ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

会津宮下へ

冬に、只見川第一橋梁での撮影に失敗したので、今回はそのリベンジとばかりに会津宮下へ向かいました。折しも「E・Eきっぷ」なる割安切符が新発売となり、ミニ周遊券のように使えるのはありがたい。これを使わない手はありません。梅雨時で天気に期待できないのは百も承知。その分、車内は空いて移動は楽かも。

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09:24 大白川駅 急行「奥只見」・423D

今回は上越新幹線浦佐に出て、そこから急行「奥只見」に乗車して只見線入りしました。小出で乗り換える手間が省けてありがたい。

とはいえ、空いていると期待していた上越新幹線はうんざりするほど混雑し、浦佐まで立ちっ放しでした。

浦佐で降りた乗客の多くが「奥只見」へ乗り換えましたが、それでも半分ほどの席も埋まりません。列車が走る出すと、向かいに座ったおじいさんが、車窓を愛でながらおにぎりやお菓子を頬張っては独り言を呟き、時折お酒を呑む姿は、何だかとても楽しそうに見えました。手足が不自由ではあるけれど、こうしてあちこちのローカル線をのんびりと列車で旅をして余生を過ごしているのだとか。そして景色の良い路線があれば、ばあ様と一緒に来たいと語っておられました。

 

覚悟はしていましたが天気は雨。大白川駅で423Dと行き違いをして、この先、列車は六十里越トンネルを抜けて新潟県から福島県に入ります。

 

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10:58 会津宮下駅

定刻、会津宮下駅に到着。しっかり雨です。ちょっと萎えそうな気持を奮い立たせて、駅を出ました。

冬には会津檜原側から行きましたが、今回は地図をじっくり見て、送電塔のある山の上から狙うことにしました。そこへは会津宮下側からアプローチするのが近いのです。俯瞰狙いです。

 

今は道の駅「尾瀬街道みしま宿」となっているすぐ先の「川井トンネル」は、今でこそ隣の「駒啼瀬(こまなかせ)トンネル」とシェルターでつながっていますが、この当時はシェルターはなく途切れていました。川井トンネルまで来たものの、送電塔への上り口が分かりません。けれども何となく吸い込まれるようにトンネルに入り、そしてトンネルの切れ目から出て、ふらりと山の斜面を上がったのでした。

すると、見えました。只見川第一橋梁が。絶対的な確信があったわけでもないのに、こういう幸運ってあるんですね。雨ニモ負ケズの思いが天に届いたのかもしれません。(と、一応、書いてみる。)

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イメージとはちょっと違ったのですが、せっかく橋梁が見えることだし、まずはここで撮ることに決めました。しかし列車が来るまで、まだ1時間以上もあります。排気ガス臭いトンネルの中に避難するのもイヤなので、傘を差して雨の中、じっとその時を待ち続けました。

 

昭和62(1987)年6月20日

豊ヶ岡から石狩月形へ

豊ヶ岡駅の雰囲気に引き込まれ、ちょっとここで和んでしまいました。まあ、夜には怖くて来れないでしょうけれどね。

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真夏ですが、ママさんダンプが保管されています。どれだけ利用者が居たのかは分かりませんが、キチンと手入れがなされています。

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地名は「豊ヶ丘」ですが、駅名は「豊ヶ岡」。「丘」と「岡」の違いはなんでしょう。更に「陸」も「おか」と読みます。「陸蒸気」とかね。興味のある方はググって下さい。どうでもいいけれど「ワイルド7」の主人公、飛葉大陸は「ひば・だいろく」です。漢字の読み方の奔放さには参ります。

 

さて、豊ヶ岡からは国道には出ないで裏道を進みます。石狩月形まで距離的に近いという他に、撮影地がありそうだからです。んで、ありました。

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13:21~22 豊ヶ岡石狩月形 728D

石狩平野~。実はこの場所から石狩月形駅が見えるのですが、ちょっと遠いので写真は割愛します。後年、ベータカムを担いでこの場所を訪れましたが、立入禁止の札が架かっていて諦めたことがあります。

 

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14:46 豊ヶ岡石狩月形 725D

札沼線の沿線は水田が広がる米作地帯です。時折、雨がぱらつく、ちょっと梅雨かと思うような天気でした。

 

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16:22 石狩月形駅 730D・661D(浦臼行き)

石狩月形駅に到着です。左側の730Dに乗車して帰宅します。電柱に掛けられた青い札から、石狩月形新十津川間のスタフはヨンカクのようです。

 

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16:56 石狩当別駅 730D・665D(大学前行き)

730Dは折り返し、新十津川行き17:29発727Dになります。ところが727Dのサボはというと・・・

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石狩当別発、新十津川行きなので、このサボはどうにも変です。

当時の時刻表を見ると、札幌~新十津川間の直通列車はありませんから、どうしてこんなサボがあったのか、それ自体が奇妙です。実は、727Dの折り返しとなる新十津川からの最終列車734Dは石狩当別行きなのですが、石狩当別で増結した後、列車番号を680Dと変えて札幌へ向かうので、実質、新十津川から札幌まで直通することになります。新十津川でサボの差し替えは省略したのでしょうね、それでこんなサボを差していたのだと思います。

 

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跨線橋から駅裏の方を見ています。今はすっかり整備されています。

 

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17:09 664D

665Dの折り返し列車が大学前から戻ってきました。大学前駅は現在の北海道医療大学駅で、当時の学校名は東日本学園大学でした。

これを撮影した後、ダッシュで列車に乗り込みました。もうちょっと駅の様子を撮っておけばよかったのに。

 

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664D 釜谷臼←石狩太美

大河、石狩川を渡ります。この橋を渡ると札幌に帰ってきたという気分になります。後に「あいの里公園駅」に改称される釜谷臼駅は、札幌市内ですから。歩き疲れた筈なのに、珍しく列車内では眠ることなく、車窓を眺めては時々シャッターを切っておりました。そりゃまあ、寝過ごして終点の札幌駅まで行くのは御免ですからね。

 

昭和62(1987)年6月8日

晩生内から豊ヶ岡へ

この当時、まだ秘境駅などという言葉はなく、札沼線の北側で撮影する物好きはほとんどおりませんでした。(石狩川橋梁はメジャーでしたが。)私自身、新十津川まで乗車したことはあったものの、撮影の方は貨物列車狙いで国鉄時代に中小屋と石狩当別を1度ずつ訪れたきりで、ちゃんと定期の気動車を撮影したことはありませんでした。身近な路線なのにないがしろにしてきた、そんな負い目みたいな気持ちがあったのかもしれません。初めてまともに撮影したのでした。

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10:05 札的→晩生内 726D

地図を見ながら撮影場所を探しますが、できれば石狩平野がちゃんと分かるように撮りたい・・・と考えたような気がします、多分。ちょっと高い足場を見つました。ストリートビューを見ると、農家さんちの裏山です。おそらく道路から用水路伝いに上がったのでしょう。今は木が茂っており、それらしき足場は見当たりません。

 

この後、国道275号線を南下します。列車は1時間半以上も来ないので、ひたすら歩くだけです。途中、札比内駅に立ち寄り、駅舎の写真を撮っていますが、それから先の記憶はありません。写真ではいきなり豊ヶ岡駅です。

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11:43~45 豊ヶ岡駅 723D

地図で読んだ通り、駅周辺には人家のない寂しい駅でした。でもこの駅にはどうやって来たのでしょう。晩生内豊ヶ岡間は線路で7km、国道だとそれ以上になるので、まあまあ速足で歩いたのでしょうけれども、線路を歩いた記憶もなければ国道を歩いた記憶もなし。自分の記憶力の乏しさをつくづく感じます。

この後は、裏道を通って石狩月形へ向かいました。これは何となく記憶に残っています。

それにしても、なんでこんな場所に駅を作ったのでしょう。という疑問が湧いても調べることもなく時間だけがどんどん過ぎてゆき、その理由が分かったのはついこの間のことでした。月形炭鉱からの石炭積み出しに関係していたということだけ記しておきましょう。ググるとすぐに分かるので。

 

昭和62(1987)年6月8日

晩生内へ

札沼線晩生内駅は、難読駅のひとつに数えられています。「おそきない」と読みます。そんな理由で選んだのかどうかは覚えていませんが、鄙びたローカル線の雰囲気を撮りたくて、この駅へ向かうことにしました。石狩当別以北で撮影するなんて、およそ10年ぶりのことです。

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06:47 新川駅 631D

631Dは石狩当別行きの列車で、石狩当別では新十津川行きの721Dに接続します。始発の627Dは浦臼行きで、それだと乗り換えなしで晩生内へ行けたのですが、起きられずにくじけました。天気もパッとしないし。因みにこの当時の新川駅は、小さな待合室があるだけの無人駅です。

 

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06:53 新琴似駅 石狩当別からの620Dと行き違い

跨線橋ができて、雰囲気はすっかり変わりました。

 

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07:07 篠路駅 あいの里教育大からの1622Dと行き違い

篠路駅は、今の21世紀でもあまり変わっていません。でも昔は近隣に油井があって、ここからタンク車で輸送されていました。

 

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07:26 あいの里教育大駅 石狩当別からの624Dと行き違い

駅裏はまだ造成前で、住宅はただの一軒もなく。道路すらありません。

 

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石狩当別

乗車した631Dは07:46に石狩当別駅に到着し、折り返し07:51発の札幌行き628Dになります。ホームを挟んだ隣のキハ54が07:54発の新十津川行き731Dで、これで晩生内へ向かいます。

キハ54は札沼線の他、山線でも運用されていました。2基エンジンのキハ54は、積雪時の単行運転のために投入されたのだと思いますが、後にキハ53-500に置き換わります。

 

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08:30~31 石狩月形駅 浦臼からの724Dと行き違い

724Dには大勢の乗客が乗り込みますが、721Dはご覧の通り、ガラ~ン。この当時からこんな状態だったんです。

腰掛けには灰皿が用意されています。禁煙時間帯、禁煙区間というのが設定されていた「限定禁煙」の時代です。

 

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08:50 晩生内駅 731D

無事に到着しました。あんまり天気はよろしくありませんが、のんびりと撮影することにしましょう。

 

昭和62(1987)年6月8日

苗穂カーブ

ついこの間のような気がしますが、再び豊平川手前の苗穂カーブにやってきました。

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15:03 ライラック15号

 

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15:09 943列車(手稲発、滝川行き)

 

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15:16 1769M(千歳空港発、手稲行き)

 

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15:19 ホワイトアロー9号(苫小牧発、旭川行き)

 

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15:21 おおとり(網走発、函館行き)

 

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16:12 2223M(手稲発、旭川行き)・230M(江別発、小樽行き)

 

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16:26 940列車(岩見沢発、小樽行き)

 

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16:32 宗谷(札幌発、稚内行き)

貴重な客車昼行急行列車ですが、ヘッドマークがないとイマイチ気持ちが盛り上がりません。それくらい14系客車は臨時運用としては活躍していた時代でした。

 

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16:35 ちとせ2号

東室蘭からは普通列車となって、室蘭行きと長万部行きとに分かれます。僅か4本にまですっかり数を減らしてしまった急行「ちとせ」。キハユニ25を先頭に疾走していた姿はもはや過去のこと。

 

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16:36 臨時列車

予期せぬ臨時列車が通過。最初は宗谷急行かと思ってしまいました。

 

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16:48 1229M(札幌発、江別行き)
何度も渡った踏切ですが、撮影したのはホンの数回。アンダーパス化されて渋滞は解消されましたが、ファンにはちょっと残念です。

 

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16:51 190列車(岩見沢発、小樽行き)

ちゃんと踏切手もおります。ドライバーはイライラでしょうけど、鉄ちゃんはワクワク。

 

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17:17 苗穂駅 947列車(小樽発、岩見沢行き)

 

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17:41発 札幌駅 3240D(札幌発、倶知安行き)

なんちゃってアルコンのキハ56 213が連結されています。アルコンの増結用として用意されましたが、色だけアルコンなので、他の真正アルコン車との車内格差が甚だしく、アルコンの運用に就いたケースは少なかったといいます。

 

JRになったとはいえ、「JR」マークが車体に貼られた以外、目に見えて変わったところはなく、まずは一安心。札幌駅前後の高架化工事は一層進んでいましたが、完成まではまだまだ先のような気がしていました。

 

昭和62(1987)年6月6日

6月の帰省

その年のGWは帰省しなかったこともあり、6月に有給を取って札幌へ帰省しました。もしかすると、会社が推薦するリフレッシュ休暇制度とやらを利用したのかもしれません。ある年齢以上ならば休暇中に遊ぶお金を幾らか貰えたのですが、ぺーぺーの私にはそんなものはなし。よって、何の印象もなく忘れました。

 

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札幌駅 おおぞら6号(回送)・ライラック13号

土日を含めて4日間の休暇。時間がないので、帰省の往復には飛行機を使いました。鉄ちゃんとしてあるまじき行為ですが、已むを得ません。金曜日の夜、仕事を終えてから最終便に乗って帰省し、早速、翌日にはこんなんです。お手頃な苗穂へ向かいます。

 

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お馴染みの苗穂駅西側跨線橋から。苗穂駅構内にはなぜか583系の姿が。パンタグラフのない付随車ばかりなので、客車にでも改造するのでしょうか、と当時は思いましたが、結局は数両が民間に売却されただけで、車両として活用されることはありませんでした。唯一、台車が「クリスタルエクスプレス」のキサロハ182-5101に流用されたことくらいでしょうか。

使わなくなった線路からレールを剥がして、チキに積み込んでいるようです。奥に見える苗穂駅の荷物ホームは、まだ新しいのに廃止されてしまい、レールが剥がされています。

 

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14:20 苗穂→札幌 2765M

室蘭発、札幌行きの普通列車です。街中にはまだ高いビルが少なく、テレビ塔がしっかり見えます。右の四角い塔はNTTの建物。

 

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14:30 苗穂駅→札幌 ホワイトアロー7号

苫小牧発、旭川行きです。あっちでもこっちでも工事中です。写真右端には、高架橋の端の部分が見えます。

781系の腰掛に補助椅子が装備されたのはいつ頃だったでしょう。国鉄かJRとしてはサービスの積りだったのかもしれませんが、通路の通行に支障をきたし、また当時は車販もありましたので、結構、いい迷惑だったように思います。特急列車で停車駅が少ないから、通路を歩く人は少ないと踏んだのかもしれませんが、実態は全然違いましたね。混雑すれば通行者も増えるっちゅうもんです。などと思いながら、補助席に座っていた自分って・・・。

 

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14:30頃 北斗10号・ライラック14号

この当時の跨線橋はレールで組んだもので、全部ではありませんが、撮影に適した肝心な場所には金網が張られていました。中学生の時分には、年上の友人とこの場所でC58による入換作業を見物したものです。機関車が吐き出す煙をわざと浴びたのも、今は思い出。中坊は小坊よりアホちゃうか。

ところで、 写真に写る時刻は少し進んでいたようです。便利なようでいて、しっかり設定をしていないとかえって間違いを犯してしまいますね。

 

この後、豊平川付近に移動します。札幌の6月は爽やか満点です。

 

昭和62(1987)年6月6日

国鉄207系

国鉄最終日に撮影した写真で、貼り付け忘れたものがありましたので、遅まきながらアップします。

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上野駅 常磐線

国鉄207系JR西日本207系とは無関係ですが、VVVFインバーター制御という点は共通です。この時、初めて207系(900番代)を目撃したわけですが、この編成にはマヤ34が組み込まれていました。「試運転」と表示されているのはそのせいかと。わずか1編成しかない稀少な形式がマヤ検運用に供されるとは、稀少感半端ありませんが、よりにもよってファンでホームが溢れていた日なのにもかかわらず、この列車に注目したファンは少なかったです。

 

昭和62(1987)年3月31日