ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 17とC57 19 

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月 大分運転所

車歴は↓こちら。

C5717 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

よく言われるように、九州のカマは綺麗です。手を掛けています。煤まみれの北海道のカマは、それはそれで味があるのだけれども、ナンバープレートが煤けて番号が読めないのは困りもの。

SG管がランボードの縁に沿って前端梁まで引き回されています。バック運転で客車を牽引することが多かったということでしょうか。金沢時代か富山時代か、それとも大分にやって来てからかは分かりませんが。

 

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昭和47(1972)年5月22日 新津機関区

車歴は↓こちら。

C5719 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

回転式火の粉止めを載せているため、煙突が高く見えます。

後部標識灯がありませんね。

十字の煙室ハンドルが似合っています。落成時からこうだったのか、それとも検査の時に交換されたものなのか。

ちょっと分かり辛いですが、ランボードからドーム前方へかけての手摺がちょっとゴツい感じがします。

助士席前窓に旋回窓が取り付けられています。当然、機関士席にもありました。

鉄道資料館に200系新幹線とともに良好な状態で展示されているそうなので、模型屋さんはじっくりと観察して特定機の製作に励んで下さい。ナンバープレートは、新潟市鳥屋野公園に保存されていた時に盗難に遭いましたが、新たに製作したものが貼られています。旋回窓は保存整備の際に撤去されたようです。

 

 

Hi8ビデオのキャプチャを進めていますが、富士フィルム製のテープが8本中3本もブチ切れてしまいました。再生中に切れたものもあれば、巻き戻しの最中に切れたものもあります。どんだけ弱いねん。ケースをばらして切断したテープをノリでくっつけて、残り少ないリール側に貼り合わせた箇所を巻き込み、テープが多く残っている部分だけをキャプチャしました。一度だけ再生できればいいので、荒っぽくて手っ取り早い補修で済ませました。接着した箇所は絶対にヘッドに触れさせてはいけません。フジのテープはMPということもあって「テープ泣き」しないので安心していたのですが、切れるのはアカンでしょ。

C57 14とC57 16

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年2月1日

車歴は↓こちら。

C5714 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

かつてお召列車を牽引した経歴がありますが、その名残はこの画像からは伺うことはできません。左側のデッキスロープが跳ね上げられて、蒸気室端面が顔を見せています。スロープのステップ裏側がくり貫いてあるとは手が込んでいます。

前照灯がLP405なのはちょっと残念。「架線注意」札が中心に位置しないのは何故?

 

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昭和43(1968)年2月1日

 

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昭和43(1968)年3月21日 稲沢駅

車歴は↓こちら。

C5716 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

キャブのナンバープレートが形式入りとは。機関士側はどうだったのでしょう。ググっても別番号の画像しか出て来ません。

区名札の隣は運用札でしょうか。第55運用で321列車~228列車の次位(つまり重連ってこと?)~3201列車(※は何?曜日指定列車とか?)~224列車ってことかな。

煙室ハンドルの両側とその下に見える「ぽっち」は何でしょう。裏側に何か固定しているのでしょうか。

名古屋区の機関車の特徴といえば色付きナンバープレートが挙げられるでしょう。一般的には黒地ですが、名古屋鉄道管理局内では地域によって赤地、青地、緑地、黒地と塗り分けていたそうです。因みに大阪鉄道管理局では、調子の良い機関車を赤ナンバーとしていたとか。モノクロ写真が主流であった時代に、こうした「色」に関する記事についてその証拠となる写真があまり残っていないのは残念です。それだけに、日本国内をカラーで鉄道を撮影しまくった「J.WALLY HIGGINS」さんの功績は大きいです。(今年に入ってから勢いで写真集を5冊も買ってしまいました。)

 

 

昨日、ヤフオクで落としたデジタル8のビデオカメラDCR-TRV620が届きました。その前にアマゾンで購入した中古のDCR-TRV300は再生映像が出ない不良品だっただけに、このカメラには期待していました。しかし、このカメラでは悪名高きSONY製Hi8MEテープの再生は十分ではありませんでした。あの「テープ泣き」とともに映像乱れが多発しています。

数年前に何でそのカメラなら問題なく再生できることを知ったのか忘れましたが、300でほぼ完璧に再生してくれました。あの時は感激しました。それまで10台近くもビデオカメラやビデオデッキを購入しては落胆の連続でしたので。620は300の後に販売された機種だったので期待していたのですが、残念です。ヤフオクでは初号機の310なら沢山出品されているのですが300はたまにしか見かけません。(何故か後継機の方が型番が若い。)310の実力のほどは分かりませんが、数多く出品されている725は全然ダメです。

Hi8のビデオカメラでもCCD-TRV95なら綺麗に再生できたように思いますが、i-Linkなんて当然ついていませんからアナログ出力しかできません。今、PCにはアナログインターフェースではコンポジット入力端子しかないので、どうしてもi-Linkで取り込みたい。安物の業務用DVCAMデッキがあって、これを介せばi-Link出力が可能になるので全然問題はないのですが、いかんせん95は製造から25年も経っており、カメラそのものがちゃんと動作するのか、ヘッドがヘタレ切っているのではなかろうかと心配になるので、なかなか手を出せずにいます。でも、最終手段としては選択せざるを得ないでしょうね。

 

Hi8のSONY製MEテープは困りものですが、HDVもなかなか手こずります。自分のテープでは経験がないのですが、人様から預かったテープの中には映像が読み込めないケースがしばしば発生するのです。再生途中で画面が途切れ、タイムコードは一旦フリーズ。しばらくするとタイムコードは進み出すものの、デッキの液晶画面は真っ黒のまま。キャプチャをしているPCのディスプレイでは無信号の灰色状態。ある一定時間が経過してキャプチャは自動終了。なんでやねんとばかりにテープを途中まで戻して再生しても映像が出て来ません。どないなっとるん。

デッキは業務用HDVレコーダーのHVR-1500Aというヤツ。i-Link接続ではPCとのやりとりで塩梅悪いことが有るのかもと思い、今度は別のPCを使い、HD-SDI経由でキャプチャを試みます。HD-SDIって、なんかいかにもプロっぽい雰囲気じゃね。業務用のデジタルインターフェイスSDIのハイビジョン版で、i-Linkと同様にデジタル信号を扱います。ただし、i-Linkが双方向で信号をやり取りするのに対して「シリアル・デジタル・インターフェース」は一方通行。つまり接続コード1本だけではデッキからPCへ信号を送ることはあっても、そのコードを伝って逆にPCからデッキへ信号を送ることはできません。その分、不具合は起きにくいのではないかと考えたのです。案の定、実際にやってみると、途中で画面がフリーズして直後真っ黒になってもPC側はお構いなくキャプチャをし続けています。そのうち映像が復帰します。i-Link接続ではキャプチャもフリーズしてそのうち停止してしまいます。同時にカメラも停止。

とはいえ、HD-SDI接続でもやはり画面が出なくなる箇所がありました。そこで巻き戻して再生してもデッキの液晶画面は黒のままです。記録されているのに再生できないのは、GOP(Group of Pictures)という方式で記録するmpegのせいかもしれません。そのたびに一旦カセットをイジェクトしてからローディングしなおして巻き戻し、再生という手順を踏むと、再生画面が出ることが分かったので、その繰り返しで何とかほぼ全編をキャプチャすることができました。こんなトラブルを起こすのもSONYのテープで、しかも高価なあの「for HDV」の白テープです。SONYの高価なテープはことごとくトラブル魔です。ベータカムSPのテープもmaxell製にひざまづくレベルだったし。

HD-SDIでキャプチャした映像は複数のファイルに分断した状態なので、それをタイムラインに乗せて1本化し、XAVCのMXF形式で書き出しました。普通にプレーヤーソフトで再生できます。HDVのm2tで書き出すよりも何となく安心かなと思って。

断言しますが、一般のビデオテープは必ず劣化します。最上の保存方法なんかではありません。ファイル化して複数のデバイスや光ディスクに保存するしかないのが現状でしょう。

 

本編よりもなげ~よ。

C57 10とC57 11とC57 12

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年10月3日 福知山機関区

車歴は↓こちら。

C5710 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

重油タンクを背負う重油併燃機です。北海道でも狩勝峠を越える小樽築港機関区のC57は重油タンクを背負っていました。華奢でオシャレでイケメンなシティーボーイが、たちまち山男に変身といったところでしょうか。重油タンクの容量は650リットルだったか。

煙突の上端から後方へ垂れ下がるチェーンの様なものは一体何なのでしょう。

 

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昭和43(1968)年10月3日 豊岡機関区

車歴は↓こちら。

C5711 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

キャブ側面に明り取り窓が増設されています。

「消」の文字が入った円形プレートは消煙装置を搭載した機関車を示すものだと思います。その装置は九州地区の機関車に装備されていたもので、黒鉛防止に効果があったようです。正式には「蒸気エジェクタ式消煙装置」と呼ぶのだそうです(「RM Library No.66」より)。火室下部から圧力空気を送り込む装置で、黒鉛防止のほかシンダ発生防止にも役立ったようです。この11号機はかつて門司港機関区時代に特急「かもめ」の指定機であり、黒鉛防止は重要課題だったのでしょう。ランボードがキャブにブチ当たる下方、火室に円形状のへこみが見えますが、ここが消煙器B形の取り付け跡になります。

全体の画像がないのが残念ですが、K-7タイプの門デフを装備しています。煙突には集煙装置が据えられ、ドーム後方には重油タンクを載せ、更に冬期間はスノープラウまで装備し、「かもめ」牽引時代とは打って変わって野性味たっぷりの姿でした。

 

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昭和43(1968)年3月31日 米子機関区(浜田機関区かも)

車歴は↓こちら。

C5712 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

集煙装置を搭載しています。上り勾配区間でトンネル内を通過する際、煙にまかれて乗務員が意識を失って暴走し、重大事故が発生することがありました。集煙装置は、上に吹き上がる煙を水平後方に流してやり、機関車にまとわりつかないようにします。画像のものは鷹取工場製のものだと思います。除煙板も煙が機関車にまとわりつかせないようにするためのものですが、こちらはトンネルの外で、煙を上方へと吹き上げる役割をしています。蒸気機関車の魅力を引き立てる煙は、乗務員や乗客にとって厄介以外の何物でもありません。碓氷峠で活躍した3920形式などは、煙突を機関車の後ろまで水平に伸ばすという大胆な構造でしたが、あまり効果はなかったのか、後に普通の煙突に改造されてしまいました。

C57 5とC57 6

田中 泰三様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和33(1958)年10月26日 金沢機関区

車歴は↓こちら。

C575 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

富山県国体時に運転されたお召列車の牽引機でした。先輪がスポークなのも美を引き締めているように思えます。

ナンバーの「5」の文字の下の丸っこい形状が独特です。

前端梁の側部縁取りが黒なのは、珍しいように思います。大体、ランボードの縁と同じように白く塗ると思うのですが。

後部標識灯を搭載していないのは、バック運転をしない前提なのだからでしょうか。

 

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昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区

 

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昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

車歴は↓こちら。

C576 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

和歌山区の機関車って、煙室前端の丸味を角に改造しているものが多いように思います。87号機とかも。

和歌山線でのさよなら運転を終えて、北海道へ飛ばされてきました。苗穂区に転属し、どんな活躍をしたのでしょうか。この1年後には千歳線 苗穂~北広島間の線路切替工事が行われ、同時に無煙化されてしまい、呆気なく廃車となり、そして呆気なく解体されてしまいました。

 

蒸気機関車」という雑誌がありました。昭和42(1967)年9月に「キネマ旬報」の増刊号として創刊し、昭和56(1981)年7月号に廃刊されるまで74号が発行されました。増刊、月刊、季刊、隔月刊と、発行間隔を変えながらも何とか継続し、蒸機が全廃となった後も読者の「この先、どうなるのだろう」という心配をよそに、蒸機だけの記事にこだわらず発行され続けました。名のある執筆陣による記事の他に、読者による投稿記事も多く、もはや記事というよりも文芸寄りの作品と云えるものが数多く掲載されていた印象です。因みに現在発刊されている「蒸気機関車EX」とは性格が全く異なります。初めてこの雑誌を買ったのが昭和48(1973)年9月号で、「C60・C61特集」でした。北海道には全く縁のない記事でしたが、機関車配置表が載っていたので買ってしまいました。撮影した機関車のナンバーを赤く塗ってチェックしたものです。

廃刊となってバックナンバーを読みたくなりましたが、発行部数が少なかったのでなかなか古本屋で見かけることも無く、たまに置いてあれば高価な値札が貼られており、とても軽い気持ちで買える代物ではありませんでした。しかしネット社会が普及しネットオークションの登場で事態は一変。あれほど入手し辛かったのに、続々と出品されて低価格で入手できるチャンスが訪れました。(アレな事情で手放す人が増えたからでしょうか。いずれ自分も・・・)それからコツコツと集めていったわけですが、つい先日、ようやく全巻揃えることができました。初めて新刊を購入してから実に48年目のことです。この雑誌に限らず「鉄道ピクトリアル」「鉄道ファン」「鉄道ジャーナル」の古めのバックナンバーもネットオークションで目に着いたら入札しています。過去にばかり目を向けているので、今の雑誌は全く読みません。だから今の鉄道界の現状はさっぱり分かりません。

因みに江別の鐵様は私よりも一か月ほど早くに「蒸気機関車」全巻を揃えておりました。

C57 1

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月1日 新津駅

 

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昭和47(1972)年5月22日 新津機関区

 

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昭和54(1979)年8月15日 津和野駅

車歴は↓こちら。

C571 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

時を経て、表情が異なるC57 1。もともとはC55 63と命名される計画でしたが、外観も性能も異なるという事で別形式となり、栄えあるトップナンバーを冠しました。

昭和36(1961)年には下り急行「日本海」の牽引中に脱線転覆事故で大破するも(幸いにも死者は無し)、すでに1号機として人気を博していたことから、廃車されることなく見事に復帰しました。(この時、先台車はC59のものに振り替えられました。)「佳人薄命」とはならず、その後の波乱に満ちた人生を華奢な躯体で、ず太く生き抜くことになります。

昭和47(1972)年にはお召列車牽引。「貴婦人」などという愛称は好かないですが(あくまで個人の感想です。新津機関区時代には部内で「八頭身美人」と呼ばれていたそうな)黒光りする車体と金色の装飾には気品を感じます。

昭和51(1976)年にはSL「京阪100年号」を牽引中に、線路内に立入った小学生を撥ねて死亡させ、以降、大都市でのSL列車の運転はしばし中断されることになりました。この時は、SL運転を煽りに煽ったマスコミの過熱報道も問題視されました。

昭和54(1979)年に「SLやまぐち号」の運転が開始され、国鉄による本格的動態保存が実現しました。この際、煙突に設置された集煙装置がファンの間で物議を醸し出しました。勿論、外観が損なわれる、みたいな低レベルな批判に過ぎません。復活運転に際し、現場では誰も乗務したがらなかったそうです。今更、なんで大変な思いをせにゃならんのだ、とね。しかし実際に乗務してみると、沿線で見守る人たちの多さにビックリ。ちょっとした花形スターの気分になり、案外悪くないと思ったとか。

平成7(1995)年の阪神淡路大震災では、鷹取工場に検査入場していた際に被災し損傷を受けてしまいましたが、「SLやまぐち号」の看板機関車だけにこれまた復旧。

昭和12(1937)年に誕生して以来、今年で実に84歳。平成17(2005)年からは5年間に及ぶ大規模な更新工事により老朽化した箇所の全面取り換えなどが実施されており、これからも老いて益々血気盛んなC57 1であって欲しいものです。 

C56 156とC56 157

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

2輌とも撮影は昭和46(1971)年2月18日 鹿児島機関区

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車歴は↓こちら。

C56156 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

第一種休車状態です。本州ではことごとくLP405に交換された前照灯が、九州ではしっかりとLP403がデ~ンと乗っかっています。でもC56にはLP42がお似合いだと思うんですけど。スノープラウは不要なので、前端梁にその取り付けボルト孔はありません。バック運転に備えて、SG管の吐出口がブレーキ管の下の方にあります。

「架線注意」札が大きく見えるのは、ボイラーが細いせいでしょうか。

 

f:id:railway-photo:20210407080942j:plain車歴は↓こちら。

C56157 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

お隣の方から煙が流れていますが、こちらも第一種休車中です。

長編成の特急・急行列車を牽引して颯爽と走る大型旅客用機関車や、何十輌もの貨車の先頭に立ち爆煙を天へ突き上げながら喘ぐ貨物用機関車の姿に心打たれるファンは数多くいるでしょう。一方、短い編成の客車や貨車を牽いて、ローカル線をのどかに走るC56の姿は、心を癒される存在だったように思います。郷愁というイメージは、むしろ小型機関車にこそ相応しいのかもしれません。

C56 154

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月2日 七尾機関区
車歴は↓こちら。

C56154 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

2年間ほど第一種休車状態が続いたのち、廃車されたようです。形式入りナンバーなので走れば人気はあったでしょうに。カマの状態でも芳しくなかったのでしょうか。

C56の除煙板の上部ステーの取り付け方が他の形式とはちょっと異なります。大抵は除煙板上端部から水平に煙室へ向かって取り付けられますが、C56は上端から少し下がって位置から煙室に向かっています。缶胴が細身なのでこういう構造になったのでしょうか。それ以上に、C58はちょっと他の形式にはない独特な取り付け方ですけどね。

前回もちょっと触れましたが、一体ドームに加えて門デフを装備していたとしたら、かなり軽快なスタイルになったのではないでしょうか。

更に、黒ではなく常識破りの白い姿であったら、まさに白馬そのものだったでしょうね。煙を吐く蒸気機関車に白とは何事かと思われるかもしれませんが、北海道には現実に白いC56が存在しました。C56としては唯一の自主発注車であった雄別鉄道の1001号機です。冷蔵庫のコマーシャル撮影用に白く塗られたものですが、撮影するまでの間、煤ですぐに黒ずんでしまうため、白を維持するのにかなり苦労したようです。撮影後も黒くすることなく、そのままにしておいたら自然に黒く戻りましたとさ。