ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

黒部で

浦本から黒部に移動しました。多分、富山地方鉄道(以下、地鉄と表記)と一緒に撮影できるからだったと思います。因みに地鉄黒部駅ではなく、お隣の魚津駅国鉄に接続していました。

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13:30 生地←黒部 341M(福井発、糸魚川行き)
生地方面に歩いて、広々とした場所にやってきました。あまりに何もなくて、かえってフレーミングに困ってしまいます。フジクローム1600Dの粗さがひときわ目立ちます。これならASA400のフィルムを増感した方がいいのでは、なんて思いますが、ラボで対応してくれるかどうかは分かりませんし、結果がどうなるかも分かりません。

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13:52 電鉄石田←電鉄桜井(現 電鉄黒部) 地鉄
宇奈月温泉に向かう、本線を走ります。車両の知識は全くないのでググってみましたが、青に白帯2本の車両は名鉄からやってきたもので、モハ14710形(パンタ付き)+クハ10形と思われます。平成5(1993)年に引退した模様。

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13:59 生地→黒部 白鳥2号
今はこの辺りにバイパス道路ができて、風景は一変したようです。こちらはKRでの撮影。右側の陸橋は県道122号線でしょう。

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14:19 生地←黒部 白鳥3号
線路から離れても要領の得ない写真しか撮れないので、線路際に寄りました。だからといって、すんばらしい写真が撮れたわけでもありませんけど。

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14:35 生地←黒部 425D
富山発、泊行きの普通列車です。泊はさほど大きな駅でも、どこかに接続している駅でもないのに、どういうことでしょう。泊では40分ほどしてから430Dとなって富山へ折り返していました。

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14:41 生地→黒部 白山1号

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14:48 生地→黒部 234列車 EF81 16
汚い画質で恐縮です。

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14:57 生地←黒部 北越3号
こちらはKR。1600Dを使わずとも、これだけ露出が取れていました。シャッターは1/250です。

イメージ 1315:02 生地→黒部 荷4033列車 EF81 68
やはり4両という短編成です。

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15:13 電鉄桜井←電鉄石田 地鉄
県道122号線をオーバークロス。いつの間にか北陸本線を横断していました。左側の橋台の奥にも少し背の低い橋台が見えます。電鉄桜井と国鉄黒部駅とを結んでいた黒部支線の跡と思いきや、黒部支線はもっと向こう側を走っていたようなので違うのでしょう。じゃあ、何なの?
また黒部駅(当時は三日市駅だったかも)からは石田港へ向かう富山電気鉄道の石田線という支線も伸びていたそうです。石田線は地鉄の本線とクロスするのですが、どのように交差していたのでしょうね。

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15:31 黒部駅 427D
富山発、直江津行きの普通列車です。少年少女がいっぱい。

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15:49 滑川~水橋 雷鳥15号(360Mより)
かぶりつきで撮影。
糸魚川発、福井行きの360Mに乗車し富山へ出た後、「雷鳥28号」に乗り換えて敦賀へ向かいました。さて、敦賀では・・・

昭和60(1985)年2月9日

今まで防戦一方の日本に散々殴りかかって来た韓国に対して、「そんなことはもう止めましょう」と言って肩をポンと叩いたら「ウギャー」と大げさに痛いフリして被害者面してまた殴りかかろうとしている、そんなゲスな図が今の韓国。でも韓国の肩に載せた日本の拳はすでに「北斗の拳」と化し、韓国はビビリまくり。そのショックでショボイ日本ボイコット運動に現実逃避して世界の笑い者。王道を行ってるな。ギャグの。
朝鮮半島に台湾の人々が暮らし、台湾の島にアルカトラズ状態で朝鮮人が封じ込まれていたら、極東は、いや世界は、いやいや宇宙はどんなにか平和な世の中だったことでしょう。(笑)