てくてくてくと、ようやく夕張川橋りょうに到着しました。
貨物列車の運用は分かりません。貨物時刻表をお持ちの方は調べて下さい。
ホントに単機運用は多かったです。
やはりグリーン車もない6両編成は特急列車としての貫禄がありません。そのスタイルが今でも「カムイ」や「ライラック」に受け継がれているというのは、ある意味大したものですけど。先見の明があったということで。
16:45 江別→豊幌 121列車 ED76
函館を06:20に出発し、旭川には19:50の到着。420kmあまりの行程を毎日こなしておりました。
臨時列車だったのか、時刻表(5月号)には載っていません。
追記:TE様より9821列車ではないかというご指摘がありました。余市発岩見沢行きの夏季臨時列車だそうです。帰りの海水浴列車だったのかもしれません。ただ、札幌駅で121列車を追い抜くスジだったのに121列車の後にやってきたのが気になります。121列車はED76牽引で通過時刻もスジ通りなので、両者を間違えているということも考え辛いです。単に遅れただけということにしておきましょう。TE様、ありがとうございました。(2月12日記)
16:58 江別→豊幌 下り急行「宗谷」
当時の急行列車はどれもこれも似たり寄ったりで、普通列車よりも面白みはありませんでした。
17:06 江別←豊幌 830列車 ED76
これも長距離で、網走発06:13発の522列車が、旭川から830列車と列車番号を変えて札幌へ。札幌からは今度は834列車となって小樽到着が18:56。列車番号は変わってもそのまま網走から小樽まで通しで乗車することができました。
17:17 豊幌←江別 3541D
ここで江別駅へ戻ることにします。
これぞ知る人ぞ知る、最長急行列車。根室発08:30、函館着23:05です。勿論、山線経由。根室~釧路間に設定されていた急行「ノサップ」は下り3本、上り2本で、この「ニセコ2号」は1本足りない上り急行「ノサップ」の代わりだったようです。だからこの区間に下り「ニセコ」は設定されていませんでした。根室~釧路間はグリーン車を中間に挟んだ3両編成(グリーン車のみ指定席)で、釧路から自由席車2両、指定席車3両からなる5両を増結し、8両編成となって函館に向かいました。
この上り「ニセコ2号」は前日の下り「狩勝2号」から引き継ぐ運用で、釧路で切り離された3両が「ノサップ3号」(グリーン車は自由席)となって根室まで足を伸ばして、それが翌朝上り「ニセコ2号」となりました。
このまま線路伝いで戻りました。国道には線路から離れた側にしか歩道がないので、撮影には不向きだったからです。
17:42 江別→豊幌 下り特急「おおとり」
7両と短い編成でも、グリーン車も食堂車も連結されています。当時の特急列車は全席指定で、なかなか気軽に乗れるような列車ではありませんでした。
遠くに王子製紙の煙突が見えてきました。同行のA君がはしゃいでレール歩きをしています。良い子も悪い子も真似しちゃ駄目です。死にます。
おっとお!9両編成です!慌てて後追い撮影がやっと。運用なんて分からないので、その時に出会って「こんなのがあったんだ」とちょっとは驚くものの、ものの数分で忘れてしまい、その後の撮影に活かすことはありませんでした。アホです。実際、この9両編成はフォトショップに読み込んで初めて気づいたほどですからね。40年以上も忘れていました。時間帯からして、陽の長い時期にしか撮影できない貴重な列車だったのにね。
ということで、どうしようもない天気はともかく、撮り方も現像処理もかなり残念な結果でありました。国道12号線の夕張川橋梁の様子もちゃんと撮っておくべきでした。沿線風景も貴重です。
再びこの地を訪れるのは、実に20年近く経過してからでした。
昭和53(1978)年7月22日