ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

久々に室蘭本線に乗車

久々といっても今のことではないです。36年前から見ての久々です。
国鉄から現役蒸機がなくなり、室蘭本線の列車(室蘭~岩見沢間)
に乗車することはすっかりなくなっていたのですが、ふと懐かしくなり、帰省した折に乗ることにしました。周遊券もあったことだし。残念ながら、どの列車に乗ったかなどというメモは残っていません。

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札幌から岩見沢へ向かう列車の窓より、苗穂工場を望みます。キハ80らしき車両がだいぶ解体されています。

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岩見沢に到着します。このンマの像が岩見沢駅のシンボルといえるでしょうか。まだ農耕用機具がなかった昔、農作業に馬は欠かせない存在でした。北海道開拓の陰の立役者といえるでしょう。「北の国から」で、大友柳太郎さんが演じる老人が、一緒に生活を共にしてきたンマを手放したその辛さ、悔しさを五郎ちゃんに語るシーンは胸に突き刺さりました。「アイツがオラに何言いたかったか」。

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馬面よりももっと馬面なDD51。蒸機からDLに変われども、旧型客車の乗り心地はさほど変わりません。煙にいぶされることが無い分だけ快適ではあります。

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機関車の顔を見ながら乗車というのも旧型客車のいいところ。客車からエイッとばかりに機関車に飛び移りたい衝動に何度駆り立てられたことか。

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栗山から由仁に向かう途中の夕張川の支流でしょうか。草むらに落ちるDD51の影が面白くてずっと見てました。

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蒸機を追いかけていた頃の古い駅舎は影も形も無くなっていました。駅員もいませんでした。
昭和49(1974)年頃でも、旅客列車よりも遥かに本数の多い貨物列車のほとんどが蒸機牽引でした。1日24時間、ひっきりなしに列車が走っていました。その旅客列車も多くが客車列車で、気動車は少数派でした。信じられます?

苫小牧で下車して札幌に戻ったようです。流石に室蘭まで行くと帰りが遅くなってしまうからでしょう。そういえば、室蘭~岩見沢間を全線通して乗車したことは一度もありません。
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苫小牧駅では、ありふれたDD13が入換作業に精を出しておりました。既出の写真で恐縮ですが、この機関車は三笠鉄道村に保存されているそうです。

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この駅舎も懐かしい光景のひとつになってしまいました。背景にあるノッポな煙突の王子製紙の貨物扱いも今はありません。「北の国から」ならぬ「過去の国から」でありました。

昭和57(1982)年8月18日