨物ターミナル駅に向けて運転されました。始発の本輪西駅では盛大なお別れセレモニーが挙行され、ホームでそれを見学された方も多かったことでしょう。

翌30日、札幌貨物ターミナル駅からの返空列車が本輪西駅まで運転されました。油層所でタンク車の内部が空であることを確認するためです。北海道での仕業を終えたタンク車は本州へ送られるのですが、石油積載状態で青函トンネルを通行することは禁止されているからです。この日は、回送された16両のうち、13両が東室蘭駅(貨物駅 通称ヒムソ)まで回送されました。写真は東室蘭駅返空されるタンク列車が発車待ちをしているところです。

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近くの丘の上から本輪西駅を俯瞰します。この場所は、1年ほど後に訪れた際、何かの工事中でした。もう立ち入れないかもしれません。
ホームには平日にもかかわらずファンの姿がちらほらと。

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駅前にはご覧の通り、ファンの車が。貨物ファンは馴染みのメンバーばかりだったのか、お行儀よく、ちゃんと停めていました。

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JR北海道の駅ではありますが、石油輸送のためにJR貨物の社員が常駐していました。以前は窓口で切符の販売もしており、それはチップ・紙輸送を行っていた萩野駅でも同様でした。

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待合室から眺めます。日常的なごくありふれた光景でした。

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閉鎖された窓口。待合室の広さから考えると、昔はかなり賑わったことでしょう。

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閉鎖された便所。近くのセコマかガソリンスタンドで借りるしかありませんでした。

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待合室の外の壁に掲示された駅名標。「さきもり」の下にはうっすらと「じんやまち」の文字が残っています。旧線時代には陣屋町は旅客を扱っていました。現在は貨物駅ですが、扱う貨物はありません。

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ホームへ降ります。ファンの姿も見えます。

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前日のさよなら列車で使用された「惜別」の札が差されていました。JR貨物の社員の方による粋な計らいです。

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そして見慣れぬヘッドマーク本輪西駅の駅員(JR貨物)の手による手製ヘッドマークです。結局、業者作成のものを使用したため、このヘッドマークは陽の目を見ることなく駅で保管されていましたが、駅に集まったファンに感謝を込めて、特別に装着して下さいました。停車時間が長いが故にできたことです。
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有終の美を飾るに相応しい、堂々たる編成です。発車前にヘッドマークは取り外されました。この後、丘の上に戻って最後の走行シーンを見送りました。トクデン前にはファンがぎょさんおったでえ。

次の日も、油層所に留置してあった最後の13両が東室蘭駅へ回送されましたが、牽引機はDF200だったそうです。


平成26(2014)年5月30日