ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月1日 直江津機関区

 

昭和43(1968)年6月2日 糸魚川機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51534

松任式の集煙装置と重油タンクを装備した山岳用スタイルが決まっています。

ATS用発電機が公式側に設置されています。ATS発電機は蒸気タービンで稼働します。消音器がキャブ屋根上まで伸びています。ATS、すなわち自動列車停止装置は、昭和37(1962)年に発生した三河島事故を契機に、列車の衝突事故を防止する目的で、昭和41(1966)年までに機関車、制御車の全車輛にATS車上子が装備されました。(線路には地上子を設置。)ATSを動作させるためには電源が必要なので、蒸気機関車の場合にはATS専用の発電機を設置しました。後付けの装置なので設置場所は一律ではなく、形式によっても様々な位置に設置されています。

公式側の缶胴をよく見ると、空気作用管がランボード付近を這っています。重油タンクの架台を避けるための措置なのでしょうか。

重油タンクを載せているのに、炭水車の増炭枠は大きめです。

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田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年6月30日 新鶴見機関区

 

撮影日不明 新鶴見機関区

前回話題にした砂抜き栓が未設置です。

 

昭和46(1971)年2月17日 下関運転所

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51533

幾分大きめであるAD66180図によるナンバープレートが、やや下側に取り付けられているせいか、剽軽な顔立ちとなっています。

下関運転所の姿は、入換専用機ということで前端梁に警戒色が入れられてはいるものの、何か全体的に艶っぽく、磨かれているように見えます。もしかすると単に雨に打たれ濡れているだけのことかもしれませんけど。

増設されたリブ付き末広がりエプロンは広島工場製でしょうか。

十字取っ手の煙室扉ハンドルは、大宮工場担当機関車の証。

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SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51531

長く鳥栖区で奉公していましたが、晩年は青森区へ転属しています。ここに画像は掲載できませんが、青森区では補助灯の追加、旋回窓の取付、キャブ屋根の延長工事などを受け、更に炭水車では増炭枠を撤去した上で重油タンクを設置、同時にタンク脇の炭水車上端にはあまり見かけない手摺も取り付けています。こうした東北機らしいフル装備となったのにもかかわらず、実働期間は僅か5か月ほどで、冬を迎える前に休車となったため旋回窓は未使用だったそうです。前端梁にスノープラウ取付ボルト孔がないままだったのは、その時期が来たら新規にスノープラウを製作するのに合わせて穴あけを施工する積りだったからでしょうか。

なお炭水車背面のステップは、その両脇に支柱を設けて梯子状に改造しています。

炭水車台枠に沿って2本のブレーキ管(上の短いのが炭水車ブレーキ管、下の長いのは列車ブレーキ管で連結器の方まで伸びています)がありますが、何故かその配置が変更されています。

因みに、リンゲルマン濃度計の取付金具は撤去せずにそのまま残っていたようですし、向かって左側の除煙板上部ステーはひん曲がったままでした。

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田中 泰三様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年11月22日 岡山機関区

 

昭和43(1968)年9月20日 鳥取機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51530

鳥取機関区の機関車の運用は、山陰線は豊岡~浜田間に加えて伯備線の米子~岡山間と広範囲なもので、他の機関区の機関車と競合していました。

中央部が開閉できる構造のスノープラウが珍しいです。どういう理由によるものなのでしょうね。

旋回窓は機関士側、機関助士側双方に設置されていますが、機関士側のは窓全体を前方に突出させているのが特徴です。鳥取区のD51によく見られるものです。

後部標識灯は前端梁に取付けるのみ。担いバネ付近に灯具掛けはありません。

砂撒き元栓の前方には突出した円筒状の部品がありますが、これは砂抜き栓で、砂箱の中の砂を抜き取る時に使用します。原設計には無かったものですが、1960年代に入ってから非公式側に取り付けられたようです。しかし本機のように公式側にも取り付けたものも少なくないようです。

 

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田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月1日 糸魚川機関区

 

昭和43(1968)年6月2日 糸魚川機関区

 

昭和44(1969)年9月14日 浦本付近

 

昭和44(1969)年9月14日 能生付近

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51529

松任式集煙装置とA形重油タンクを搭載する山岳スタイルです。かつて集煙装置は敦賀式を載せていました。

この機関車にも526号機と同様に担いバネカバー中央に短めのステーがあり、ATS用発電機は公式側に設置。炭水車の増炭枠は腰高と、同じ糸魚川区ならではの共通仕様でしょうか。ただ、正面ナンバープレートの高さが異うせいか、印象は異なります。

晩年は美祢線に運用を移しましたが、そこで乗務員2名が命を落とす脱線転覆事故に遭遇し、修理されぬまま廃車となった、ちょっと不幸な機関車です。

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田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和44(1969)年2月21日 稲沢第一機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51528

中津川区からの出戻りですが、集煙装置などは撤去済です。休車中のようです。実際、解放テコにぶら下げられた札には、ちょっと判別し辛いのですが、左2行は「ボイラ水なし  テンダ水なし」と読めます。

除煙板には吊り掛け用の穴が2カ所開いていますが、内側には吊環まで取り付けられています。さあ、どっちが先でどっちが後なのでしょう。

 

何か話題はないかと安直にネットで調べると、出てくるのは模型の画像ばかり。1/25スケールで日本国有鉄道が昭和54年に退職者の希望者に頒布したもの、なんだとか。大きい割には細密というほどのディテールではありませんが、モーター内蔵で、乾電池で動輪が回転するそうです。ナンバープレートの文字がなんじゃらほいレベルですが、それでも100台の限定品だったことから、稀少価値はありそうです。ただいま、メルカリに出品中です。

 

ここのところ、何をトチ狂ったのかと自分でも思うほど、鉄道関連の書籍をアマゾンやヤフオクで漁っています。その中で面白かったのは、昭和54年に竹書房から出版された「日本の駅」という国鉄駅舎の写真集。百科事典ほどの大きさで、布張りのケース入りといういかにも豪華本という体裁です。実際、定価は45,000円という横綱級で、2000部限定品です。掲載は有人の旅客駅を対象としており、その数、三千数百。前書きには「最新の写真」とあるのですが、実はそうでもないらしいです。というのも、この写真集、もともとは昭和47年に鉄道ジャーナル社が発行した同名の写真集が元になっているからです。それから7年が経過しているわけですが、その時の写真が竹書房版で必ずしも更新されていないようなのです。それはともかく、竹書房版では、鉄道ジャーナル社版の全てを再現しているわけではありませんが、「国鉄全駅ルーツ大辞典(事典だと思うのですが)」という記事が500ページもあって、鉄道ジャーナル社版の倍のボリュームになっています。価格は9倍以上ですけど。(鉄道ジャーナル社版は5,000円。)

結局、昭和47年頃の駅舎の写真ということで、木造のものが数多くあり、それだけで胸キュンになってしまいます。

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田中 泰三様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年10月16日 福知山機関区

 

昭和43(1968)年10月3.日 豊岡機関区 福知山機関区

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http://d51498.com/db/D51/D51527

鷹取式集煙装置、A型重油タンク、洗管用の受け口のついた給水温め器、除煙板点検口扉とその押さえ金具、前端梁の後部標識灯、キャブ前窓の長~い庇、変形な逆転機覆い。

下の画像ですが、機関車メインなので思いっきりトリミングしています。けれども原版には豊岡福知山機関区の雰囲気がそこはかとなく現れています。

給水塔、転車台、扇形車庫、あとよく分からん。