ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂工場公開

時代を行ったり来たりで恐縮です。今回は過去にアップした記事とダブりますが、別写真を掲載します。

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休憩所に使われていたと思われるキハ22 314。写真には写っていませんが検査周期標記は「53-10 苗穂工」となっており、新車の様に綺麗です。

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その車内から運転助士席越しに工場構内を見ます。キハ56が構内を行ったり来たりの試運転中。

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キハ56 135が構内試運転中。一般公開中でも通常業務です。そこがまたいい。

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DE15の前頭車が並びます。左からDE15 2510、DE15 3、DE15 2511。2500番代は単線用。

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DE15 2510前頭車の連結部。機関車との連結器が三角形状に3か所あります。裏にも扉があるんですね。付着した雪でも落とすためのものでしょうか。それとも機関車との連結時に使うとか。

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外れにはDD13が数両、留置されていました。廃車なのか休車なのか不明。ナンバープレートは外されたもの、付いたままのもの、色々です。写真中央の39号機は仮台車を履いています。検査途上だったのでしょうか。

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仮台車が、工場で使用しているチキの上に載せられています。台車とはいえ、そのまんま線路上を転がして移動、という訳にはいかないようです。

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留置されたDD13の脇には狭いゲージの線路が積み上げられていました。苗穂工場製造によるD51 237のライブスチーム用でしょうか。苗穂工場まつりでは、現在でも現役で来場者を乗せて走っていますね。レールは特注なんでしょうね。

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工場の入換動機。モノクロなので分かりませんが、この機関車は本来オレンジ色の部分が、緑色(萌黄色?)に塗り替えられています。工場側にだけ取り付けられたシリンダーが特徴的ですが、写真で見る限り、シリンダーから下へ伸びたボルトでスノープラウに固定しているように見えます。ただし、向かって左側は固定されて、右側は外れています。でも、スノープラウを自動で昇降する意味はあるのでしょうか?私はずっと連結器を自動で解放するためのシリンダーだと思っていました。

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検修庫の中では様々な車両が検査を受けていました。

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そんな中、DD15 17が目につきました。点検蓋を開けまくっています。あと2か月したら排雪作業が待っていますし整備は入念に。

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点検蓋を開放したまま構内に姿を現しました。ステップの形状が左右で異なっています。DD13の場合は、向かって左側の様に、左右ともに下へ向かって末広がりですね。

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試運転のようにも見えます。構内には写真のように車輪のタイヤや車輪や車軸がゴロゴロ転がっています。

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ふと足元を見ると、蒸気機関車の給水温め器とD51 163の煙室扉が。163号機は穴あきで有名だったカマですが、この穴の目的は煙室扉の焼損防止用だったと言われています。他には煙室内に堆積したシンダを空冷することで、熱による煙室扉の下部の反り返りを防止するためという説もありますが、いずれにしても他のカマには普及していないので、芳しい効果はなかったということでしょう。

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日章旗を掲げて、見慣れぬ入換機がやってきました。この時の塗装がどんな色だったのか覚えていませんが、後にはカラフルな塗色に塗り替えられたそうです。「06-28-05-003」という不思議なナンバーのプレートを付けています。この線路は、現在C62 3が保存されている場所になります。それにしても、あっちにもこっちにも車輪がゴロゴロ転がっています。

この当時、苗穂機関区(現在の苗穂運転所)の一般公開が行われていたのかどうかは分かりません。

昭和53(1978)年10月13日 苗穂工場