ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

ゲバ字列車

蒸機引退後も国鉄の違法ストは繰り返され、車両への殴り書きは後を絶ちませんでした。醜いけれども、開き直って撮影しちゃいました。落書きの意味は、当時は政治に何の興味もなかったので、今、ググって調べたものです。全然深みがありませんね。

13:52 厚別←大麻 急行「宗谷」306D
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前2両は、落書きが消された後のようです。3両目から最後尾の8両目までがヤられています。

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「悪質な列車妨害鉄道謀略粉砕!」
自分たちがその張本人であるという自覚がないのでしょうか。

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「道南ナイキ基地粉砕!動力車」
長沼町に「ナイキ地対空ミサイル基地」を建設するにあたり住民が反発。その建設を阻止すべく、自衛隊違憲性が裁判で問われました。結果的に最高裁は原告の訴えを退け、自衛隊違憲性について触れることはありませんでした。

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「日韓疑獄 弾劾!」
金大中氏(後の大統領)誘拐拉致事件のことなのでしょうか。当時の韓国大統領、朴正熙朴槿恵の父ちゃん)が自身の立場を危うくする人物として金大中の暗殺を実行するも失敗。身の危険を察した金氏は日本へ逃走。しかしKCIAに拉致されてしまうのですが(数日後に解放)、それに日本政府(田中角栄首相)が関与していたという疑惑、のことでしょうか。軍事力を背景に君臨した朴政権でしたが、日本とはうまくやっていこうという雰囲気はあったようです。それに反発しているのが今の文政権なので、当時締結した日韓請求権協定も無視して日本叩きに躍起になっています。

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「10.21国際反戦闘争を闘うぞ!」
昭和41(1966)年10月21日に、米軍によるベトナム北爆への抗議集会をきっかけに、毎年10月21日を国際反戦デーとして大規模な反戦集会が実施されるようになりました。共産党社会党、学生組織などの右翼・左翼が入り乱れ、機動隊を交えての大乱闘、お祭り騒ぎになったそうです。

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「日韓疑獄弾劾!岩内原発建設阻止!」
岩内原発とは泊原発のことです。

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三里塚ジェット燃料 貨物輸送阻止」
成田空港の建設を巡る、貨物列車運行妨害です。
沖縄の辺野古基地建設反対運動とは比べ物にならないほど、当時の反対運動はすさまじく、殺気だったものがありました。それだけに国も建設を急ぐあまり権力を最大限に行使し、武力によりマジで潰しにかかっていました。その手法は、今では公共事業を進める上での反面教師となっているようです。空港建設が進むと、そこへのジェット燃料輸送を貨物列車で行う決定に動労千葉は反発し乗務を拒否。国の横暴に対して労働者目線から成田空港の運営を阻止したものですが、一途な正義感はえてして全体を見誤るもの。漫画「DEATH NOTE」では高校生の夜神月が、強い正義感からDEATH NOTEを使って凶悪犯罪者を次々に殺すのですが、やがて自分の行為を否定するものが現れると、罪なきそれらの人々をも殺害するに至ります。動労も、浅はかな人権思想から多くの国民を人質に自分たちの思想を押し付けたに過ぎません。過激派組織による襲撃事件も起こるようになるなど(ジェット燃料輸送のDD51も襲撃されました)、成田空港を巡っては反戦運動とも絡み、日本国内に暗い影を落とす時代でした。

では、ここで心安らぐ列車をどうぞ。
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13:55 厚別→大麻 特急「おおぞら2号」
堂々の13両編成。旭川行きと釧路行きが併結されての運転で、滝川から分離運転となります。

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13:58 厚別→大麻 単6127列車 ED76 504
機関車牽引列車が貨物列車と事業用列車とSL列車・ノロッコ列車だけとなった現在、単機列車もあまり目にすることはなくなりました。

昭和52(1977)年10月22日