ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

呉羽で

呉羽化学工業という会社があって、会社の同期のヤツがよく話題にしていたこともあり、同じ呉羽だからという安易な発想から呉羽駅にやってきました。何か、名前もいい響きだし。私自身は呉羽には何の縁もありません。

直江津から乗車した「雷鳥14号」を富山で乗り捨て、普通列車でお隣の呉羽駅で下車しました。

ストリートビューを見ると、今でも駅舎のスタイルは変わっていないようです。

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呉羽駅には廃車されたEF70の姿がありました。

5万の地図でアタリを付けていた踏切へ向かいました。カーブしているからいいや、程度の気持ちで。
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12:24 富山→呉羽 雷鳥16号
北陸特急の代名詞的存在といえば「雷鳥」。「しらさぎ」と共に、初の交直流特急電車として昭和39(1964)年のクリスマスに481系の形式名を掲げて登場しました。本当ならその年の10月に、東海道新幹線と同時にデビューする予定でしたが、車両メーカーが新幹線車両の製造に追われて、481系の製造が間に合わなくなったからと言われています。今にして思えば、東海道新幹線は、建設開始から開業までのスピードも超特急でしたね。

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12:29 富山←呉羽 3981列車 EF81 122+EF81
予期せぬEF81重連。2台ともパンタグラフを上げているので、後ろの機関車にも機関士が乗務しているのでしょう。EF81基本番代車は総括制御はできませんから。

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12:32 北越2号
両端ボンネット編成。新潟発、金沢行き。一口にボンネット車といっても、番代などにより外観的差異があります。

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12:40 350M
富山発、米原行き。236.1kmを走る長距離ランナーです。

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12:54 雷鳥18号
三脚の位置、今ならアウトでしょう。

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13:11 雷鳥7号

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13:19 しらさぎ8号

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13:36 雷鳥20号 10分以上遅れて通過

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13:49 白鳥3号
こちらは大阪発、青森行きの正統派「白鳥」です。しかし、前の年の11月から食堂車が外されてしまい、寂しい編成になってしまいました。1000km以上も走るのに供食がないというのは・・・。

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13:50 352M
魚津発、米原行き。350Mを上回る261.6kmを走破。北海道なら函館から張碓付近までの距離。北海道の普通電車の最長距離は、小樽~旭川間の170.6km。

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13:56 荷4033列車 EF81 14
短いし、半分は貨車みたいな荷物車だし。

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14:09 しらさぎ3号
画期的な貫通構造を備えていましたが、国鉄時代に使われることはありませんでした。むしろ、冬期間は隙間風で乗務員からは毛嫌いされていたようです。

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14:25 北越
この年月の時刻表が手元にないので、1984年7月号の時刻表で列車を特定しているのですが、上り「北越」はこの時間帯に運転されていません。一体、何の列車だったんだか。この数分後に「白鳥2号」がやってきますが、撮影はしておりません。

以上、ご紹介したのは実際に撮影した列車の半分程度です。次から次と列車が通過し、でも1本でも取り逃がすのがイヤだから場所を移動することもなく、ず~っと同じ所で構えていました。
ストリートビューを見ると、まさにこの踏切の頭上を北陸新幹線が跨いでいます。そしてこの区間は特急列車が1本も走らない「あいの風とやま鉄道」となっているんですね。今更ですが、もうビックリです。

昭和60(1985)年2月2日