ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

のどかな日の伊藤さんちの裏で

のほほんと撮影するには格好の場所でした。伊藤さんちの裏は。駅の東側ほど列車の頻度はありませんが、車は滅多にやってこないので静かだし、たまに客車や荷物車の入換があって雰囲気に変化もあったりして。真夏なら木陰がとっても涼しい。

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12:04 桑園←札幌 回1024D
回送とはいえ、「北海」以外のなんちゃって特急列車も走ります。

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12:08 桑園←札幌 回322列車 ED76 520
これは酷い写真だ。列車の編成がさっぱり分かりません。322列車は名寄発05:42、札幌着11:57の普通列車。名寄~旭川間は、快速列車のように半分近くの駅を通過しますが、函館本線内では通過駅は豊幌のみ。のんびりしていた昭和の時代。

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回322列車の脇に留置していたキハ22から液体が滴っています。乗客の仕業ではありません。

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車内の整備を終えて札幌駅に入線します。急行「なよろ2号・大雪3号」になります。「なよろ2号」には自由席のグリーン車が連結されるので、前3両のキハ56系がそうなのでしょう。すると、最後尾の液体じょろじょろのキハ22が「大雪3号」ということになります。貫通扉が開いているという事は、駅で増結するのかもしれません。車両の運用は分かりません。「なよろ2号」は終点が名寄ですが、「大雪3号」は旭川で「なよろ2号」と分かれた後、遠軽まで急行列車として走り、遠軽からは1634Dとなって、名寄本線経由で終点の興部へ向かいます。そのまま突っ走れば名寄に到着するのに。

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12:23 桑園←札幌 急行「らいでん2号・いぶり」
伝説の循環急行「いぶり」を併結しています。4両しかありませんが、小沢で岩内行き4943Dを切り離し(おそらく最後尾の1両)、倶知安では「いぶり」を分離し(おそらく最後尾の1両)、残った編成(おそらく2両編成)は934Dとなって終点の上目名まで走ります。上目名折り返しというのはどういうことなのかよくわかりません。誰も乗りそうにもないのに。一方の「いぶり」ですが、急行のまま胆振線を抜けて伊達紋別に出て、ここで洞爺からの急行「ちとせ9号」に併結します。この時点でグリーン車は連結されていません。東室蘭では、室蘭からの595Dを併結して、ここでめでたくグリーン車が登場し急行列車らしい姿となって、終点の札幌を目指します。出世して故郷に錦を飾るみたいな列車でした。

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12:26 桑園→札幌 529D(小樽発札幌行き)
何か急行列車の雰囲気を漂わせていますが、札幌からはそれらしき列車は見当たりません。はて?・・・と思って時刻表とにらめっこして。あ、あった。上りの急行「かむい2号(旭川発)・ましけ(増毛発)」が札幌から普通列車となって小樽へ向かい、その折り返しとなった列車でした。札幌からは苗穂機関区へ回送されたでしょう。

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12:30 回1211D
先の写真とは別の列車です。これは札幌から急行「ちとせ5号・えりも2号」になります。洞爺・室蘭・様似行きです。

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12:32 桑園←札幌 回6864M
どの列車からの回送なのか、該当する営業列車が手持ちの時刻表には見当たりません。季節列車番号なので、臨時列車なのでしょう。因みに864Mというのは1時間後にあります。

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12:38 桑園←札幌 858M(札幌発小樽行き)
当時は普通電車といえば711系のみ。撮影していて面白みはありませんでした。目標といえば、全車両を撮影するかオデコの前照灯が設置される前の姿を押さえておくかといった程度で、9両編成は意識の外にありました。意識が低いと撮り損なうものが多過ぎですね。のほほんも、いい加減にせにゃあ。

昭和53(1978)年9月5日