ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

D52 140

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。 吹田区への所属はなかったことで、集煙装置の搭載履歴はありません。 ボイラ交換したのは昭和40(1965)年と随分晩年だったんですね。 「最盛期の国鉄車輛16 蒸気機関車4」(ネコパブリッシング刊)に掲載…

D52 138

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年12月26日 森駅 昭和44(1969)年8月12日 伊達紋別駅 今回もサイドの画像が用意できませんでした。同じ五稜郭区所属機ながら前回の136号機とは異なり、こちらは開放キャブのままです。ただ…

D52 136

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月11日 五稜郭機関区 画像では分かり辛いかもしれませんが、密閉キャブ仕様です。またキャブ前窓は左右とも旋回窓になっています。 フロントステップの第一踏段が幅広です。積雪時への対…

D52 133

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和41(1966)年10月21日 柳井機関区 115号機と並ぶ133号機。山陽スジには大型機関車所属の機関区が幾つもあって羨ましい。 133号機の先輪前方には自動車の「泥除け」みたいなものが見えま…

D52 124

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和41(1966)年7月13日 柳井機関区 広島工場担当機の特徴が見られます。 解放テコは両端の取っ手に屈曲部がないなど、D52ではたまに見られる簡易型的な造りです。 ボイラ長手方向に伸び…

D52 115

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和41(1966)年4月12日 柳井機関区 ドーム前手摺の形状、エプロンの形状と埋め込み式後部標識灯で広島工場担当機であることが一目瞭然。解放テコの取っ手が、左右のフロントステップ間に…

D52 101

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年6月9日 国府津機関区 前回の記事で、セノハチにおけるD52重連補機最終運用に触れましたが、その最終列車80列車の後部補機の前位が101号機です(後位は123号機)。セノハ…

D52 75

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和41(1966)年10月21日 柳井機関区 昭和59(1984)年に廃止された柳井機関区には、かつて山陽本線や岩徳線の貨物運用を担うD52が配置されていました。この地域(広島鉄道管理局、後の中…

D52 72

田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月20日 国府津駅 前回の70号とはひとつ飛んだ弟機です。しかしなぜかこの機関車には除煙板に点検口があります。短い貨物列車は、D52にはあまりに役不足。 フロントステ…

D52 70

田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月20日 国府津機関区 かつての東海道本線である御殿場線で活躍したD52。LP405はちょっと寂しいけれども、威風堂々とした姿に変わりはありません。解放テコの幅が広く、…

D52 56

江別の鐵様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年2月11日 五稜郭機関区 終戦直後の昭和20(1945)年9月おける北海道のD52は、全31輌が長万部機関区へ配置され、函館本線・室蘭本線で貨物運用に就いていました。しかし昭…

D52 28

田中 泰三様と藤田慶二様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年5月3日 吹田第一機関区 D52の外観的特徴として、シリンダと煙突は側面から見て中心が600mm(給水温め器を煙突前に移設した際に煙突を50mm後退させ550mmにな…

D52 1

’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。 今回からD52が始まります。戦時中の大量物資輸送を目的に開発された国内最強の貨物用機関車D52は、いわば戦争の申し子と云えるかもしれません。資源に乏しい日本が限られた鋼材で製造するにあたり、徹底…

サハリンのD51

さあ、最後のD51の記事です。とはいえ、今後未掲載のナンバーや、既出ナンバーでもディテールのしっかりした写真が発掘されたら、随時アップしようとは思います。 さて、サハリンのD51は戦後、ソ連が侵略強奪した南樺太の鉄道向け30輌が、国内五大車輛メーカ…

DT668(D51 18)

江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。 平成21(2009)年1月11日 彰化機務段 日本が統治していた時代の台湾総督府鉄道部が発注したD51 1~32号機のうちの一輌で、昭和16(1941)年、川崎車輛で製造された元D51 18(製番2593)です。鉄道省(国鉄…

D51 1161

岩田弘志様の画像につき、転載はご遠慮ください。 撮影日、撮影場所不明(昭和30年代後半) 車歴は↓こちら。 http://d51498.com/db/D51/D511161 日本窒素株式会社が発注し、敗戦間近の昭和20(1945)年1月に落成したものの、中国海南島へ送られるはずだった…

D51 1160

田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様と’撮り人不明’様の画像の転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年7月6日 五稜郭機関区 四国に僅か10カ月ほど籍を置いた後、渡道してきた機関車です。四国時代の名残があるのかどうかは分かりませんが、除煙板の上部…

D51 1157

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区 エプロンの形状がユニーク。 除煙板は後端だけがリブで補強されています。非公式側の前端手摺は内側のものがちょっとアレで、ひん曲がっていますね。 担…

D51 1155

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 炭水車の後部標識灯は埋め込み式ですが、灯具掛けは残されたままです。台車は原設計の穴明きディスクタイプです。キャブ側面の番号板ですが、タブレットキャッチャーはあるものの、前方への飛び出しはあり…

D51 1153

SAMPUKU爺様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年7月16日 長万部機関区 車歴表によればこの時点で五稜郭機関区所属になっているのですが、この画像では長万部機関区の区名札が差されています。 池田機関区時代の名残で、…

D51 1150

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区 おお、炭水車が8-20Bだあ。船底じゃない。この炭水車はもともと何号機のものだったのでしょう。1150号機のものと振替えたのでしょうか。 かまぼこドームが後ろに長い…

D51 1149

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月8日 池田機関区 池田機関区時代です。番号板上方にまだ灯具掛けはなく、ちょっとスッキリした印象です。ドーム前手摺は釧路工場製。「架線注意」札はまだありません。 昭和43…

D51 1145

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年10月 浜田機関区 重装備ですが、車歴表にある「重油併燃装置増強(1500ℓ)」とはどういうことなのでしょうか。どう見ても680リッターにしか見えませんけど。 標準化改造にあって、送水管カ…

D51 1142

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年3月18日 南延岡機関区 兄弟機である1141号機同様、前部の「架線注意」札の貼り位置が特徴的。けれども砂撒き管の配置は幾分異なっています。屏風の裏当ての位置にも違いが見…

D51 1141

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年3月18日 南延岡機関区 九州生え抜きの機関車です。 前回の1133号機同様、船底式炭水車と1段折れ繰り出し管を除けば、標準型そのものです。除煙板上部ステーが左右で形状が異なり、しかも…

D51 1133

田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年4月23日 坂町機関区 生涯を酒田機関区で過ごした機関車です。 1130~1160号機は川崎車輛製で、砂撒き管の配置が日本車輛製や汽車會社製とは異なります。繰り出し管は非公…

D51 1129

田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年1月25日 豊岡駅 1127号機同様、これも四国での運用経験を持つ機関車です。 重装備に加え担いバネカバーの上にはウェイトを載せており、スノープラウ装備と相まって重厚さ…

D51 1127

田中 泰三様と渡部洋様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月13日 滝川機関区 D51として四国での運用経験を持つ13輌のうちの1輌。 除煙板の切り詰めは比較的早い時期に実施されたようです。 番号板は、上部両端が煙室戸の縁辺…

D51 1122

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和47(1972)年5月23日 秋田機関区 またまた炭水車背面だけの画像で失礼します。 機関庫の中に入ってしまうと、こういう形で撮影せざるを得ないことってままありますよね。でも、1087号機や1095号機同様…

D51 1120

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年12月26日 森駅 除煙板切り詰め前、五稜郭区時代の姿になります。除煙板の点検口は蓋付き。 ドーム前の手摺は釧路工場製のようです。 昭和48(1973)年11月26日 岩見沢第一機関区 ス…