ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

吹雪の新琴似駅

今朝の札幌は結構冷え込んだようです。朝、雪掻きをしていると鼻毛が凍りました。何年ぶりでしょう、札幌で鼻毛が凍るのは。でも、小学生の頃は、札幌市内でも朝方にはダイヤモンドダストが見られましたし鼻毛も日常的にくっついていました。この時期、宗谷本線や釧網本線沿線ではどうということのない寒さなので、ちょっと騒ぎすぎのような気もしますが、それだけ札幌も都会になって、人間がへなちょこになってしまったということでしょうか。

ほんで、せっかくの寒さなので、吹雪に見舞われても元気に撮影に行っていた頃の写真です。
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15:15頃
すでに8692列車は新琴似駅に到着しておりました。ネガの状態不良で、なんだかシミ状のムラがあります。おまけにキズもありますが、面倒臭いので、レタッチなしで勘弁してね。

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15:27頃
629Dが到着します。新十津川行きですぞ。

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踏切で雪を跳ね飛ばすかもと思って咄嗟にカメラを向けましたが、跳ね飛ばす雪は何もなかったさ。

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なかなかの降りっぷりです。勿論、傘なんか差しちゃいません。この当時は、雪の日に傘を差す人はほとんどいませんでした。むしろ、そんなことは恥ずかしいと思っていたほどです。キズ一直線。

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分岐器を転轍しにやってきました。機関士か機関助士かは分かりませんが駅員ではないようです。マラソン選手でもありません。

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しっかり現像ムラをやらかしています。酷いものです。ASA800に増感していたので粒子荒らし。ネオパン400だったか。

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分岐器は電熱で雪を解かしています。本州のようにカンテラなんざあ使い物になりません。

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15:30過ぎ
8692列車発車です。牽引機はDD13 609。新琴似4番通りの踏切通過です。今は西5丁目樽川通と呼ぶらしい。新琴似1番通り(新琴似2条通)から6番通りまでの中で一番交通量が多く、拡幅されて片側2車線の道路になっています。

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タンク車はLPガス専用車のタサ5700形式のタサ25718。番号は、5799の後は桁が繰り上がって15700へ、15799の次は25700となっていました。ややこしい。新琴似駅からの返空です。

雪にも寒さにも負けずに撮影していたのも今は昔。今じゃPCの前でぬくぬくとブログアップするのが関の山です。

昭和53(1978)年1月20日

先日、ヤフオクで雑誌「レイル」を落札しました。今の「レイル」はA4近いサイズで古本も高値で取引されていますが、入手したのは月刊誌時代の創刊号から25号までで、大きさはB5ほどのサイズです。まとまって、しかも格安出品だったのに開始価格で落とすことができて非常にラッキーでした。状態も良好です。他の鉄道誌に比べると古い内容の記事が豊富で、懐古ファンにはうってつけの雑誌です。学生時代に発刊されていましたが、他誌に比べると薄いのに定価は高かったので、手が出ませんでした。後に姉妹誌である「マイレイル」が発刊され、こちらは大判で若者向けの内容だったものの、やはり値が張っていたので、入手したのは社会人になってから古本屋ででした。プレスアイゼンバーン発行の本はどれも高価ですが、ヤフオクでは模型誌の「とれいん」だけは格安で出品されています。なんでかな~。模型誌とはいえ「とれいん」にも模型資料として実車の記事があるので、それらには興味があるのですが、索引や目次といった内容の把握できるものがないので、なかなか手が出せません。