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昭和45(1970)年9月1日 中間駅付近
九州で一生を終えた機関車です。化粧煙突ではありませんが、LP42と除煙板のない姿がかつて幹線で急行列車を牽引していたであろう雄姿を彷彿とさせます。前部の解放テコは片側タイプ。第一動輪の前方へ伸びる長い砂撒き管ですが、落成当時は第二動輪前方の1本だけでした。その頃は自動連結器ではなく、バッファー付きのネジ式連結器を装備していました。つげ義春の「ねじ式」は全く関係ありません。
サイドステップはこれまた梯子タイプ。今更ながら落成時の他の機番の写真を見ると、全部梯子タイプとなっています。これが原型なんですね。
砂箱ドームには逆J字型のフックのようなものが見えます。ドームカバーを吊り上げるためのものでしょうか。同様のフックは蒸気ダメの方にもあるようなないような。
キャブ側窓の固定窓には何かカバーが付けられているのでしょうか。ポリカーボネート板で補強しているなんてことはないでしょうけど。ランボード2段化に伴い、キャブ裾は切り上げられています。そのため裾部に点検口はありません。
炭水車の前方にあるホース状のものは、水槽の水量を見るものでしょうかね。
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