2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧
田中 泰三様の画像の転載はご遠慮ください。 昭和47(1972)年6月17日 追分機関区 検査標記から全検上がりのようで、ぴっかぴか状態です。 番号板の「1」が、微妙に一律ではなく、その位置も微妙です。 炭水車背面のステップには警戒版を出して昇降禁止と…
田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。 昭和48(1973)年11月26日 名寄機関区 11月末でもうすっかり冬景色。蒸気の出具合から、寒さも半端無さそうです。 「反戦」(「戦」の字は造字)と叫びながら国民までを敵に回して、こいつら一体何を…
江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和51(1976)年 仙台市ガス局原町工場 弘前区時代の古い写真を見ると、エプロンの両角は斜めに隅切りしていますが、この画像ではしっかり土崎工場仕様になっています。 雨樋を兼ねた出入り台の手摺には、…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月8日 新得機関区 新得機関区は、かつて旧狩勝越えの前線基地でありました。現在の新線は、この前年の10月1日に開業しているので、この画像の時には既に新線に切り替えられており、新…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月5日 岩見沢機関区 車歴表によれば、LP405は北海道に来てから換装されたことになっていますが、それが事実だとすれば極めて異例な事態でしょう。 担いバネカバーの前面には向って左側…
田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年12月26日 旭川機関区 北海道仕様に改装済ですが、密閉キャブになっているかどうかは判別できません。 分かり辛いですが、エプロンの形状が変わりました。 尻棒端面の開口が大…
田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和47(1972)年5月22日 新津機関区 除煙板の後方上部ステーの形状が特徴的です。 除煙板の裏補強板はビス留めなのでしょうか。でも外側にはボルトは出ていません。 正面の「架線注意」札が向かって左寄…
田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月6日 苗穂機関区 前回の1097号機とほぼ同時期に東北から鷲別機関区へ転属になっています。なのでエプロンはやっぱり土崎工場仕様。回転火の粉止めはたっぱが大きめ。 砂…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年8月6日 苗穂機関区 エプロンの形状から、東北から来たんだなということが分かります。 庇付きの前照灯が特別感を漂わせていますが、庇の目的は何なのでしょう。過去記事によれば618号機…
田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和47(1972)年5月23日 秋田機関区 前々回の1087号機と同場所・同日に撮影されたもので、ディテールも似ている箇所があります。LP405、梯子状のステップとそれに一体化された炭庫上部の手摺。漏水管とそ…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月13日 滝川機関区 一見すると北海道のD51には見えませんね。らしい所と云えば、ドーム前の苗穂工場タイプの手摺と空気圧縮機付近から後方へ伸びるパイプ(用途は分かりませんがヒーター…
田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和47(1972)年5月23日 秋田機関区 炭水車背面の画像しかなく、またブレている点もご容赦下さい。でも特徴あるディテールです。上面の手摺と一体になった梯子状のステップが目につきますが、これはこの…
田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮下さい。 昭和43(1968)年12月25日 苫小牧機関区 蒸機全廃7年前、滝川機関区時代の姿で、除煙板は切り詰め前。清缶剤送入装置も搭載されたままです。 原ノ町機関区から釧路機関区へ転属された僅…
田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮下さい。 昭和44(1969)年8月12日 植苗 除煙板切り詰め前の姿。 昭和47(1972)年6月14日 岩見沢第一機関区 昭和49(1974)年3月 栗丘駅 当時のファンの聖地、栗丘駅で。スノープラウには踏段…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月6日 苗穂機関区 熊本区から鷲別区へ配置替えされてから2年近く経過した頃ですが、車歴表に記されているようなキャブの密閉化は実施されておりません。給水温め器周りに戦時型の名残…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区 ホンの半年ほど門司区に在籍した以外は生涯を鳥栖区で過ごした機関車です。 舟底形炭水車は、戦後登場したハドソンがそうであり、そのイメージが強いせいか、機関車を…
田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮下さい。 昭和43(1968)年11月26日 長岡機関区 1079号機のものに類似した除煙板を有します。ただ、手摺が段違いにはなっていません。エプロンも1079号機と同じ土崎工場タイプ。四国に籍を置いた過去…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和45(1970)年8月21日 秋田機関区 四国は高知機関区に在籍したことのある13輌のD51のうちの1輌です。土讃本線用に投入されたもので、当時増大する貨物輸送に対応するため、それまでのC…
田中 泰三様と江別の鐵様と’撮り人不明’様の画像の転載はご遠慮下さい。 昭和42(1967)年8月26日 平機関区 原ノ町機関区時代の姿で、この2か月後、常磐線の電化に伴い北海道へと移ります。 LP405の前照灯、腰高の補助灯がここの特徴だったでしょうか。 昭…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月19日 青森機関区 新製配置から引退まで、全生涯を青森機関区で過ごした機関車です。青森区臭さが出ているかどうかは、この画像だけではちょっと分かりませんけど。 ということで某写真…
田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月11日 五稜郭機関区 北海道生え抜きの機関車。そのことと関係があるのかどうかは分かりませんが、除煙板の切り詰め、補助灯の設置などの電化対策は比較的早く、しかし電化とは無…
田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和47(1972)年6月14日 苗穂工場 書類上は廃車前ですが、すでに火は落とされ番号板は外され、すっかり廃車風情を漂わせています。ボルトの配置からして、番号板はかなり高い位置にあったようです。 排障…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1966)年8月11日 五稜郭機関区 事故車です。正式に廃車になるのはこの月末ですが、復旧されることなくすでに廃車状態にあります。車歴表にある、函館駅で車止めに衝突した事故とのこと。ただ壊れ…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 撮影:昭和43(1968)年1月13日 糸崎機関区 水戸区から移ってまだ3カ月ということもあってか、広島工場の香りはしません。というか、ほぼこのままのスタイルで糸崎区に骨を埋めます。目立…
田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和47(1972)年5月23日 酒田機関区 暗くてちょっと分かり辛いですが、前照灯が通常よりも高い位置に設置されています。 土崎工場担当機らしく、両角が突出したエプロンがちょっと危ないです。 フロント…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月20日 常磐線新地駅 久々のかまぼこドーム機です。しかし送水管カバーはしっかりと取り付けています。 除煙板上部ステーの「架線注意」札は、長町区所属D51の特徴なのでしょうか。九州…
SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区 美しいですね。流石、九州の機関車です。煙室戸十字ハンドルが輝いています。 うっかり標準型と見まごう程に改装されています。 先輪はディスクタイプでしょうか。ス…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。 昭和42(1967)年10月21日 岡山機関区 炭水車キャブ側・端部の切り欠きが目立ちますが、この機関車もほぼ完璧に標準型改装されています。送水管カバーも忠実に再現か。 スノープラウとの干渉…
matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。 昭和41(1966)年9月19日 糸崎駅 一見、標準型に見えます。炭水車のキャブ側端面の切り欠きが特徴的です。 送水管カバーがスタイリッシュに外観を引き締めています。原型は想像もつかない程…
田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。 昭和42(1967)年8月20日 原ノ町機関区 小樽築港機関区へ転属となる2か月ほど前の姿。LP405が2灯という姿は、いささか滑稽な趣があります。隣の暖房車はTR34を履いたオヌ33形…