ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

民生用スキャナの欠点か

昭和56(1981)年7月18日 列車番号不明 品川駅

同じ写真ながら、上はだいぶ前にマウントを付けてスキャンしたもの。下は昨年、マウントを外してスキャンしたもの。見た目に違いがあるのですが、多分、同じスキャナーを使ったものだったと思います。原版画像の状態が異なっているため、同じにしようとトーンカーブを色々と調整しましたが、私の腕では歯が立ちませんでした。同じにならない理由として、下の方はスキャン時にマニュアルでレベル調整(明るさ調整)を行ったため、その違いが画質に表れているのだと思います。しかしそれだけではない違いが出ていたのでちょっとご紹介します。

まず暗部のディテールですが、画面右側のホーム屋根骨組みは、上の写真の方がそれなりに表現されています。再スキャンした方がディテールが出ていないというのは実に癪に障る話なのですが、それはまあ置いておくとして、一番不可解なのは、EF58前照灯にかかっているホームの蛍光灯です。どちらもスキャン時のゴーストが出現しているのですが、その位置が違います。上では右横に、下では下方に出現しています。どちらも迷惑なものですが、異なるフィルムホルダーにセットしたことによる違いなのでしょうか。上はマウント用のもので、下はスリーブ用のものを使いました。これによりスキャンする方向が90度違うので、その影響なのかもしれません。使用したスキャナはフラットベッド式で、もともとは文書用。フィルム専用のスキャナとは別物ですが、フィルムも高画質・高品質でスキャンできるということで定評ある機種です。中古品を新品よりも高い値を付けてネット販売する悪徳業者さえいる商品です。それでも所詮は民生用の機種、業務用の1000万円クラスのスキャナとはこういう状態の悪いフィルムほど大きな差が出てくるのでしょうねえ。
参考までに、レタッチ前の原版画像も載せておきます。解像度だけ調整しています。

上はもう全体的に露出不足で、暗部のディテールはほとんど出ていません。一方、下の方はレベル調整をした上でスキャンしたことにより、ディテールはそれなりに出ています。レタッチ後に暗部が埋もれてしまったというのは、やはり私のスキルがあまりに未熟だったということのようです。

最後尾

列車の最後尾。今時の列車は気動車や電車ばかりで、前も後ろも同じ顔をしています。しかしかつて全国で数多く運転されていた客車列車では機関車がプッシュプルで運転する場合を除き、最後尾には客車の顔がありました。まあ、それを撮影する人は少なかったと思いますが、今回はそのごく一部を紹介させて頂きます。

昭和59(1984)年9月23日 列車不明 秋田駅

ブルートレインの元祖、20系客車です。「走るホテル」と当時は絶賛されるほど、外観も車内も従来の客車とは大きく異なりました。展望室の広い窓は、鉄道ファンでなくても思わずが立ち入りたくなる場所です。残念ながら私は入ったことがありません。ホームベース形のテールサインが優等列車らしさを表すアイテムの一つでありましたが、その後の車輛で普及することはありませんでした。ほぼ同時期に誕生した151系電車と形状を合わせたものと思われます。オリジナルの形式では固定編成ということで最後尾、先頭部とも貫通車がなかったので、このような大きなテールサインが設置されたのでしょうが、後に分割併合をするようになると、切妻・貫通扉付きのナハフ21やナハネフ23が登場するのですが、テールサインはミニサイズとなりました。写真は見つかればアップしておきます。

 

昭和60(1985)年3月24日 09:57 はやぶさ 東戸塚→保土ヶ谷

 

昭和62(1987)年2月1日 あさかぜ 東戸塚→保土ヶ谷

20系客車の後継が14系と24系の寝台客車。24系では編成端となる電源車に貫通扉はありませんが、電源車のない14系では貫通扉があります。14系・24系では改造車を除き、20系のような展望室を設けた形式は登場しませんでした。ただ、貫通部に立ち入ることは出来たので、展望風景を楽しむことはできました。車端部のデザインについて20系と比較して好みは分かれると思いますが、貫通扉の幅に合わせたテールサインは小型となり、20系のような華やかさはなくなりました。

 

昭和56(1981)年5月3日 ニセコ 札幌駅

 

昭和57(1982)年7月25日 臨時つばめ 由比←興津
座席車の14系は寝台車のような深い屋根ではないので表情が異なります。特急用車輛ながらも白帯は3本ではなく2本です。もともと臨時運用を想定して設計されたからなのでしょうか。展望室はありませんが、貫通扉部は展望空間となっており、ファンが群がり、客室よりも混雑することがあったようです。

昭和60(1985)年4月7日 さよならEF15甲州路の旅 高尾→相模湖

昭和57(1982)年4月30日 スヤ52 5 函館駅
最後尾とは関係ありませんが、事業用車の中には貫通扉のない車輛が存在しました。写真は保健車のスヤ52です。タネ車にはあった貫通部を塞いだものです。車内には医療機器が詰まっており、地方で職務に当たる国鉄職員の健康診断を行っていました。

 

昭和60(1985)年4月28日 旅路 金沢駅
お座敷車に改造された12系客車の「旅路」。オリジナルのスハフ12にはなかったテールサインが設置されています。ジョイフルトレインに改造された緩急車(先頭ないし最後尾車)の中には展望車に改造されたものがあり、その変貌ぶりはまさに百花繚乱の様相を呈しておりました。北海道にはあまり縁のない客車でしたが、快速「海峡号」や臨時の「みどりの風号」に組成された実績があり、特に「みどりの風号」では旭川まで足を伸ばしています。

 

昭和57(1982)年7月25日 お座敷列車 由比→興津
元祖ではありませんが、お座敷列車を広く知らしめたスロ81系です。かつての特急用客車を思わせる2本の白帯が目を引きます。最後尾は貫通部に扉が無く、貫通したままです。旧型客車ならではの展望室ですね(笑)。テールサインを掲出しているものの、面白味に掛ける最後尾ではあります。スハフ42のような窓があれば、また違った味わいになったかもしれません。かつて蒸機が終焉を迎える頃、生録する蒸機ファンが絶対に確保したい場所でもありました。

かつて某有名作家が、普及しだした長距離電車に対し、前も後ろも同じ顔で、どっちに進むのだかよく分からん、みたいな愚痴をこぼしていました。今や電車も気動車も、前も後ろも同じ顔が当たり前となっているので、愚痴をこぼす人は皆無でしょう。機関車にばかり目を取られ、最後尾にカメラを向けることはホンの僅かでした。過去を振り返ると反省することばかりで、楽しかった思い出よりも後悔に浸ることの方が多いような気がする今日この頃であります。

北海道の電暖客車

昭和52(1977)年6月16日 13:05 41列車 桑園→札幌

知る人ぞ知る、知らない人は全然知らない、森発06:38、山線回りで札幌行きの41列車。しかしこの列車、実は函館を05:40に発車する荷41列車でもあります。始発は函館なのに客扱いは森から。函館からの客扱いとしなかった理由は分かりませんが、ちょっと勿体ない気がします。41列車は、後に荷物列車の減便により、この当時の43列車(こちらは荷物車ともども函館発の旅客列車)が41列車と名乗るようになります。今回の記事は41列車についてではなく、何気なく撮影した客車が主題です。
DD51 の次位に着くのはオハフ33 2032。ん?2032号?なぜ電暖客車がこんなところに。

配置を見ると函館運転所。本州から借り入れたわけじゃなく、正真正銘の北海道の客車。北海道の客車暖房は全て蒸気なので、電気暖房の客車は北海道では宝の持ち腐れです(電暖車には蒸気暖房も装備)。道外で客車列車が廃止され、そこで余剰となった電暖車が函館に回されたということなのでしょう。函館だけかなと思ったら、2270号が札幌運転区に配置された履歴があります。昭和48年3月31日付けの車両配置表を見ると、北海道に2000番の客車は存在しません(ただし、郵便車、荷物車、マヤ34は除く)ので、この後に異動してきたということなります。YouTubeを見たら、2032号は昭和51(1976)年1月現在、高崎客車区の配置となっています。それにしても本州仕様の客車を真冬の北海道でちゃんと運用できたのでしょうか。窓は二重ではないようですし、北海道の冬を侮ったわけではないでしょうから、冬期間は休車にしていたのかもしれません。ところで、札幌運転区に配置されていたオハフ33 2270は、この写真を撮影した3か月程前にスヤ32 3へ改造されています。スヤ32と云えば保健車のことで、3号は改造後そのまま札幌運転区に配置されました。2003号となっていないので、改造時に電暖関連装置を撤去したということでしょう。因みに昭和52年3月31日付けの車両配置表によれば、スハネ16の2066号と2123号が函館運転所に配置されています。夜行急行「すずらん」用だったのでしょう。

かつかつ

ポジフィルムをマウントしたことで、被写体がかつかつになってしまうという記事を過去にアップしましたが、その典型となるコマが見つかりましたのでご紹介させて頂きます。

平成元(1989)年8月18日 キハ40 113 小樽駅

「マウントすることを想定して、最初から余裕をもって撮影しとけばいいじゃん」という手厳しい声が聞こえてきますが、それはごもっとも。もう少し後ずさりするなりして撮っていれば何の問題もなかった、といえばその通りです。マウントのせいにするのはお門違い。・・・で済まないのがマウントの怖さ。このカットはまだマウント外しを行っていないので、隠れた部分がどうなっているのかは分かりませんが、マウントで隠れた箇所やその周辺が変色を起こしているケースがしばしばあるのです。

平成元(1989)年2月11日 キハ58 792 七尾駅

マウントを外してスキャンしたカットですが、右側が薄れています。どうしたわけかコダックマウントの場合、右側が変色、脱色するケースが多いです。接着剤は下面が一番多いのですがね。こんな風に癪な現象が起きているので、マウントを外してかつかつが解消されても安心できないということです。なお上端が変な具合になっているのはどういう理由か分かりませんが、フィルムホルダーの影響かもしれません。画像全体には影響ないので問題はありません。このフィルムホルダーも、ほんの僅かですが、上下がカットに食い込んでいるのですが、そこまで気にすると作業が進まないので気にしないことにしています。

昭和62(1987)年10月31日 ゆうづる2号・津軽 上野駅

かつかつな「ゆうづる」。これはもう少しカメラを左に振って撮るべきでしたね。シャッター速度のメモはありませんが、1/60以下でしょう。よくもまあ手持ちでブレずに撮れたものです。何かにもたれて撮ったのかもしれません。

平成8(1996)年11月3日 DE10 503 小樽交通記念館

これはマウントしなくてもかつかつを通り越して車輛がはみ出したカット。なんやねん。どうしてこんなアングルで撮ったのかは自分でも覚えていません。もちょっと引けや。

プロカメラマンの中にはトリミングされることを考慮したアングルで撮る人がいる一方で、トリミングを前提としないベストアングルで撮影する人もいるんだとか。今の高精細で撮影できるカメラで撮影するのであれば、編集者がどうにでも使えるように被写体に余裕を持たせるアングルが一番だと思うのですが、どうでしょう。中判の6×6サイズはまさにそういう場合に適したサイズだと思いますが、ビデオのアクションカメラの中にも、正方形に近い画角で撮影し、それを後からアプリで横長にトリミングしたり縦長にしたりできる機種があります。ビデオ撮影では編集のことを考えて撮影する(良いアングルで撮るのは勿論ですが、関連したシーンなどもしっかり押さえておく)のが良いカメラマンとされています。でもアマチュアの場合は好きに撮るのが一番です。

平成11(1999)年6月3日 富良野・美瑛ノロッコ号の試運転列車 富良野駅

これくらい余裕があるのがベストでしょうか。理由は忘れましたが、KRに見切りをつけRDPⅡ(フジクロームプロビア100)に転向した頃の写真です。ベルビアのような濃厚な発色がないことも移行できた理由のひとつです。この当時、列車の走行シーンはビデオだけで撮影していましたが、車で撮影するようになり機材を多く持ち歩けるようになったことで、動かない被写体に対しては写真撮影もちょっとだけ復活した頃になります。因みに「富良野・美瑛ノロッコ号」はついこの間引退してしまいました。

473系発見

昭和60(1985)年2月3日 09:58 336M(富山発金沢行き) 金沢駅

モハ472-1

 

クモハ473-1

到着した336Mに2形式各1輌の473系が紛れ込んでいるのを発見してすかさずカメラを構えました。どうせ475系だろうと高をくくって見送っていたら撮影し損なうところでした。結果的に473系をまともに撮影したことはありません。じゃあ471系、475系をまともに撮影したことがあるのかと問われれば、Yesと答えられない自分が悲しいです。せいぜいこんな程度です。(既出)

昭和57(1982)年6月26日 10:13 立山2号 金沢駅

クモハ475-42

 

クモハ471-2 前照灯はシールドビーム

 

モハ470-2

 

クハ451-35

全車輛を撮影していたら完璧なのですが(陽射しはなく列車までほどよい距離、しかも障害物が皆無という撮影には好条件なのに)、クモハとモハの若番車だけしか目に入らなかったようです。せめてサロくらいは撮影しとけってね。邪険にした覚えはないのですが、あまりに当たり前のように存在していたので、形式写真を撮影するほどではないと思っていたのでしょうかね。自分のおバカさ加減を痛感します。東北の451系も同様で、まともな形式写真は1枚もありません。まともじゃないのもありません。103系や113系ですらあるのにどうしたことでしょう。交直流電車を見飽きるくらい、他の魅力ある車輛が北陸本線のいたる所で走っていたことの表れかもしれません。
稀少な473系がありふれた編成の中に紛れ込んでいるのは知っていましたが、だからといっていちいち編成をチェックするほど思い入れが強かったわけではなく、見つけたらラッキーという程度でした。過去記事でも、走行中の列車に473系を見つけ、慌ててシャッターを切ったという記事をアップしたような気がしますが、一事が万事そんな態度でした。珍しいけど深追いはしない、付かず離れず。うん、私の人間関係そのものです。

記録方法

昭和62(1987)年6月6日 15:09 943列車 白石←苗穂(ミノルタ X-500)

カメラ機能のひとつとして、画像の上に撮影日時を焼き付けることができるようになりました。たまにカメラを使う場合など、その都度、正確に内蔵時計を設定する必要はありますが、日時を記録できるのは非常に便利な機能ではありました。その場でメモを書く手間が省けますからね。しかし、この日時の入る位置が微妙でして、ご覧のように車輛にかかってしまうことが珍しくはありません。画像の外側に記録してくれたらいいのに・・・。今ならフォトショップで日時を消すことは可能ですし、AIにレタッチさせれば一瞬で済ませてくれるでしょう。しかし当時はそんなことができる世の中になるなどとは夢にも思わず、とても悩んだものです。利便性を取るか、画像に余計なものを入れるべきではないか、と。結局、当時は結論が出ないまま、その時の気分で日時を入れたり入れなかったりしました。まあ、以前の記事ではありませんが、面倒臭さがらずにメモを取れば日時を入れる必要など全くないのですが、何かの事情でメモを紛失した場合には困るかもしれない、などと余計な心配をしていたのです。
同様なことはビデオに転向してからもありました。ビデオカメラにも同様の機能が付いており、映像の中に日時が記録できたのです。この時もちょっと悩み、日時を入れたり入れなかったり。ビデオ映像は写真と違って、日時を消すことは容易ではありません。これも今ならAIにお任せすれば簡単にやってのけてくれるのでしょうけれど、当時はそんな未来のことなど知る由もありませんからね。後に、日時を映像上に記録するのではなく、映像とは別に記録するビデオカメラが登場し、再生する際に表示したりさせなかったりができるようになりました。ところがこれがSONY独自の機能であったために、他のメーカーや古いSONYの機材では表示ができません。普及しない機能は、幾ら便利に見えても利用しないに限ります。その点、業務用ビデオのベータカムでは、当初から「タイムコード」や「ユーザービット」という名称で、時刻的なものやメモ的なものを記録できるようになっており、それは表示、非表示が可能でした。業務用機材は編集を前提として設計されているので、撮りっぱなしが当たり前の民生用機材とは訳が違います。
今はもう、映像と一緒にカメラが勝手に撮影日時や撮影場所まで記録してくれるので、本当にありがたいのですが、GPS機能のない機材だと、いちいち時刻が合っているのか確認しなくてはいけないのが、ちょっと面倒です。
果たしてメモを機械任せにすることがいいことなのかそうではないのか、ちょっと考えてしまうのですが、その場で思い付いたひらめきなどは機械が勝手に記録してくれませんから、手書きかボイスレコーダーなりで記録するしかありませんね。それともいずれは、思考をリアルタイムで記録してくれる装置が開発されるのでしょうか。(SF映画の世界ではありましたね。記録媒体はメモリーカードではなく、幅広の金色のテープでした。)

 

とっくに気付いた方もおられるでしょうが、最近アップした画像は四辺がちょっとおかしなことになっています。それはトリミングしない原版のままだからです。今日の画像の黒い枠はマウントの部分になります。

深夜の富良野駅

昭和53(1978)年3月25日 02:30 424列車「からまつ」 富良野駅

深夜の富良野駅ホーム、1番ホームには小樽行きの「からまつ」が停車中です。隣の2番ホームには下り423列車「からまつ」が停車中だと思うのですが、どうしたわけか撮影していません。友人がこちらにカメラを向けているのはそれを撮影しているからなのでしょうか。どうやら友人とともに駅の待合室で寝過ごしてしまったのかもしれません。なんせ、お酒飲んじゃったし。423列車の発車時刻は02:33。私はそれで撮影を諦めたのでしょう。この当時、深夜の富良野駅には「からまつ」の他に急行「狩勝」が停車し客扱いを行っていたため、終日、駅は開放されていました。おまけに貨物列車もここで停車し、DD51に給油を行っていたので、夜間撮影は大いに楽しめました。
低速シャッター切っているので、動いている人は幽霊のようになっています。自販機の前、三脚を使ってバルブ撮影する友人、そして客車の窓を開けて外の様子をうかがう乗客。スハフ42 511からは暖房用の蒸気が漏れ、それがホームの天井で滞留し幻想的なシーンを演出しています。蒸気の漏れる音やホームへ降りる人の動きに加え、荷物車では荷物の積み下ろしがあり、深夜にもかかわらずここだけが特別な空間となっているようです。

深夜の撮影にもかかわらず、夜が明けた午前6時頃には空知川付近でカメラを構えていたのですから、まあ元気だったこと。睡眠時間3時間。流石、二十歳の若さは尋常ではありません。

ところで、423列車と424列車の並びは後日撮影しています。

昭和53(1978)年12月24日 423列車、424列車 富良野駅

道内から夜行列車が消えて久しくなりますが、こうした光景は二度と見ることができない、歴史の一コマになってしまいました。