ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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昭和50(1975)年1月2日 鷲別機関区

車歴は↓こちら。

19667 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

誕生から一貫して北海道で活躍した機関車だったようです。

トラ塗り(ゼブラ模様と云ったり、表現が一貫してなくてすみません)、フロントデッキに柵の様に設置された手摺など、いかにも入換機らしい姿です。でも入換機だからといって本線で貨物列車を牽引しないわけではありません。この地区のことは分かりませんが、この頃の滝川区のトラ塗りキューロクは、赤平まで貨物を牽いていました。後部標識灯が2灯あるのは、本線で貨物を牽引するヤル気満々のようにも見えます。

室蘭地区は雪が少ないせいか、スノウプラウもそれを上げ下げするシリンダーも取り付けられていません。フロントデッキの左側ステップ部には切り欠きが設けられ、昇降がし易くなっています。9633などと同じ。

この頃の北海道機としては珍しく前照灯は1灯です。キャブ側窓は2枚分割の古いまま。

炭水車も機関車本体の様に多くの種類がありますが、このタイプは比較的古い方でしょうか。増炭できるように囲いが張られています。

 

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昭和50(1975)年7月13日 砂川駅

鷲別機関区訪問から半年、19667は滝川機関区へ転配され、この日は砂川駅で入換をやっておりました。上砂川支線の石炭車などを扱っていたのでしょう。補助灯が増設されていました。駅員に断った上で構内で記念撮影。架線の下なので、傘を持つ手がちょっとビリっときたように感じました。因みに砂川駅には転車台がありました。

 

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昭和50(1975)年10月26日 滝川機関区

冬に備えてスノウプラウを装備。次世代のDE10とDD51に挟まれて何を思う。

 

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昭和50(1975)年11月23日 砂川駅

キャブ出入口には防寒防雪のためにカーテンが取り付けられています。北海道の機関車は密閉キャブに改造されたものが少なくありませんが、キューロクでは見た記憶がありません。

いよいよ滝川区の蒸機は終焉間近となり、この後から国鉄ストが始まり、いつ運転されるか分からない蒸機に、ファンはやきもきさせられることになります。それにしても非公式側の写真が1枚もないじゃないか。

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SAMPUKU爺様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月19日 青森機関区

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19652 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

電柱の影が頭に落ちていささかうざったいですが、注目すべきは炭水車。側面の上部がカットされており、キャブから後方の視界が確保できるように改造されています。C56のようなスロープカットではなく、青森機関区の入換機ならではの姿です。炭水車のキャブ側には、キャブの形状に合わせた衝立を設け、そこに窓ガラスをはめ込み、バック運転時に雨雪が凌げるように配慮されています。しかし、視界確保の効果はそれほどでもなかったのか、4年ほどして炭水車のカットされた前半分は炭庫に復元されています。

回転火の粉止めのお皿は後年撤去されますが、その頃には煙室扉、前端梁、炭水車後面にゼブラ模様がばっちり描かれるようになり、入換機らしい姿となります。同僚の29660は試験的にオレンジ色に塗装され、炭水車の両側面には緑十字が描かれていましたが、この画像の頃には黒色に戻されていたものと思われます。盛岡区のハチロクにもオレンジ塗装車がいましたが、番号は不明です。

青森区の特徴として、画像では分かりにくいのですが、キャブの屋根が延長されていました。また、正面窓の長い庇が特徴的です。解放てこが片側だけですが、入換作業に支障はなかったのでしょうか。

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田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

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昭和43(1968)年11月14日 高岡支区か

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88625 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

前回の68670と同じ日に撮影したようです。第一種休車となり、こちらも煙突にカバーが掛けられ、雨の中に佇んでいます。「架線注意」のプレートが外されています。煙室扉回りの手摺はちょこんと、えらく小振りなものになっています。

ハドソンのC60、C61、C62やバークシャーD60、D61、D62は、既存の機関車を改造して誕生した形式で、C60=C59、C61=D51+C57、C62=D52+C59D60=D50、D61=D51、D62=D52といった姉妹関係になります。そしてハチロクには改造によらない同時期に新製された姉妹機関車が存在しました。6760形式です。姉妹機だけあって8620形式同様、何とも中途半端な形式名です。6760形式は、最初の標準的国産機関車として誕生した6700形式(飽和蒸気式)や6750形式(過熱蒸気式)の改良型であり、幹線用のハチロクに対して地方路線の旅客用を目的としていました。足回りは1C形のハチロクに対して、6760形式は明治以来の旅客用機関車の標準であった2B形でした。足回りこそ違えども、ボイラーやシリンダーは全く同じ。しかし、動輪が2軸と3軸とではその牽引力には大きな差があり(6760形式はハチロクの70%程度の牽引力)、ハチロクが蒸機終焉まで本線で活躍したのに対して、6760形式はその陰に隠れて入換機として晩年を送り、人知れず昭和33(1958)年には全車廃車となっています。

因みに形式番号の付し方はハチロクとは異なり6760~6799の次は16760ではなく、6800となります。ハチロクの場合には8699の次の8700はすでに使用済の形式番号だったので18620となりましたが、6760形式の場合、6999まで空番となっていたので桁を上げずに済みました。製造は88両の少数にとどまり、最終番号は6847でした。

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田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

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昭和43(1968)年11月14日 高岡支区か?

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68670 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

第一種休車状態のようです。煙突にはカバーがかけられているものの、すぐにでも動きだしそうに見えますが、雨に打たれる姿は寂しいものです。

ハチロクの形式8620は、動軸数をアルファベットで表現する現在の形式称号規程以前の規定により定められたもので、18900形式がC51、9900形式がD50と改形式されたものの、8620形式と9600形式は改形式されませんでした。

因みに以前の形式では、1~4999がタンク機関車を、5000~9999がテンダー機関車を表し、

動輪2軸が5000~6999、

動輪3軸が7000~8999、

動輪4軸が9000~9999。

と分類されていました。例外的に、マレー式のC-C機関車(6軸)は9750形式、9800形式、9850形式となっています。ついでにタンク機関車の場合には

動輪2軸が1~999、

動輪3軸が1000~3999、

動輪4軸および5軸が4000~4999。

マレー機関車B-B軸配置の9020形式は最初は4600形式を名乗っていました。形式を命名した担当者が、炭水車のない姿(炭水車は国産)からタンク機関車と勘違いしたのだとか。

CやDを頭に付す新しい形式称号は新製機関車のみに命名する規則から、すでに製造を終えていた8620形式と9600形式は改形式の対象外となり新形式にはなりませんでした。一方、18900形式と9900形式は増備中だったため、途中からは新形式で製造され、旧形式ナンバーも新形式ナンバーに改められた次第です。この時、大量に旧形式のナンバープレートが出たでしょうけれども、おそらく鋳造しなおされて新ナンバープレートに作り替えられたのではないでしょうか。

買収私鉄の機関車も旧形式を名乗ることとなっていましたが、芸備鉄道の7~9号は国鉄に買収されてうっかり形式C13と命名されてしまいました。すぐに2920に直されましたが、幻の「C13 1」の写真は残されています。

国鉄3030形蒸気機関車 - Wikipedia

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田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

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昭和43(1968)年10月2日 福井機関区

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58677 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

お召予備機の48659と同じく、金沢運転所から貸し出しされた機関車だったようですが、返却しないままこの2か月後に廃車となってしまったそうです。

前端梁の向かって右側に据えられたステップが48659と共通です。煙室扉の白っぽい汚れは何なのでしょうね。

この当時は、先進国標準であったヤード・ポンド法に則って図面が引かれ、車両が製造されていました。ハチロクの図面を見るとインチ「”」、フィート「’」で寸法表示がなされ、たとえば動輪直径は「63”」(63インチ=1600.2mm)となっています。日本には独自の尺貫法がありましたが、インチと寸、フィートと尺が似ていたので、工業会ではさほど抵抗なく使われていたような気がします。社会で広く使われていた尺貫法だけに、メートルへの転換にはいささか抵抗があったようで、故 永六輔さんも、尺貫の使用を訴え続けていましたね。実際、坪、間など建築の世界では慣用的に今でもしらっと使われています。

自作パソコンを組んだ人なら、インチネジとミリネジの両方があるのをご存知かと思います。HDDを固定するネジはインチネジで、山・谷の間隔が少し広めです。一方、DVDドライブなどの光学ドライブの固定にはミリネジを使います。ネジ径が違うので間違って使うことはないのですが、それを知らずに無理くりねじ込むとネジ穴がおかしくなって本来のネジが取り付けられなくなります。パソコン発祥の国がアメリカなので、インチネジを採用したのだと思います。アメリカは今でもヤード・ポンド法なのです。鉄道車両も古いものだとインチネジとメートルネジが混在していました。

メートル法の施行は大正13(1924)年ですが、国鉄では昭和5(1930)年にメートルへ切り替えました。それまで距離にはイギリス由来の「マイル・チェーン」を使っていたものを「キロメートル」へ切り替えたわけですが、この「チェーン」というのは測量に使用する単位で66フィートや792インチに等しく、およそ20mになります。

テレビ画面のサイズ(対角線上の長さ)に使われている「型」がインチサイズを示していることは皆さんご存知のことかと思いますが、ビデオテープなどの磁気テープの幅もインチで表されていますし、懐かしいフロッピーディスクも8インチとか5インチとか3.5インチがありましたね。インチ・フィートは漢字ではそれぞれ「吋」「呎」と書き、これらは日本で作られた漢字(国字)になります。なんで口ヘンなのでしょうね。

交友社発行の「私の蒸気機関車史 下(川上幸義著)」のP.284にハチロク主要諸元が表記されていますが、動輪直径の5吋3呎は5呎3吋の誤植ですね。

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田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

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昭和43(1968)年10月2日 福井機関区

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88635 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

福井国体でのお召し列車本務機です。まさにブラックビューティー喝采を送りたくなります。手摺や解放てこは真鍮でしょうか、それともステンレス?細めのボイラーにはシールドビームもまあ似合っていると言えそうです。煙室扉のハンドルはかっちり45度クロス。

メーカーズプレートは「三菱造船株式会社 神戸造船所製造  No.13 大正十五年三月」と、左書きになっています。当時の物なのか、それとも後に作り替えたものなのか。実際、大正時代であっても左書きは存在していたので、何ともいえません。

キューロクのメーカーが汽車製造会社と川崎造船所の2社のみだったのに対して、ハチロクで初めて日立製作所、日本車輛、そして三菱造船所の3社が新規メーカーとして参入しました。三菱神戸造船所が初めて製造した蒸機は美唄鉄道向けの4110形式(No.2とNo.3)で、これが製番の1と2。そして3~5が78637~78639、6~8が78660~78662、9は不明で10が美唄鉄道のNo.4(4110形式)、11~15が88633~88637となります。

化粧煙突も誇らしげに重連の先頭に立ち、日章旗をなびかせて一号編成を牽引する写真は残念ながらありませんが、想像するだけでもワクワクしてしまいます。あ、お召列車では爆煙は厳禁なので、そーゆー想像はしません。

因みに、ハチロク重連牽引によるお召列車は、翌年10月にも松浦線で実現しています。

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田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

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昭和43(1968)年10月2日 福井機関区

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48659 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

お召し列車の予備機関車です。この当時は金沢運転所の所属で、福井機関区に貸し出されていたようです。日章旗を掲げるポールだけが取り付けられ、すぐに本務機と交代できる準備をしていたようですね。手摺が白く塗られていないのがちょっと気になります。前端梁に増設された向かって右側のステップが、まるで旭川機関区仕様のようです。一体何の目的で設置されたのでしょうかね。(38689でも形状こそ異なりますが増設されたステップが同カ所にありましたね。)前回の28691とは異なり、「架線注意」のプレートが前照灯の下にも取り付けられています。見栄えの問題なのか、回転火の粉止めは取り付けられていません。