ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C60 8

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月19日 青森機関区

車歴は↓こちら。

C608 機関車データベース (形式C60) - デゴイチよく走る!

大型機に釣り合った大型の炭水車。10(石炭トン)-25(水㎥)タイプになります。後部上端に切り欠きがないので、尚更大きく見えます。(C62の炭水車は10-22ですが、1号機だけは当初C59戦後型と同形の炭水車を牽いていました。)外観的には大きく3種類に分類され、8号機に見られる台枠付き炭水車に板台枠台車を履いたもの(10-25)、台枠付き炭水車に鋳鋼製台車を履いたもの(10-25A)、船底式炭水車に鋳鋼コロ軸受台車を履いたもの(10-25B)になります。

特徴的な従台車は、C61やC62とは異なるもので、製造時期が接近しているD60、D61、D62と同じ形式になります。ただし、17号機までの最初のロットでは鋳鋼製でしたが、18号機以降は鋼板溶接構造に変更されており、外観に若干の変化が見られます。

ところで炭水車背面には前照灯が見当たりません。どこかに置き忘れてきたかな?

 

ところで、除煙板前側の上部ステーには左右ともに小さな四角い板が付いているのですが、これは一体何なのでしょう。

C60 7

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昭和42(1967)年8月20日 仙台運転所

車歴は↓こちら。

C607 機関車データベース (形式C60) - デゴイチよく走る!

盛岡区時代の煙突除煙板を装備。キャブ前窓は張り出し旋回窓。

ナンバープレート上方の補助灯掛けは、機関車によって位置が異なっていたり無かったり。前端梁上端には蒸気管が這っています。それをかわすため、向かって左側の解放テコ取っ手を軽く折り曲げています。

除煙板の手摺ですが、設計上、その上端はほぼランボード高さにあるのですが、この7号機では僅かに高い位置にあるように見えます。

6号機と同じ仙台運転所の所属機ながら、前端梁のスノープラウ取り付けボルト孔の配置が異なっています。

仙台機関区にC60が配置されたのは昭和29(1954)年のことで、4~13号機の10輌が順次姿を現し、常磐線普通列車などの運用に就きました。優等列車を牽引したC61の陰に隠れ、地味な存在であったことは否めません。

C60 6

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昭和42(1967)年8月20日 仙台運転所

車歴は↓こちら。

C606 機関車データベース (形式C60) - デゴイチよく走る!

煙突脇の小型除煙板が特徴的です。盛岡区時代に取り付けられたものでしょう。砂撒き管はボイラーケーシングの中に隠れています。給水温め器のカバー前部には、ヘッドマーク掛けと後部標識灯掛けが仲良く3個並んでいます。4号機では蒸気管が前端梁の前部を伝っていますが、5号機とこの6号機は前端梁の後ろに隠れるように配置されています。九州のC60には原則、この蒸気管はありません。

仙台運転所のC60、C61たちは常磐線の全線電化により、この写真撮影の1か月後に役目を終えました。

C60 5

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昭和42(1967)年8月19日 青森機関区・青森駅

車歴は↓こちら。

C605 機関車データベース (形式C60) - デゴイチよく走る!

同じ日に異なる場所で似たアングルで撮影した3枚のC60 5。追っかけたのか、それともたまたま居合わせただけだったのか。興奮すると熱心にシャッターを切るだけで、いちいちナンバーを確認しませんよね。でも別の角度からの写真もあれば・・・。

C60は限られた線区で限られた期間しか稼働しなかったため、外観上の個体差はさほど大きくはなかったと云えます。1~39号機までの0番代は戦前形のC59を改造したので、先輪は補強付きのスポークです。戦後形の100番代やC61、C62がディスクを履いているのとは対照的です。

除煙板の先端下部が三角形状に取り外し可能なボルト留めとなっています。理由は分かりません。除煙板の手摺は4号機とは異なり、フロントデッキには固定していません。

ドームからの砂撒き管は、5号機では普通に露出していますが、4号機ではC59時代からの流れでボイラケーシングの中に隠す構造となっていました。C62にもそういう構造はありましたが、どうしてそんな面倒臭いことをしたのでしょうね。美観上?

 

昨日は久々に南の里(千歳線 北広島~島松)で2時間半ほど撮影してきました。風を伴う雨がちの天気でしたが、跨線橋の下で雨を凌いでの撮影でした。カメラは島松方に向けています。晴天なら日中はモロ逆光になります。

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向かい風ということもあり、ギリギリまで下がった位置にカメラをセット。つか、ここまで下がらないといいアングルが取れないのですけどね。本当はもっと前の、跨線橋から出た場所がベスト。草むらが踏み固められていましたし。

 

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天候不良の時には、跨線橋の存在がとてもありがたいです。この跨線橋が完成する前は、画面の左側数十メートル離れた所に踏切があったと思われます。地図を見ると道路が分断されている格好になっています。

 

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撮影する方向とは真逆の方に虹が少し現れました。

ご覧のように背後は、沿線が草木で覆われており、上り列車の運転席から私の後ろ姿を確認できるのは極く接近してからになります。けれども、その先、カーブしてすぐのところには第四種踏切があるので、ほぼ全ての上り列車が思いっきり警笛を鳴らして通過して行きました。

踏切以外で、このように線路近くで撮影できる場所は少なくなっていますが、この場所だけは柵などできないように、撮影者には絶対に危険な撮影はして欲しくないですね。

因みに2時間半ほどカメラを固定しての定点撮影を行いましたが(YouTubeにアップ済)、列車通過時の振動を抑えるために手振れ補正機能をオンにしました。したっけ、こまかい「振動」がゆったりとした「揺れ」に変化したたため、前後のシーンとは若干フレーミングが変わってしまいました。ま、予期したことではありましたが。コンニャク現象が発生しないのなら、普通に振動のままの方が自然かもしれません。

以上はスマホで初めて撮った写真でした。

C60 4

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月19日 青森機関区

車歴は↓こちら。

C604 機関車データベース (形式C60) - デゴイチよく走る!

C59とC60との構造上の違いは、従輪の軸数の違いだけといっても過言ではないと思います。同じ手法による改造はD60、D61、D62でも実施されているのですが、D60とD62では、軸重軽減に伴う牽引力低下を抑えるための改造も実施されています。過熱伝導面積を広くしたりピストン径を小さくしたりとか。

さて4号機ですが、「よん・さん・とお」と呼ばれる昭和43(1968)年10月の白紙ダイヤ改正により、東北本線は全線電化。これを前に4号機は廃車。C60として15年足らずの生涯を終えました。東北機の特徴として、機関士側のキャブ前窓が張り出し旋回窓になっています。煙室扉の十字ハンドルもいい味出しています。

C60などのハドソン機は旅客用なのですが、貨物列車を牽かなかったわけではありません。東北本線のコンテナ列車を牽引する姿が記録されています。しかしこれは例外的な運用だったと思います。軸重を15トンに抑えたので、貨物列車を牽引するのに動輪3軸よりも4軸のD51やD62が牽引するのがいいに決まっています。

C62の49輌に対してC60は47輌が製造されましたが、C62やC59ほどの脚光を浴びることなく、SLブームの最中にひっそりと消えてしまいました。

C60 1

江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和50(1975)年5月 仙台市西公園

車歴は↓こちら。

C601 機関車データベース (形式C60) - デゴイチよく走る!

C59 27です。C60唯一の保存機で、保存のきっかけはウィキによれば7歳の男の子が国鉄へあてた手紙なのだとか。

江別の鐵様がこの写真を撮影された頃はまだ保存方法が十分ではなく、いささか荒れた様子が伺えますが、現在は一部の部品の欠損はあるものの、キチンと整備して大型機ならではのオーラを放っています。

タネ車のC59 27は戦前形であり、京都の戦後形164号機とは、燃焼室の有無や外観の違いがあります。そのため、C60 1の保存は戦前形C59を伝える側面もあります。

現役時代には補助灯を掲げ、煙突横には小型の除煙板を設けていました。

 

C59を軸重軽減し、C51の置き換えやC57の増備車として地方線区へ転用する計画では、もともと151輌が改造対象となっていたようです。しかし、受け入れ先では大型機故の燃費の悪さや、近代化が遅れるなどの理由からあまり好意的ではなく、結局は47輌の改造にとどまりました。もしも151輌が改造されていたら北海道へも配置され、狩勝峠で爆煙を上げていたかもしれませんね。

同じ改造ハドソン機であるC61・C62の後に登場したことで、運用期間はそう長くはないという判断からストーカーは装備されず、高速運転を要求される優等列車の乗務員からの評判はイマイチな面もあり、運用は急行列車どまりで、九州での一部の運用(「あかつき」「さくら」など)を除き特急列車の本務機としての運用はほとんどありませんでした。東北では前補機運用があったので「はつかり」や「はくつる」のヘッドマークを掲出し列車の先頭に立つことはありました。

 

因みに形式についてですが、C61、C62ともタネ車であるD51、D52と形式番号の1の位を合わせて関連を持たせており、登場順とは関係ありません。確かにC61がC62よりも先に登場していますが、もともと両形式は同時に落成する予定だったのが、国鉄の内部事情によりC62が遅れてしまったとのことです。そして空き番であったC60が、C59からの改造形式として付番されました。同様に改造形式であるD60、D61、D62も登場順とは関係なく、タネ車のD50、D51、D52と関連性を持たせただけであり、登場はD62、D60、D61の順となっています。60番台は改造形式専用の番号となり、いずれも2軸の従台車を履いています。テンダー機で2軸従台車を履くのは、この「6」形式だけです。もしもC63が登場していたら、危うくこの法則は崩れる所でした。(笑)

C59 162とC59 164

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

今回より旅客用大型蒸機に突入です。そのトップバッターは、C53形式の後継機であるC59形式。3気筒エンジンのC53形式と同等の性能を有し、軸重16tオーバーでレールを踏みしめ、東海道山陽本線の特急列車牽引に大活躍しました。戦後生まれの101番以降のうち、最後に残った3輌(161、162、164号機)が呉線で急行「あき」などを牽引し、C62形式と共に大型蒸機ファンを大いに沸かせました。最終番号は196号機ですが、133~155号機が製造キャンセルで欠番となっているため、製造総数は173輌です。同じ目的のC53形式が97輌製造されたのに対して倍近くも製造されたのは、それだけ東海道山陽本線における長大編成の旅客列車の本数が増えたという事でしょう。

C59形式は昭和45(1970)年秋までに運用を終えましたが、その改造機であるC60形式は、C59形式よりも九州で数か月だけ長生きしています。

 

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昭和45(1970)年9月24日 糸崎機関区

車歴は↓こちら。

C59162 機関車データベース (形式C59) - デゴイチよく走る!

呉駅で実施された展示会のようです。

異例の措置として急行列車ながらもヘッドマークを掲出していた「あき」。漢字では「秋」ではなく「安芸」です。162号機は、キャブ側窓の前に明り取り窓が設けられています。煙突にはキャップ状のものが載っていますが、無火状態なので蓋でもしているのでしょうか。

 

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昭和45(1970)年9月24日 糸崎機関区

162号機に比べてエプロンが小型のためか、大人しい印象です。

 

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昭和47(1972)年8月25日 奈良運転所

車歴は↓こちら。

C59164 機関車データベース (形式C59) - デゴイチよく走る!

梅小路での保存が決まり、その途上でしょう。後部の切り欠きがないので、背が非常に高く見えます。実際、炭水車は石炭10トン、水25㎥積載の最大のものですけど(C62はそれぞれ10トン、22㎥)。

 

高性能ながらも軸重の大きさが災いし、運用可能な路線が限定されたために、C62よりも早くに引退してしまいました。

実物は梅小路蒸気機関車館の時代に目の当たりにし、映像ではDVD付き雑誌などで数多く見ていますが、北海道には縁のなかった形式とはいえ、やはり現役当時の動く姿をナマで見たかったです。C62との並びなんて素敵じゃないですか。