ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 169

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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撮影日 撮影場所 不明

車歴は↓こちら。

C11169 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

昭和40年代半ばの撮影で、その頃は香椎機関区か鳥栖機関区の所属でしたので、撮影した駅もそのあたりかと。炭庫背面の通風孔が九州らしいです。前方の客車5輌から切り離されたところなのか、それともこれから連結に向かうところなのか。それも自身が牽引するもの、したものなのか、単に入換をしているだけなのか。

これは、客車の貫通部から撮ったものでしょう。季節は夏。SAMPUKU爺様は昭和45(1970)年9月1日に直方区を訪問されているので、この画像もその時のものかもしれません。

 

先日、ヤフオクで落札した「鉄道ピクトリアル 1960年1月号」を見てみると、琵琶湖の西岸を走る江若鉄道の記事がありました。現在、東武鉄道でC11 123号機として復元工事が進められている元C11 1号機は、もともと江若鉄道が自社発注した機関車です。鉄道会社はなくなっても、車輛は復活可能なのだとつくづく思います。因みにこの時代、新製車輛として101系、151系、153系電車が量産中で、ED60、DD13が増備中です。

C11 163

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年3月 後藤寺機関区

車歴は↓こちら。

C11163 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

行橋機関区所属機で、この後、第一種休車に指定され、そのまま1年8か月後に廃車となります。つまり、火の入った最後の頃ということになります。

行橋区のC11は田川線(現 平成筑豊鉄道田川線)で客車列車を牽引していました。ほぼDC化を終えた昭和47年12月の時刻表を見ると、行橋~後藤寺間(始発終着は門司港)にまだ1往復だけ残されています。貨物列車ではキューロクが長い石炭列車を牽引してSLファンの注目を集めていましたが、C11牽引の客車列車はあまり記録されていないようで、雑誌や写真集を見てもなかなか見つかりません。

北九州のこの炭鉱地区には線路が縦横無尽に張り巡らされ、乗り鉄ファン(当時はそんな言葉はありませんでしたが)にとっても興味深い地区だったことでしょう。機関車の逆行運転も日常的だったので、163号機もSG管を前端梁の下に引き回しています。

煙室扉に消し残しのある「団結」の文字。整備が行き届いていた九州の機関車も、違法ストによってこんな見苦しい姿になっていたのは残念でなりません。

C11 145

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昨日、江別の鐵様から「番号が、またワープしてるじゃん」とご指摘を受けてしまいました。なので、また機番はバックします。その事実をSAMPUKU爺様は全然気づいていません。

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昭和47(1972)年3月 宮崎機関区

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C11145 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

所属は志布志機関区だったようです。

炭庫背面の通風孔がいかにも九州の機関車といった風情です。

サイドタンクの揺れ防止型鋼は1本だけで、しかもRを小さくとって目立たないようにしています。

先輪の前にある弧を描く部材は何なのでしょう。排気パイプか何かでしょうか。

 

志布志区のC11は、日南線経由で志布志~宮崎間と、大隅線の志布志~鹿屋(かのや)間の運用で、志布志線(志布志都城間)はC58が担当していました。

昭和47(1972)年10月ダイヤ改正まで、大隅線にはC11牽引の客車列車が1往復存在していました。

日南線大堂津~油津間の海岸は有名撮影地で、七ツ岩を入れての海バックの逆光気味なシーンは、多くの蒸機ファンの記憶に刻み込まれていると思います。

因みに志布志機関区は日本最南端の機関区でした。

C11 183

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年6月18日 苫小牧駅

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C11183 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

 

王子製紙の煙突が見えるので苫小牧駅で間違いないでしょう。日高本線の貨物列車は苫小牧操車場発着だと思っていましたが、苫小牧発もあったということでしょうか。

東武鉄道に貸し出されている207号機同様、183号機も二つ目です。既出の182号機の他に、206、209、210号機も二つ目でした。209号機の写真が見つかりましたので、後日アップします。

二つ目とした理由ですが、もう一つの運用路線であった富内線は落石が多いために、早期発見のための措置でした。そのため、富内線が一足先にDD13・DD15に置き替えられて無煙化されたことにより、二つ目装備は意味を失ったと云えるでしょう。(倶知安の二つ目キューロクも、運用路線であった胆振線は落石が多かったため。)

スノープラウは複線用を装備していますが、苫小牧区や釧路区のC11では珍しくありませんでした。

 

ワクチン接種2回目の副反応ですが、昨日はあれから37.9℃まで発熱して、寝ては起きてを繰り返していました。頼まれ仕事があったので寝てばかりもいられなかったからですが、夜には37.2℃まで下がり、今日はすっかり復調しました。部位の痛みはちょっとだけ残っていますが、倦怠感に見舞われなかったのは幸いでした。(歳食っていたせい?)

C11 144

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年5月23日 秋田機関区
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C11144 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

後ろ姿だけになります。この年の師走に廃車になりますが、この時はまだ息をしているように見えます。

後部標識灯がヤケに端っこにあります。用途の分からない部材がちらほらあります。

以上、もう何も書くことがありません。

 

昨日、2回目のワクチン(モデルナ)接種を受けてきました。注射は1回目の時よりも痛いじゃないか。現在の部位の傷みも1回目よりも強いでしょうか。でも、右肩への痛みの転移は今回はありません。体温は若干上がって37.2℃。お腹には、発熱した時に現れる痛みみたいな感覚があり、ちょっと熱があるのかな、そんな程度で、体のだるさはありません。明日になれば倦怠感の襲来の可能性があります。傷めた右ふくらはぎの痛みと腰痛もあって、何かもう痛みだらけ。蒸機現役時代へタイムスリップして現実から逃避しましょう。

C11 141

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年5月23日 秋田機関区

車歴は↓こちら。

C11141 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

第一種休車に入り、庫の中で休眠中。しかし目覚めることのないままこの年内に廃車された模様。ほぼ一生を秋田区で過ごした機関車でした。

炭庫背面にある4カ所の解放テコ受け、外側のものが左右逆です。

あまり撮影されない背面ですが、解放テコ受けの位置、ナンバープレートの取り付け高さ、梯子の形状、ステップの位置・形状、増炭枠の有無・形状、通風孔の有無、排障器の形状、SG管受け金具の形状・有無、前照灯の形式と庇の形状・有無、後部標識灯の位置、配線の取り回し、リベットの数・位置、ゼブラ模様の有無・パターンなどなど、各機関車ごとに特徴があるので、特定機を模型化する時に模型屋さんが頭を悩ましそうです。

C11 117

江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年10月22日 小牛田運転区

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C11117 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

火の気がないように見えます。端梁にゼブラ模様があることから入換専用機だったのでしょうか。後ろ端梁のゼブラ模様がちょっと変わっていますね。炭庫背面の梯子が上部まで届いておらず、なんか危なかしそう。

煙突後ろの消音器、部品が欠落しているように見えるんですけど。

サイドタンクと後部水槽とを結ぶキャブ下の太いパイプですが、機関助士側だけ白いものを巻いています。なんで?

後ろ妻のキャブ窓の庇が、微妙に上を向いているのは愛嬌。

引退後は四国の中村駅前のSL列車ホテルの「牽引機」となりました。「SLホテル」の草分けと云われているようですが、残念ながら一時のブームに終わったようです。開業から5,6年でホテルは閉鎖。宿泊施設だった客車が撤去された後もしばらくは機関車だけが取り残されていました。しかし平成時代に入ってまもなく、中村市の財政難とヤル気の無さから維持管理は無理と判断され、機関車は解体されてしまいました。