ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

東鹿越駅で

「C62ニセコ号」が終わり、深名線も終わり、札沼線のキハ53までも終わってしまい途方に暮れていた頃、鉄友が「石灰石輸送を撮りに行こう」と提案してきたので、平成8(1996)年の4月の終わりに東鹿越駅に行ってきました。駅構内では残雪を突き抜けてふきのとうが芽生え、春の到来を告げておりました。幸い、その日は運転日でしたが、週に3回程度の臨時運転であることを駅員さんに教えて頂き、以来、毎月のように東鹿越駅を訪れるようになりました。

友人と一緒に車で訪れることが多い中、その日は列車を使い単独で駅を訪問しました。この日は土曜日で「1日散歩きっぷ」を使うために、早朝駅員のいない最寄りの新川駅ではなく新琴似駅から乗車しました。
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札幌駅 快速「ミッドナイト」
東鹿越へ午前中に到着するには、札沼線の1番列車に乗らなくてはなりません。札幌駅には「ミッドナイト」が到着しておりました。所定2両編成ですが、中間に増結車のキロ29 3が連結されております。キロ29は元祖お座敷気動車三羽烏の1両で、かつては「サロマ」の愛称名がありました。

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特急「オホーツク1号」と127M
滝川行き127Mに乗車しました。一日散歩きっぷで安くあげます。

滝川では釧路行きの2427Dに乗り継ぎますが、50分ほどの待ち合わせ時間があるので、駅の外でお手軽撮影して時間を潰しました。
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8:59 3164M

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9:03 L特急ライラック8号」
滝川駅の写真を撮ったのは、後にも先にもこの時だけかもしれません。経年劣化により黄色く変色しております。

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11:29 東鹿越駅 2427D
東鹿越駅に到着し、乗車してきた2427Dを見送ります。ホームには大きな石灰石が鎮座しています。貨物列車の入換があるので、富良野駅の駅員さんがこの駅まで汽車通していました。JR北海道の社員がJR貨物の貨車入換をしていたわけです。勿論、駅員さん在宅時には駅窓口で切符販売も行っていました。因みに、貨車入換のあった室蘭本線の萩野駅と本輪西駅では、JR貨物の社員が窓口で切符を売っておりました。

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この日は石灰石輸送貨物列車は運休で、積載貨車と空車の貨車が留置されておりました。背景は、かなやま湖です。金山ダム建設により誕生した人造湖で、建設工事に合わせて東鹿越~鹿越~金山の路線変更も行われました。

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12:02 2434D
釧路からの滝川行き普通列車です。ちゃんと乗客がいました。

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東鹿越駅構内
紅葉に包まれた穏やかな佇まい。しかし翌年の3月にはこの貨物列車も廃止されます。これまでにも友人と共に何度か貨物列車を撮影しに訪れましたが、それ以外にもリゾート列車やホキ工臨、そしてカルビーのCM列車などという、なかなか思い出深い列車を記録することができました。

駅員さんに貨物列車の運転日を教えていただくなどして、丁重にお礼を述べてから東鹿越発14:47の2436Dで帰宅しました。
滝川では30分ほどの待ち合わせで、旭川手稲行き3278Mに乗車しました。

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18:45頃 札幌駅 特急「おおぞら11号」
「おおぞら11号」の先頭車がオホーツク色(特急「とかち」は誕生前)の車両だったので、ついシャッターを切りました。初見でした。この頃のキハ183系特急列車は「おおぞら」だけが国鉄時代の新特急色をまとっていたので、HET色の運用は珍しい方でしたし、それに加えてオホーツク色のN先頭車とは、いささか驚いた次第です。
因みにキハ283系スーパーおおぞら」が誕生するのはこの翌年の3月で、同時に特急「とかち」も誕生しています。石灰石輸送貨物列車の廃止と時を同じくして、新しい特急列車が誕生したわけです。

平成8(1996)年10月26日

昨日のお昼過ぎから降った雪が積もってしまいました。それもタチの悪いベタ雪で、それが深夜に凍ってしまいました。重いし固いし。来週には気温が上がって一旦は解けると思いますが、いよいよ憂鬱な季節の到来です。