田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年2月18日 盛岡機関区
給水中の一コマです。
煙室戸周りの手摺は中央で分断されています。そのため支持材がわずか1カ所だけとなっています。大丈夫かいな。
煙突が何やら奥まっているな~と思ってよく見ると、煙室が延長されています。C51のように極端に飛び出してはいませんが、斜め横からでも番号板が除煙板の陰に隠れることはないので番号集めのファンにはありがたいことです。因みに煙室延長は、燃焼効率の向上が目的であり、これにより石炭の消費量が抑えられることと、副次的にシンダの発生が減少し、沿線火災の防止や乗客への煙害の軽減といった効果が期待されました。しかしながら、実際の効果は期待したほどではなかったため、普及することはありませんでした。煙突もちょっとだけ延長されています。
暖房用の蒸気管がランボードに沿って前方へ引き通されています。客車のバック運転用ですね。
スノープラウの切り欠き形状が何とも妙です。
昭和47(1972)年5月23日 弘前運転区
入換時を考慮して、左側ステップには囲いがあります。垂直材の頭に球体を付けているのは握った手が抜けないようにするためでしょうか。
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