ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

深名線、C62亡き後は札沼線で

平成7(1995)年は、深名線の廃止と「C62ニセコ号」の運転終了というダブルパンチにファンは打ちのめされました。しかし、危機的状況はまだ続いておりました。キハ53形式500番代の処遇です。
深名線の運用を失ったことで、キハ53が残るのは札沼線だけだったのですが、その札沼線のキハ53も、扇形車庫付近に留置されていたのが気になっていました。しかしそれも杞憂に終わり、11月に入る前後から無事に札沼線に復帰してくれました。しかも深名線で走っていた旭川運転所の3両も加わって、もともと苗穂運転所の501号、504号と、502号、505号、507号の5両態勢となったのでした。もっとも、502号が走る姿は一度も見かけませんでした。

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15:12 新琴似←新川 571D
平成7(1995)年11月9日

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15:12~15 新琴似駅 1564D、571D
前日の雪はほとんど消えてしまいました。
平成7(1995)年11月10日

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15:11 新琴似←新川 571D
平日は5両編成ですが、土・日には3両編成に短縮されました。
平成7(1995)年11月11日

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15:11 新琴似←新川 571D
歩行者専用の踏切で。
平成7(1995)年11月13日

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15:10 1564D 新琴似←太平

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15:17 太平←新琴似 571D
複線化工事に伴い、下り線用の橋りょうを新設中。

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15:45 1573D 太平←新琴似
防風林の中を駆ける。
平成7(1995)年11月14日

この後もネガフィルムに入れ替えて571Dを中心に何度も撮影に出かけています。でも自宅の近場ばかりで芸がありませんし、天気も全然冴えずに、重苦しい雰囲気のものばかりです。ってな具合に、重く嵩張るビデオ機材に比べると遥かに楽っちゃ楽だったんで、写真でばかり撮影していたようです。しかしほどなくして、キハ53の運用は翌年3月のダイヤ改正で終了ということを耳にして、年明けからは俄然、ビデオで撮影しまくるのでありました。もう嵩張るだの重いだの言ってる場合ではありませんでした。