ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

城端線に乗ってはみたものの

高岡に到着すると、城端行きの普通列車は既に乗客を待っておりました。でも目につくものを見過ごすのも勿体ないので、取り敢えずシャッターを切っておきます。再掲画像もありますがご容赦を。っつか、ここ数日間の記事そのものが書き直しなんですけどね。

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DD13 649
番号としては最後から3番目です。最終は651号機ですから。重連タイプなので、前梁がちょっと賑やか。旋回窓ではないけれど、スノープラウが重厚感を醸し出しています。

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スエ71 68
救援車。70番代はいわゆる戦災復旧車。スエ71は様々な形式を種車としており、68号はマニ76 10からの改造車。と言われても、マニ76って何?扉上部の屋根に取り付けられた弧を描く雨樋が、何か古いっぽい電車のようです。で、マニ76 10もまた改造車で、種車はオハ71 79。と言われてもどんな車両かは想像もつきません。でも、戦後の混乱期、多くの人たちを乗せて日本の復興を支えたのでしょうねえ。すごいぞ日本、すごいぞ国鉄

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雨が降っているのでそうそうホームにもいられません。客車に乗り込みます。この三日間、とうとうお天道様を拝むことはありませんでした。

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一応、乗る列車の姿を収めておきます。
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お姉ちゃんに睨まれている?車番とサボを撮ってるだけだから。ホント、うん、間違いない、多分。

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城端線乗車では、旧客が奏でるジョイント音と車内アナウンスを生録することが目的だったので、城端線の写真はこれだけ。しかし、せっかくの生録も、往路では割と近くに座って来たオッサンが、やたら咳き込んだり洟すすったりカーッ、ペッ!やったりと、なかなか素敵ではない音を沢山残してくれたので、萎えてしまいました。もう夏休みに入ったと思うのですが、地元の通学生もそこそこ乗車して、席を移動することもできませんでした。復路はあまりいい席に着けず、これも不調でした。

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金沢駅 急行「能登路4号」(到着)
生録が残念な結果となり、その日の天気のように泣きたい気分でしたが、まあ仕方ありません。帰ります。高岡から「雷鳥10号」に乗車して金沢に到着。「雷鳥」の写真は撮っていません。

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お座敷列車が臨時運転されていましたが、隣に貨物列車が停車していたからでしょうか、形式っぽい写真は撮っていません。

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能登路」に代わり、七尾行きの335Dが入線していたのか、それともその後の342Dが到着していたのか、不明です。この車両は何でしょうね。過去の記事でもちょっと触れたキユニ26でしょうね。どうして側面を撮っていないんだ!

金沢を発ったのは15:31発の「しらさぎ10号」なのですが、それまでの5時間半もの間、一体何をしていたのか、記憶が空白になっています。で、カビの生えかかったような日記を取り出して読んでみたら、あらこんなことやっていたのね、と少しだけ記憶が蘇りました。鉄ちゃん以外にも青春をしていた頃の、遠い過去の自分の姿が仄かに目に浮かびます。あ~懐かしい。

昭和58(1983)年7月17日