ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

何のために北海道にやってきた?

前回の続きになります。
勇払駅を後にして国道を走って新冠へ向かいますが、途中鵡川を過ぎたあたりで電車を発見。なんでこんなところに?

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サハネ581-14

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サハネ581-36
14号~19号、36号の7両が、昭和62(1987)年3月25日~29日の間に青森運転所から札幌運転区へ転属されました。何のための転配だったのか不明ですが、後述のサロ481などと共に苗穂運転所構内で野ざらし状態が続き、サロ481で一部の台車が流用されただけでこれといった使い道もないまま廃車されてしまいました。

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サロ481-41
37号、47号、60号、63号、94号らと共に元向日町運転所の所属車で、昭和61(1986)年3月31日に一旦廃車になった後、何の因果か津軽海峡を渡り、昭和62(1987)年3月6日に晴れて札幌運転区で復籍します。とはいっても、サハネ581などと共に用途不明のまま苗穂運転所構内で長らく野ざらし状態が続き、結局は平成2(1990)年6月7日に再度、廃車宣告を受けました。民間に払い下げられた車両もありますが、写真の3両はこの6年後に横倒しにされ、悲惨な姿を晒すことになります。

この他にサシ481が1両、サハネ581やサロ481らと共に苗穂運転所構内に留置されていたようですが、番号は分かりません。ただ、「北斗星」用の食堂車としてサシ481-67、75、76、50が、スシ24の501、502、503、508に改造されていますので、そのうちの1両だったのかもしれません。

平成10(1998)年4月19日

GT-X980でのポジフィルムのスキャン作業は順調に進んでいます・・・と言いたいところですが、ピントの調整が良く分からないという状況に陥っています。5段階でフィルムホルダの高さを微調整できるのですが、最初に合わせたものが、その後、何かずれているような気がしてきて、夕べ調整しなおしました。そしてこれでOKと思ったのも束の間、マウントをセットした場所によってピントが合ったり合わなかったりにも見えてきました。フィルムの反り具合も影響しているのかもしれません。そうなると1コマずつ調整するのは困難ですので、フィルムホルダは中間の高さに固定して、ピン甘写真はアンシャープマスクをかけて誤魔化すことにしました。本日の画像にもしっかりアンシャープマスクかけています。