ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

年末に

皆様、新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。今年も残すところあと364日しかありませんが、どうか穏やかにあって欲しいと、つくづく思います。

さて、来年の事を言えば鬼が笑うと言いますが、昨年のことを言うと鬼はどうするのでしょう。そんなしょーもないこと言ったって仕方ないべさってやっぱり笑うのでしょうか。でも、来年の事も言えない人に、鬼はきっと呆れると思います。

で、鬼だけでなく、世間からも笑わるかもしれませんが、去年どころか43年前の暮れの写真です。蒸機の終焉が現実味を帯び始めた頃になります。その日の夕方は札幌駅に居りました。翌日は蒸機の撮影を控えていたのに、なんでかな~。再掲写真、御免。
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急行「ちとせ7号」。前から、キハ27 114+キロ26 17+キハ27 32+キハ27 113と並び、キロ26にはグリーン帯があります。

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734D(千歳行き) キハ12 14
今や昭和のレトロ感に満ちています。狭い車体にバス窓。キハ12は札沼線千歳線で活躍していました。

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15:45 急行「かむい7号」
S-901が2両編成なので、奇しくも特急「カムイ」と同じ5両編成になっています。

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特急「おおぞら2号」
函館~釧路を結んでいたので、札幌駅では給水作業を行っていました。

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オヤ31 32
札幌運転区所属の車両ですが、どうしてまた札幌駅に。年末で里帰り?まさか。

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特急「おおとり」
「おおぞら」同様、函館~網走を走る長距離列車です。L特急のない北海道の特急列車には食堂車が必ず連結されていました。

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121列車 ED76 513
函館を早朝に出発し、旭川に夕方到着する長距離鈍行。50系客車登場前で、北海道には10系座席車は居なかったので、客車列車と言えば旧客ばかりでした。

昭和49(1974)年12月26日 札幌駅

その翌日、早起きして紅葉山に行きました。冬休みということもあって、爆煙狙いのファンが大勢紅葉山駅構内でカメラを構えておりました。その日の下手くそな写真はすっ飛ばして、そして大晦日、今度は植苗へ足を運びました。
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07:44 222列車 C57 44 遠浅→沼ノ端
沼ノ端ではよく撮影した222列車。時間がなかったので、植苗駅から走ってやってきて、何とか間に合いました。札幌に比べると雪は少なめです。
この辺り、今はもうすっかり森林化しており、立入はままなりません。D50が石炭列車を牽いていた頃には下り千歳線すらありませんでした。

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08:23 遠浅←沼ノ端 223列車 C5738
湿原の中から。夏場はぐちょぐちょですが、この時期なら凍っていて足場になります。

ということで、ちょっとは新年っぽい写真でしめてみました。43年前の大晦日ですが。

昭和49(1974)年12月31日

ゆうべは少しだけ紅白を見ました。チコちゃんは5歳児なので、夜遅いのに大変だったと思います。最後にユーミンSASが登場し、紅白だか何だか分からなくなりました。桑田さんはNHKを意識して若干抑え気味にヒートアップしていましたが、ユーミンは随分おだってましたね。そういえばむか~しむか~し、ニッポン放送の深夜番組、「中島みゆきオールナイトニッポン」にゲスト出演したユーミンは、あろうことか独身のみゆきさんに「ねえ、セ〇クスってどうしてるの?」とストレートに質問。しかし年長のみゆきさんはうろたえることなく笑って一言「あたしアイドルだから💛」。それもどうかと思うけど・・・。昔から結構、下世話なおばさん風なユーミンではありました。