ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

富山へ向かう途中

富山へは出張で出かけたのですが、金曜日ということもあってちゃしっかりカメラを持参しました。仕事で使うという言い訳も利くし。でもなんでズームレンズが必要なんだ?と問いただされたら、うっかり持ってきちゃいましたと答えよう。一人出張は気楽でいいです。しかも周遊券を使ったので、出張で支給される交通費との差額分を飯代に回すことができるし。はっきり言って、撮影のついでに仕事といった感じでした。金曜日は打ち合わせ1時間でお仕事終了。その後、営業の人に連れられて飲み屋へGO。慣れないお酒を飲んでホテルに戻った時にはかなり酩酊していたけれども、翌日からの撮影計画を立ててから就寝。仕事以上にちゃしっかりしてます。

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土曜日、富山駅でちょこちょこ撮影した後、「雷鳥8号」「しらさぎ6号」と乗り継いで福井に到着し、駅およびその周辺で京福電鉄(現 えちぜん鉄道)の車両たちを撮影し終えて、「しらさぎ7号」で再び富山へ戻るところです。周遊券をガッツリ使う算段です。

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どこぞの駅。文字だけのヘッドサインはシンプルで好感が持てると今にして思います。

で、富山に戻ってきました。すでに16時を回っていました。
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EF81のトップナンバーが待機中です。上の写真にはさり気なくタンク車が写っていますが、下の写真はそのだいぶ後に撮影したので、すでにタンク車の姿はありません。

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サハネ581のトップナンバー。
因みに581系では、寝台兼用の1等車用腰掛の開発に間に合わなかったことからサロネ581は作られませんでした。サロ581もありませんでしたが、583系が登場する頃になると、昼行特急でグリーン車がないのは問題だということで、サロ581が製造されることになりました。後にサロネ581が、サハネ581からの改造によって誕生しますが、A寝台兼普通座席車というサロネハみたいなことになっています。

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最後尾のクハネ581-7には貫通扉がありません。事故で前頭部を破損し、その修繕の際に、隙間風で乗務員から不評だった貫通扉構造を止めたのだそうです。

昭和57(1982)年6月26日

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光ディスクを収納する5mm厚の薄型ケースをだいぶ処分しました。燃えるゴミの日に、大抵の場合ゴミ袋には余裕があるので、その中に20枚ほど入れて出しておったので、この2か月ほどで400枚近くを廃棄しました。
DVD-RやBD-Rなどを10枚単位で購入するたびにケースはどんどん増えるばかりでした。このケースは多くが透明なのですが(白いものもあった)、光を透過するため保管上好ましくないと思い、仕事で使う際は黒っぽいものを別に購入しておりました。現在は、CD-RもDVD-RもBD-Rも、50枚ないしは100枚のスピンドルケース入りのもの、または単にラップしたものを購入しているので、余計な薄型ケースは増えずに済んでいます。それでも色付きの薄型ケースも余分にあるので、いずれ処分することになるでしょうか。年間、光ディスクは500枚以上は焼くので(今年すでに300枚焼きました)、もうそろそろ光ドライブがくたびれてきているのかなと、別の心配をしています。