ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

テレプラス大活躍ですが

新琴似駅での撮影に続き、その翌日には市電の撮影にテレプラスを使用しまくりました。
場所は「交通局前(現 西15丁目)」~「西線6条」の歩道橋
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ディーゼル動車改造かと思わせるような、前面下部の切り欠きが特徴。どうしてこのような構造にしたのかは分かりません。

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軌道工事が行われていました。工事名は後の写真の工事看板に写っています。

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花電車 カラーでないのが残念。でも今の技術ならカラーにできちゃう。アメリカが制作した、古いモノクロ映像をカラー化した近代アメリカの歴史番組を、昨年NHKがBSで放送していましたね。1920年代のカラー映像にはビックリ。

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救助網が印象的な22号ですが、実際にこれで救われた(掬われた?)人はいたのでしょうか。

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花電車に続行して22号がやってきました。屋根の造りがまた何とも味があります。

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明治生まれと昭和生まれの電車が行き交います。

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歩道橋を降りたら、犬が単独散歩していました。堂々としたものです。この当時は野良犬をたまに見かけましたが、この犬はどう見ても野良ではなさそうです。

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プチ花電車の250形
ここからは50mmレンズ+テレプラスです。

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工事看板には「山鼻西線軌条枕木更換工事」とあります。「交換」ではなく「更換」なんですね。保線の業界用語のようです。「架線(かせん)」を「ガセン」と読んだり「隧道(すいどう)」を「ズイドウ」と読んだりするにも同じようです。

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花電車と22号が連なって戻ってきました。「渡辺写真館」は現在は「ワフスわたなべビル」となっており、薬局だとかが入っています。

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電棍(ポール)を結ぶワイヤーをガッチリ握りしめています。今の今まで気づきませんでした。

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先回りして創成学校前(現 資生館小学校前)電停付近で22号を迎えます。

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ず~~~っとワイヤーを持って、離線しても、電棍が跳ね上がらない様にしているようです。どこかに固定すればいいのにと思うのですが。

やはりテレプラスを使うと50mmレンズでも画質が損なわれます。因みに、この頃には39~80mmのショートズームを使っていないので、引き伸ばし機を購入して、その時に下取りに出したのかもしれません。奨学金はほとんど鉄道撮影の費用に回していました。

昭和52(1977)年8月6日