日高本線にトマサホが入線するというので夜明け前に家を発ちましたが、いささか早過ぎたので、途中、まだ立ち寄ったことのなかった勇払駅を訪れました。雲が厚く垂れこめ、何とも陰鬱な朝なので、一瞬、廃駅かと思ってしまいました。
駅前が広い空き地なので、侘しさを一層漂わせてポツンと建つ駅舎。ご覧の通り窓が塞がれ、廃駅ムードを発散させています。ストリートビューを見ると、2018年現在、この建物は健在のようです。
かつては貨物を扱い、専用線が近所の製紙工場まで伸び、入換賑やかに、乗客も多く、さぞや賑わった時代もあったのでしょうね。
駅裏の構内に入ります。珍しく柵がなく、どこからでも自由に出入りできます。かつてはこの立ち位置にも線路が敷き詰められていました。
画面の右端にホームがあります。かつては何本かの線路を跨線橋で跨いで、ホームへ行き来していました。棒線となった今は、舗装道を歩いてホームへ出ます。
改札を抜けて左手に折れると、跨線橋の階段があったようです。
今はガランとした構内ですが、かつては線路が敷き詰められ、貨車が何両も留置されたり入換があったりしたのでしょうねえ。機関車はC11やC56だったのでしょうか。
ホームを挟んで線路があり、列車交換ができました。ホームの幅の広さから、当時の利用客の多さが想像できます。石狩月形駅よりもずっと広いです。
ホームから様似方面を向いて駅舎を臨みます。ホームの先に見える建築物は、地下道への入口の覆いです。位置的に考えて専用線がなくなった後に作られたもので、必要性を全く感じません。第四種踏切で十分に思えます。
更に苫小牧方へ移動します。駅名標を入れて。
屋根が残っていますが、待合室やベンチなどもあったのではないでしょうか。
苫小牧方面を振り返ります。ホームは意外にも荒れることなく整っています。地元の人が手入れしているのでしょうか。
ホーム端から苫小牧方面を臨みます。線路が屈曲しているのは、かつて線路が何本も分岐していた頃の名残なのでしょう。左側の空き地がヤード跡です。すっかり暗い気分に浸りきった後、気を取り直して撮影地の判官舘目指して車を走らせたのでした。
平成10(1998)年4月19日