ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

キサロハ182

平成10(1998)年9月12日 石狩月形駅

日本初の二階建て気動車であるキサロハ182-5101です。ご存じ、クリスタルエクスプレスの中間車であります。眺望の良い二階部分がグリーン室かと思いきや、一階部分がグリーン個室となっており、後に「スーパーとかち」に組み込まれた同形式の550番代では二階がグリーン室になっているのとは対照的です。因みに5101号も550番代もグリーン室は通り抜けできない構造となっているものの、客室構造はかなり異なります。5101のもうひとつの特徴は、両端の平床部分はオープンスペースのラウンジとなっており、こうした配慮がいかにもリゾートトレインらしさを感じますが、一方で二階の普通室の腰掛がボックス席というのは賛否両論あったかと思います。4人揃っての利用ならまだしも、そうでない時にはちょっと・・・特に一人乗車で通路側の席に当たってしまったのならガッカリ感がそれなりにあったように思います。

と、ここまで書いて、過去にも同じような記事を書いていたことが分ってしまい、削除しようかなと思いましたが、今更新しいタイトルで記事を書く余力がないので、このままにしておきます。

いやあ、それよりも昨日もまたPCが起動できなくなってしまいました。わずか6日前にも不具合が起きたのにどうなっているんでしょう、このPCは。前回の時と不具合の内容は異なるようですが、PCが自動修復を試みて回復しようとしても出来なかったという点では同じ。先日作成したWindows11のインストールディスクからの修復を試してみましたが、どうしたことか修復のボタンを押しても反応せず、何もできませんでした。F8連打からのセーフモードでの起動もできません。このPCはDELLのワークステーション(中古)なのですが、そういう設定にでもなっているのでしょうか。しゃーないので、またクローンSSDに差し替えて、結局は元のさやに納まった形になります。まだ6日しか経っていないので、Cドライブの内容にそう変化はありませんが、プリンタのドライバはインストールしました。Windowsのドライバでもプリンタは使えるのですが、これでは両面コピーの機能が使えないのです。PC版LINEも入れておきました。その後に、またクローンSSDを作成しました。意味があるのかないのか分かりませんが、CドライブとなるM.2 SSDのPCI拡張カードは別のスロットに差し替えました。いずれにしても旧版のクローンドライブ作成ソフトは無料のまま使えるので、1年ごとにクローンディスクを作成しておくのが良さそうです。その際には少しでも作成時間を短縮するため、容量を少なくしておくのが良いでしょう。つまり作成したデータやダウンロードしたデータはCドライブに保存しないことですね。

31年前の記憶

平成7(1995)年11月1日 南小樽~小樽築港

C62 3の最後をどこで撮ろうかと色々考える中で、ず~っと気になっていた場所がありました。そこにはまだ行ったことがなかったので、撮影二日前に下見することにしました。南小樽駅から南東に見える山腹なのですが、それが写真の場所です。右下に写る建物は潮見台小学校ながら、今となっては正確な場所は覚えていません。狭い道路上だったような気がするのですが・・・。この半月前に銀山の山を下見した時には、クマよけの鈴とラジオ、笹薮を払う鎌、そして一眼レフカメラをしっかり持参し普通列車を撮影したものですが、この時にはコンパクトカメラで済ませています。散歩気分でやって来れる場所なので、カメラもそれに相応しいということだったのでしょうか。ともあれ、ごちゃごちゃしていますが、小樽の街っぽくて、C62 3を見送るには最適な場所と判断し、いよいよ当日を迎えます。
11月3日、まず上り「C62ニセコ号」は小樽を出てまもなくの所で撮影しました。ここも以前から気になっていた場所で、最初にして最後の撮影場所でした。当然ながらそこにファンなど一人もおらず、「C62ニセコ号」最終日らしからぬ状況でしたが、列車が姿を現すと、それを追いかけるように取材ヘリが数機ブンブン飛び回っていたのが、唯一それを物語るものだったでしょうか。今頃テンロクは大賑わいだろうな。
返しとなる下り列車は撮影していません。それを撮影すると、南小樽での撮影は間に合わなくなるからです。単機回送を撮影するために、本チャンの「C62ニセコ号」を捨てるなんざ正気の沙汰ではありませんね。それを裏付けるかのように、上り「C62ニセコ号」を撮影し終えると、快速「エアポート」で新千歳空港まで往復乗車しています。その間、撮影は皆無です。列車の中で様々な思いに耽っていたのかもしれませんが、今から考えると自分の行動とは到底思えませんね。

そして南小樽。厚い雲に覆われた空からは、いつ雨が降ってもいいような状況だったように思いますが、実際に雨が降ったかどうかは覚えていません。二日前のコンパクトカメラ持参とは異なり、この日はベータカムに三脚のフル装備で、バッテリーやマイクなども含めると、ゆうに15kgはあります。銀山や深名線の政和で雪山を登った時のことと比べれば大したことではありませんが、坂道ではやはり息は上がります。現地に到着し、行き交う普通列車数本で撮影の練習をしてからいよいよ本番。薄暗くなった中を、定刻に姿を現したC62 3は、予想した通り煙も吐かずに建物に見え隠れしながら小樽築港へ去ってゆきました。実にあっけない撮影でした。ですが、そこで終わりではありません。最後の最後に小樽運転所へ行って、苗穂へ向けて回送されるC62 3本当の最後の運用を撮影するのでした。しかしメモには小樽築港駅で乗降した記録はなく、小樽駅で乗り降りしています。小樽駅と小樽運転所の間をどうやって往復したのか。う~~~~ん。31年前のこととは言え、全く覚えていないとはどういうことなのでしょう。もしかすると鉄友の車に乗せてもらったのかもしれません。この2か月前の深名線最終日のことは割と覚えているのに、C62 3の記憶がここまで断片的なのは全くもって不可解としか言いようがありません。単なる歳のせいかもしれませんが。(泣)

見られている

昭和59(1984)年8月4日 横浜駅

この日、浜松機関区の車輛展示会を見に行こうと下りの普通列車を待っていたところに(新幹線を使わないのが鉄ちゃんのサガでしょうか)逆方向から上りの「さくら」が到着。それを撮影した写真をよく見ると、ホームでは顔が写る全員がこちらを見ています。何もそこまで揃って見なくてもいいでしょうに。照れるじゃないですか。

光漏れ、何が原因?

平成11(1999)年4月17日

2コマ目

 

24コマ目

 

25コマ目

 

30コマ目

 

33コマ目

1枚目のみ清水沢駅、他は鹿ノ谷駅

このランダムな光漏れは何でしょうね。カメラ裏蓋からの光漏れには見えないし(縦筋クッキリのものは裏蓋からの光漏れとは考えられません)、じゃあパトローネの光漏れなのかというと、ここに掲載していない1コマ目と3コマ目から9コマ目までに光漏れはありません。つまり一番影響を受け易いハズの最初の方のコマで被害が少なく、影響をほとんど受けない筈の後の方のコマで被害が大きいのですから(光漏れの写真を全部掲載しているわけではなく、他に幾枚もあります)、パトローネの光漏れとは考えにくいですね。ということは現像時の光漏れなのでしょうか。でもそうなる状況は考え付きません。いずれにしても、こんな光漏れはこのフィルムだけの現象なので、奇妙といえば奇妙なのですが、他のフィルムで起きなかったことで善しと考えるしかないでしょう。

フィルム撮影では、撮影の途中で。あるいはフィルムを使い切って巻き戻す際に完全に巻き戻す前にうっかり裏蓋を開けて光漏れをやらかした経験を持つ人はそれなりにいると思います。私も何度かしくじっています。デジタル写真ではそういう心配がないのがいいですね。そもそも裏蓋なんてないし。

高感度フィルム

昭和60(1985)年4月21日 上野駅

サイズが小さいと分かりにくいかもしれませんが、これはASA1000(ISO1000)のコダカラーで撮影したもの。あまり明るくない室内で撮影するために使ったものですが、その余った部分で撮影しました。

一方、こちらは再掲ですが、ASA100(ISO100)のコダカラー。さすがにASA100だと粒状性の違いによるものなのか、滑らかさに違いが感じられます。とはいえ、ASA1000のフィルムがここまで良くなっていたとは驚きでした。それまでのASA400より上だったかもしれません。とはいえ、やはり緊急の時にしか使う気にはなれませんね。

ちょっと露出不足のASA100での撮影ですが、ASA1000などの高感度フィルムではコントラストが高めになりがちなので、使い方には注意が必要です。

ASA100で撮ると、ヘッドマークもくっきりしゃっきり撮影できます。割と見た目に近かったかも。いずれもトーンカーブでの調整はしておりません。高感度フィルムの話題だったハズなのに脱線してしまいました。

 

とここで、フォトショップに異常事態です。イメージ>色補正>トーンカーブを選択するとフォトショップがフリーズし(「表示」など一部の機能は生きていますが)、画像の加工はおろか、保存も閉じることすらもできなくなりました。(なので、掲載の画像はトーンカーブで調整していません。)閉じるのはタスクマネージャーから強制シャットダウンすればいいのですが、トーンカーブで調整できないのは結構痛い。・・・と思いながらネットで調べると、別なルートでトーンカーブが使えることが分りました。しかしフリーズの解決策は見当たらず、幾つかの方法、設定を初期化するとかGPUを使用しないとかを試みましたが無駄でした。PCが不具合を起こすまではこんなことなかったんですけどね。これがサポートされていないアプリを使う上での障害なのでしょうか。
試しにアップデートを試みると、PhotoshopではなくIllustratorがアップデートされました。もう何年も前にサポートが終了しているCS6ですが、アップデートはできるんですね(笑)。

豪華通学列車

昭和60(1985)年4月30日 17:20頃 狩勝4号 池田駅

釧路発、滝川経由札幌行きの急行「狩勝4号」です。所要時間は6時半で、当時の「おおぞら」が石勝線経由で5時間(現在は4時間20分)程度ですから、その差は1時間半。大方の人は「おおぞら」に乗ったでしょうね。因みに「狩勝2号」は釧路~帯広間は普通列車226Dで、帯広~札幌間が急行でした。昭和56(1981)年10月に石勝線が開業して、札幌~新得間のメインルートは石勝線経由になってしまいましたが、それでも滝川回りの急行列車がまだ2往復残っていた時代です。因みに石勝線経由の定期の急行列車は夜行の「まりも」だけでした。

 

17:40頃 229D 豊頃駅

その「狩勝」と同じ編成の列車が、通学生を乗せていた普通列車の229Dで、「狩勝4号」と同じくキハ56系4輌編成を組んでいます。実はこの列車、札幌発の「狩勝3号」で、帯広から普通列車になって釧路まで運転されていました。つまり「狩勝2号」と対をなす列車ということになります。こんな列車で通学できるなんて、あんたたち幸せモンだよ。今はもうおっさん、おばさんでしょうけど、幸せですか。

 

昨日はあれからドライバーやらアプリやらをイントールして、何とかそれまでの環境を取り戻すことができました。それからクローンディスクの作成に取り掛かりました。その前に、システムドライブに入っている作成済のデータを他のドライブに移し、少しでも容量を少ない状態にします。クローンディスクの作成には時間がかかりますからね。そして問題はクローンディスク作成のアプリ。ちゃんと残ってましたよ、無料で使える古いバージョンのアプリが。古いバージョンといえば、DVDやブルーレイに焼くソフトも、新しめののバージョンは使いにくかったので、古いバージョンのものに代えました。何でも新しければいいってものではありません。こうしてシステムディスク(M.2 SSD)のクローン作成です。もともとM.2 SSDは読み書きが半端なく高速なのとUSB3のケーブルでつないだこともあってか、35分程度でクローンディスクが完成しました。これで、もしまたシステムディスクに異常が起きてPCが起動しなくなっても、しばらくは安心できますよ。

 

 

PCトラブル その後

Windows11 26H2のインストールディスクを使っての上書きインストールは無事に終了しました。1時間以上かかりましたけどね。もっともクリーンインストールでもそれくらいはかかりますし、その場合にはドライバーやらアプリやらのインストール、そしてそれらのアップデートがあるやらで、さらに何時間もかかりますから、それに比べれば圧倒的に早くに完了できて、元の設定がそのままですから本当にありがたい。
さて、現在のシステムディスク(Cドライブ)のクローンを作ろうかどうかちょっと躊躇しているところです。以前は無料で使えたクローンディスク作成ソフトが今は有料なのです。無料で使えた古いバージョンをどこかに保存していればそれを使おうと思っているのですが、メーカーとしてはそんなことなど重々承知しているでしょうから、何らかの対策をとっているかもしれません。さて、どうしましょう。

おっとその前に、現在のシステムディスクにインストールしなくてはいけないドライバーが幾つかありました。まずそれからですね。

文章だけの記事ではつまらないので、何の関係もありませんが画像を1枚。

昭和47(1972)年6月6日 苫小牧操車場

修学旅行で函館に向かう列車の窓から撮影したものです。「あ、二つ目!」と驚いてシャッターを切ったのかどうかは覚えていません。道内各地に蒸機はそこそこ残っていたので、道中、気が気ではありませんでした。