ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

国道駅

鶴見線国道駅。それまでホームに降りたことはあっても、ホームから駅の外に降りたことはありませんでした。
或る日思い立って、京浜東北線鶴見駅で下車し、国道駅まで歩いて行きました。戦前には途中に「本山駅」があり、總持寺への最寄り駅として利用されていたようです。現在でもホームと階段が残っているのがグーグルマップで確認できます。
国道駅まで歩いて行ったという記憶はあるものの、どういう経路で行ったのかはさっぱり覚えていません。

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こんな場所に出ました。模型にしたくなるような雰囲気です。北海道ではまず見られません。グーグルマップでこの場所は特定できました。家屋と高架下の建物は既に無く、どちらも駐車場になっています。国道15号線と線路の中間になります。

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鶴見方のホーム端からです。下の道路が国道15号線

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通常は101系3連が走る鶴見線の本線ですが、この頃は、閑散時間帯に限りクモハ12も単行運転をしていました。側窓にはまだ顔出し防止柵はありません。52号の他にもう1両、53号が在籍していました。車両基地は弁天橋駅の近くにあります。

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クモハ12は、片運転台のモハ11を両運転台に改造した車両です。昔は「ク」の表記はありませんでした。非貫通のこちら側がオリジナルの運転台で、反対の貫通側に運転台を増設しました。

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駅の高架下は独特の雰囲気で、一瞬、映画の世界に迷い込んだような気分にさせられました。しかし、撮影するには相当な広角が必要になるのと暗いのとで、1枚も撮影しませんでした。

昭和62(1987)年1月31日

この1年間、気紛れのような記事をご覧いただき、ありがとうございました。現在中断しているスキャン作業は、まだ当分の間再開できませんので、来年に入ってもしばらくの間はネガカラーやモノクロからの写真になります。また、もっと参考になるような面白い記事が書ければいいのですが、そこまでの知識や才覚も無しということで、過度の期待はくれぐれも禁物ということでお願いします。

連日の雪掻きで、肩と腰が痛みますが、新年も雪掻きで明けそうです。でもお陰で体重が少しだけですが減りましたので、中性脂肪もいくらかは減っていることでしょう。辛く面倒なことも、悪いことばかりではありませんね。
それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ。バイチャ。