ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

324列車乗車 でもゴミだらけで失礼

この二日間の雪ハネで、両腕が厳しい状態になっています。肘を机に載せたまま記事が書けるキーボードは本当にありがたいです。これがもし筆書きだったら、字はヨレヨレで大変なことになっていました。

さて、南稚内から旭川行きの324列車に乗車します。もともとはC55牽引の列車なのですが、置き換え用にはるばる本州からC57 87やC57 130、C57 186などがやってきて、すでにC55の安定的活躍の場は失われていました。そして実際、この日も、前回の写真にあったように、C57 87が牽引にあたっていました。
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08:04 南稚内駅 324列車 C57 87
C55目当てだったY君のボヤキが耳に残っています。

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南稚内→抜海
残念ながらこの日は利尻富士を拝むことはできませんでした。

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09:28 下沼駅 1391列車 19612 と交換
2枚目のコマが、なんだか酷いことになっています。膨張するオーブのようです。

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11:10 佐久→神路
まだ神路駅があった頃です。どうせなら、駅の写真を撮っておけばよかった。国道とは吊り橋で行き来できたような気がします。

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13:01 名寄到着
跨線橋から名寄機関区の扇形車庫を望みます。庫の中は機関車で一杯。でもみんな火を落としているようです。

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ホームからも休車のD51 866と39679が見えます。39679は後に復活し、追分駅で国鉄最後の蒸機の1両として散りました。(他は49648と79602。)

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13:12 321列車 C57 130
そして名寄駅の見せ場、321列車と324列車の列車交換です。実は両列車とも全駅に停車するわけではなく、快速列車並に1/3ほどの駅をすっ飛ばしてゆきます。

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初めて見る門デフのC57にかなり感激。C55よりも嬉しかったです。後に知りましたが、短期間の運用にもかかわらず、せっかくの門デフも、切り詰めが施されていました。コの字手摺も、いかにも北海道のカマといった風情です。でも、ステップが前端梁に移設されなかったのはちょっと意外です。

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稚内まで、まだ180kmもの道のりが待ち受けています。しっかり給水。

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14:39 剣淵駅 1397列車 D51 954
宗谷本線では、D51が名寄まで入線しており、そこから先は9600の独壇場です。元胆振縦貫鉄道のD5101~D5105は、D51 950~954号機と改番され、955~1000は空き番となっています。

旭川到着は15:44、稚内からの所要時間は7時間48分。何て贅沢な汽車旅だったことでしょう。

昭和49(1974)年9月29日

昨日、ヤフオクで落とした国鉄時代の「北海道時刻表」3冊が届きました。うち2冊は「業務資料用」の黒文字が表紙にバ~ンと印刷されています。国鉄内部で使用したものであることを示しており、車掌をやっていた私の父が、古くなったものをよく家に持ち帰っていましたので、何冊かは手元にあります。中身は市販品と全く同じです。この時刻表は日本交通公社が発行しているものですが、お馴染みの全国版時刻表にも国鉄版があって、背に「日本交通公社」の代わりに「日本国有鉄道」と印刷されており、こちらは中身の宣伝部分が一部端折られていたり、中の記事が背表紙になっているものもあり、市販品とは異なっていました。それにしても、届いた時刻表はとても状態がよく、保存版といえるような美品です。それでいて、開始価格で落札できてしまいました。当時の発売価格よりも安くです。同じ出品者が同時に出品していた弘済会の道内時刻表の方はどれも結構値が釣り上がっていましたが、もしかして日本交通公社の北海道時刻表は、あまり認知されていないのかもしれません。