ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

何故か写真撮影

前回、夕張支線で写真撮影をしたことを記しましたが、それ以前にも写真撮影だけをしたことがありました。ビデオ撮影1本槍だったのにどうして写真を?と自分でもその理由は忘れているのですが、もしかすると誰かから頼まれての撮影だったのかもしれません。でも、頼まれたにしては撮り方が稚拙じゃね?

説明不要な苗穂で
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3月までの新特急色からHET色に変身した「おおぞら」。

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この年の3月から翌年の4月まで運転された711系快速「エアポート」。かつての急行「かむい」を彷彿とさせました。

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この場所を知らない人は、フェンスの中に潜り込んで撮影していると思うかもしれませんが、ちゃんとフェンスの外から撮影しています。

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もうこの時代のネガフィルムすら黄変しています。救いようがありません。デジタル写真の恩恵は、こういう劣悪なネガフィルムを完璧に駆除したことも、その一つに挙げられるでしょう。
平成9(1997)年7月29日

同じネガフィルムに引き続き撮影してました。札幌駅です。でも日付は5か月もとんでいました。
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3月から運転を開始した「スーパーおおぞら」。先頭車は試作車でした。

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ドア横の塗装や前照灯のライトケースの形状、スカートの切り欠き形状などが量産車と異なります。

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グリーン車が2連という編成は、「スーパー北斗」や「北斗」とともに、たまに見かけることがありました。

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何故か小樽へ移動しています。
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この当時の721系「エアポート」では、貫通6連はまだ少数派で、多くが3+3連を組んでいました。

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S-901編成による快速「マリンライナー」。後に「いしかりライナー」に吸収されてしまいます。

この後、更に千歳駅へ行きホームで何枚か列車を撮影し(下手)、更に更に清水沢駅まで足を伸ばしています。すでにこの辺りの記憶は消えているのですが、何かのフリー切符を消化するためだったのかしらん。

平成9(1997)年12月7日

先日、ヤフオクで初期の「鉄道ファン」誌を8冊落札したことに触れましたが、昨日、それが届きました。したっけ、うち2冊が数ページ抜けておりました。出品者側が提示する条件に則ってクレームは入れていませんが、報告だけはしておきました(笑)。抜けているページは、さほど興味のない私鉄の記事だったり広告のページなので、「ま、いっか」という気持ちでしょうか。ただ、161系電車の図面が無かったのはいささか残念。落札価格を思えば仕方のない側面もあります。だって1冊100円だもの。
今回入手した最古参が1961年11月号のNo.5号です。表紙写真は復元されたC53 45。巻頭写真(モノクロ)では、その年の10月から全国に設定されたキハ80(82)系による気動車特急の試運転の様子を伝えています。新車ガイドではED72(客貨両用交流機)とEF61(旅客用直流機)を紹介。また、ダイヤ改正気動車特急に衣替えをする客車特急の「かもめ」を惜しむ記事を10ページにも渡り掲載しています。北海道関係ではダイヤ改正で登場した道内初の特急列車である「おおぞら」の札幌駅での通過式と、急行「第2はまなす・天北・第2狩勝」の出発式が紹介されています。後者の急行列車は、10両編成(所定は7両)からなる3階建て列車ですが、行先は3両が釧路、1両が帯広(以上が「第2狩勝」)、1両が遠軽、3両が網走(以上が「第2はまなす」)、1両が音威子府、1両が稚内(以上が「天北」)と、細切れ状態になっています。編成はキハ56が2両とキハ22が8両からなり、盛大に執り行われた出発式の割には貧相な形式だったようです。また、この時のダイヤ改正を機に、電気機関車の形式分類方法が変更となり、試作機関車には90番代の形式番号が与えられるようになりました。巻末には編集に関わった人たちの名前が列挙されており、すでに故人となられた人ばかりですが、有名著名人が名を連ねています。涙が出そうです。定価150円。