matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年8月29日 宮崎駅
二次型流線形からの標準化改造車です。いわゆる流改で、20~40号機が該当します。キャブの屋根の丸みと裾の斜めカットにその名残が見られます。流線形は昭和初期の世界的ブームに乗って設計されただけのもので、工学的にも技術的にもほとんど裏付けも意味もなさず、むしろ検修や点検、そしてキャブ内環境に悪影響しかなかったと酷評されました。唯一の効能として、煙がキャブ内に入り辛い流れとなったとは言われています。戦後間もない頃の写真を見ると、足回りの外皮がことごとく外され、いささかだらしない恰好になっています。外観だけ取り繕ったようなデザインに、それみたことかと揶揄されそうですが、国鉄の設計陣は最初から乗り気ではなかったそうです。お上からの鶴の一声というヤツだったのでしょう。とは言われれても、見た目はやはりカッコいい。流改機では最後に残った30号機が、保存予定だったのにもかかわらず誤って解体されてしまいましたが、そんな不手際がなかったら、今頃は流線形に復元されて小樽の交通博物館で異彩を放っていたかもしれません。いや、大宮の鉄道博物館に引き取られていたかな?
機関車後方に架かるテルファクレーンも当時の駅の姿を物語る重要なストラクチャと云えるでしょう。
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