ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D60 27

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 27は元D50 237

D50 237の車歴は↓こちら。D50 237の旧機番は29936。

http://d51498.com/db/D50/D50237

昭和43(1968)年3月17日 直方機関区

直方区一筋の機関車でした。除煙板前方下部が開閉式になっています。こういう細工をするくらいなら門デフに変えた方が手っ取り早く、現場も楽だと思います。

前端梁は両端が切り欠かれていないタイプですが、端部のタッパは短いです。前回の26号機と比較してもらうと一目瞭然ですが、斜めカットが端部まで延長された格好になっています。車両限界をクリアするためのもう一つの秘策だったのでしょうか。

昭和46(1971)年2月19日 鳥栖機関区

煙室戸ハンドルの取輪は4個の穴開きタイプ。

煙突の延長部が何だか宙に浮いている奇妙な状態に見えます。3点か4点で浮いている輪っかを支持しているようですが、何とも不思議な改造です。最初の2枚も良く見ると、スジらしきものが見え、宙に浮いているように見えなくもありません。

サイドステップの踏段には滑り止めの凸が見えます。

福岡県八女市に保存されていましたが、その醜悪な状態の酷さで有名でした。今はどうなっているのでしょう。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6027

D60 26

田中 泰三様とSAMPUKU爺様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 26は元D50 106

D50 106の車歴は↓こちら。D50 106の旧機番は19905。

http://d51498.com/db/D50/D50106

昭和42(1967)年11月22日 直方機関区

隣の39642は初見。LP403が巨大に見えます。D60 26号機は39642よりも大柄ながらLP42でよくまとまっています。

給水温め器のバンドが磨かれていい感じです。これぞ九州機。

除煙板の点検口蓋に取っ手がありますが、蓋はどのように固定しているのでしょう。

 

昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区

門デフに変身です。K-7タイプで、D50 64から受け継いだとのこと。

前照灯はLP403に、また延長していた煙突が元の長さに戻されました。

 

サイドステップには半円状の切り欠きがありますね。何のためでしょう。

それにしてもフロントデッキはパイプ類が賑やかです。

 

給水温め器、向かって右側には蓋がありません。26号機だけかなと思っていたら、D60もD50もみんなこうなってました。模型屋さんには常識でしょうけれども、今頃になって知りました。

 

昭和46(1971)年2月17日 門司機関区

除煙板を交換するにもそれなりの手間がかかるでしょうけれども、それでも門デフに交換したのは交換するだけのメリットがあるということなのでしょうか。それとも単に「カッコいいから」とか。確かにD60にK-7タイプは似合っててカッコいい。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6026

D60 25

SAMPUKU爺様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 25は元D50 289

D50 289の車歴は↓こちら。D50 289に旧機番は無し。

http://d51498.com/db/D50/D50289

昭和42(1967)年6月8日 原田駅

原田(はるだ)駅ってどこだ?ん~鹿児島本線の駅で、筑豊本線の起点・終点駅なんですね。背景に山が見えないことから、列車は原田始発で間違いないと思いますが、客車列車には若松行きの他に折尾から鹿児島本線に入る門司港行きの列車もあったんですね。D60とC55による重連とは、ん~痺れる。回送なんでしょうかね。前回の記事で触れた汽笛の位置がはっきり確認できます。

ネットには飯塚駅から下り急行「天草」を逆向きで後押しする画像があがっています。

 

昭和43(1968)年2月21日 直方機関区

ちょっとした吹雪に見舞われているようです。東北かと思っちゃいました。

化粧煙突は継ぎ足されています。どんな効果があるのでしょう。通風が良くなるのかな?

 

給炭中です。本当に蒸機は人出が掛かります。

前端梁にはスノープラウを固定するボルト孔はありません。D50時代も関西での運用だったので当然ですね。

砂箱のドームは丸味の少ないタイプで、これは汽車會社製の特徴。C62でも汽車會社製のものはドーム形状が独特でしたね。

 

79600は初見でした。いずれ記事をアップできるでしょうか。煙室戸ハンドル横の「引っ掛け」がチャーミングです。D50 289号機の5年先輩になります。

D50の出力は9600の1.5倍と云われており、D60はD50と同等のパワーを持ちます。従台車を1軸から2軸にしたことで動輪の軸重が軽くなり、そのままだと空転しやすくなったり牽引力が落ちたりするものですが、シリンダー径を20mm小さくしたり過熱伝熱面積を大きくするなどしてパワーを確保しています・・・とは書籍の受け売りで、その原理や理由はさっぱり分かりません。

昭和45(1970)年9月1日 直方機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6025

D60 24

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

D60 24は元D50 337

D50 337の車歴は↓こちら。D50 337に旧機番は無し。

http://d51498.com/db/D50/D50337

昭和43(1968)年2月21日 門司機関区

マジですか。九州でこの雪。でも北九州って、そこそこ雪が降るんでしたっけ。エプロンにはしっかり雪が積もっているし。D50の時代にはず~っと福島区だったので雪には慣れているでしょうけれども、D60では一転して温暖な直方区。久々の雪に内心喜んでいるとか。ないない。

書類上は廃車になったばかり。番号板は付いたままなので、休車継続中かなと思ってしまいます。雪で分かりにくいですが、ロッドは外されているように見えます。

21号機とおなじパイプ煙突ですが、こちらは縁取りがあるので安っぽさはありません。もしかして21号機はその分煙突が短いのかな?更に21号機同様、キャブ前窓に庇はありません。部位名が分からないのですが、同じくキャブ屋根前端から垂直に降りる補強板もありません。

ランボードの下を伝って蒸気暖房管がシリンダーまで伸び、フロントデッキの下に潜っています。

砂箱ドームの後ろにちょこんと頭を出している汽笛。安全弁の後方に設置されているのですが(安全弁は汽笛よりも低く、ドームの陰になっていて見えません)、一部のD50では蒸気溜めドームに移設されたものがあります。D60にも移設されたものがあるのかどうかは分かりません。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6024

D60 23

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

D60 23は元D50 88

D50 88の車歴は↓こちら。D50 88の旧機番は9987。

http://d51498.com/db/D50/D5088

昭和42(1967)年9月19日 川前駅

19号機同様、LP405が2灯。補助灯の位置は高目です。各々の灯具の下に「架線注意」札が貼ってあります。1枚で十分なのでは?

前配置区で設置されていたリンゲルマン濃度計の支持金具が除煙板上部ステーに残されたままです。

エプロンは左右対称の位置にあるように見えます。

磐越東線では輸送力強化のため8620や9600をD60に置き換え、この頃は13輌の布陣で磐東の輸送を一手に担っていました。しかし画像の翌年の「よん・さん・とう」で無煙化され、磐東のD60は全滅してしまいます。全滅に追いやったのはDD51で、一部の蒸機ファンからは赤ブタなどと罵られ目の敵にされていました。乗客や沿線住民、そして乗務員からしたらDD51は煙害からの救世主だったでしょうけれど。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6023

 

昨日の朝に寝違えてから、首の痛みが続いています。半月ほど前にギックリ腰をやらかした時には、翌日、突然治ってしまったのですが、今回の首の痛みは1日経っても治りません。奇跡は2度起こらんか。

あ、その昨日ですが、2か月かかって新作ビデオが完成しました。ふ~やれやれ。

本文よりも目立ってしまったではありませんか。

D60 21

SAMPUKU爺様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 21は元D50 133

D50 133の車歴は↓こちら。D50 133の旧機番は19932。

http://d51498.com/db/D50/D50133

昭和43(1968)年1月24日 大分運転所

K-7タイプの門デフにリンゲルマン濃度計、典型的な九州の機関車です。因みにD60の門デフは全てK-7タイプで統一されています。

大分運転所には既にDF50が配備されていますが、この年の10月1日には新大阪~宮崎間に寝台特急「彗星」が新設され、門司~大分間はED74が、そして大分~宮崎間はDF50が牽引します。客車は20系で堂々の15輌編成。ただし、宮崎までの通しは8輌で、大分で付属編成7輌の分割・併結を行っていました。

 

昭和43(1968)年3月19日 大分駅

パイプ煙突が何とも素っ気ないです。缶胴周りの梯子の位置は原設計のまま。キャブ前窓には庇がありません。何だか作りかけの模型みたいですが、実際にこれで機関士は前方確認に支障はなかったのでしょうか。

エプロンがありますが、何だか向かって右寄りにずれているように見えます。煙室戸周りの手摺が下まで伸びてリブと干渉するからでしょうか。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6021

D60 19

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

D60 19は元D50 244

D50 244の車歴は↓こちら。D50 244の旧機番は29943。

http://d51498.com/db/D50/D50244

昭和42(1967)年9月19日 平機関区

化粧煙突はいいけれども、LP405が2灯にはガックシ、というファンは少なからずいたでしょうね。化粧煙突にはL型状のフックみたいなものが見えますが、もしかすると回転火の粉止めを固定するものでしょうか。でも回転火の粉止めを載せたD60って、D50もそうですが、少数派のようです。

前端梁両端にはD52のような切り欠きがあります。これは車輛限界に抵触するということで切り欠かれたものだと思うのですが、3号機や12号機は切り欠かれていません。京都博物館のD50 140号機にも切り欠きはありません。D51でも同様の措置を講ずる筈だったのが、その例は見たことがありません。建築限界との余裕でクリアできたのでしょうかね。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D6019