ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

赤間へ移動して

瀬高から「有明18号」に乗り博多へ戻りました。それから普通列車赤間へ。16:56に到着し、駅から東郷方面に少し歩いたところにある踏切付近に三脚をセットしました。すでに夕方の5時を回っていますから、明るい時間はそう長くはありません。

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17:19 赤間←東郷 あさかぜ4号
レンズを交換しようとしたらやってきました。なので、標準レンズで撮りました。

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17:23 赤間→東郷 にちりん20号
581系583系の顔をアレンジした貫通クハ481の顔も好きです。

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17:39 荷1037列車
マヤ34付きでした。肝心の貨車は写っていませんけど。

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17:40 162M

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17:49 1092列車

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17:59 3234M
低運転台のこれはまごうことなき421系。後ろは415系でしょうか。この時期、乗るなら冷房付きの415系ですね。

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18:05 単7112列車
この頃、北海道のED76は全機が、切り文字ナンバーがブロック式に変わっていましたが、九州のED76はまだ途上だったようです。

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18:06 255M
運転台屋根上に押し込み型の通風器があるので、こちらは423系のクハ421でしょうか。久留米行きの普通列車ですが、最後尾はどうして南福岡?

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18:17 はやぶさ
この当時、日本一の長距離ランナーでした。

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3ユニットの堂々12両編成。門司港行きですが、行先が上ちょびっとしか表示されていません。

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18:46 みずほ
露出不足のポジなので、スキャンが無残な結果になっています。こんだけ暗いのだからヘッドライトくらい点けて欲しいものです。

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18:50 にちりん31号
だからヘッドライト・・・。

これにて撮影を打ち切り、博多に戻りました。博多到着は20:23。さて、それからその晩の宿を探しますが、公衆電話から駅近くのホテルに予約を入れるも、どこのホテルも満室の返事。どうやら何かの大会だか学会だかで大勢の人たちが博多のホテルを席巻している模様。已む無く、いちかばちかで飛び込みを敢行するも、撃沈。当たり前だわねえ。しかし、捨てる神あれば拾う神ありは世の常。うなだれながら少し寂れた通りを歩いていたら目に飛び込んできた「ホテル さざ波」の淫靡なネオン文字。もうこれ以上探し歩いても仕方ないし、中に入ると受付では、お連れの方はいらっしゃいますか?いいえ、一人です、はいお一人様お泊りです。番号を案内され部屋に入ると遠隔操作で鍵が掛けられました。シャワーで汗を流すついでに衣服も洗濯し、部屋に干し終えると、すぐに無駄に広~いダブルベッドへ横になりました。あ、晩飯食ってなかった。

昭和59(1984)年7月26日