ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂 踏切撮り

沿線で、通過する列車を片っ端から撮影するのはとても久しぶりだったので、何だかヤケに新鮮な気分でした。

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苗穂観察に励まれる皆様ならよくご存知のあの踏切であります。沿道の様子が今とは全く違います。現在、左は札幌厚生病院に、右は駐車場になっております。苗穂駅界隈には多くの倉庫が建ち並んでいた時代です。

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普通電車の主力は711系函館本線、千歳・室蘭本線で絶賛活躍中でした。左手はLPG輸送の貨物線で、この立ち位置は踏切と踏切の間になります。

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11:39 北斗8号
ハイデッカーグリーン車と爽やかな新特急色で、北海道の特急列車網に新しい息吹を感じたものです。82系気動車もまだ臨時運用で細々ながらも残ってはおりました。

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現在の快速「エアポート」の先駆けとなった快速「空港ライナー」。新形式の721系は空港利用客輸送に投入され、転換シートということもあってか、人気は上々。新千歳空港ができる前で、今の南千歳駅が千歳空港駅だった時代になります。

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11:59 ニセコエクスプレス1号
登場間もない頃で、千歳空港とニセコとの間で大活躍。

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12:01 ライラック9号
8連のライラック。「ライラック」が旭川~札幌~室蘭と結んでいた頃ですが、この9号は札幌始発。8連は臨時運用だった模様。

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12:04 北斗3号
ハイデッカーグリーン車のない「北斗」。ハイデッカーグリーン車の有無で運用は分かれていました。平床グリーン車ながらも、リニューアルされて「グレードアップグリーン車」と呼ばれていました。

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12:07 オホーツク2号
所定6両で運転されていました。グリーン車は従来のまま。お顔がだいぶ煤けています。

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12:13 フラノエクスプレス2号

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12:22 フラノエクスプレス2号
千歳空港と富良野とを結んでいました。札幌駅でスイッチバックしての運用は、かつての「おおぞら」や「おおとり」を連想させます。といっても「ライラック」や「ホワイロアロー」は年中スイッチバック運転をしていました。

後に785系化されて「スーパーホワイトアロー」になりますが、「ホワイトアロー」の始発終着は千歳空港や苫小牧だったので、厳密には後継とは言い難いかも。

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快速「マリンライナー」ですが、この当時は千歳空港まで運用されていました。後に札幌までの運用となり、最後は「いしかりライナー」に統合されてしまいます。

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12:31 ライラック10号
わずか1時間半の撮影でしたが、この二日後にまたやってくることになります。なんせ、しばらくローカル線の撮影ばかりだったので、これだけの頻度で列車が行き来する姿を目の当たりにすると、こちらも自然と生き生きしてきます。

昭和64(1989)年1月4日 札幌~苗穂