ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

小歩危~大歩危

四国と言えば、表題の駅間くらいしか知らなかったので、まずはそこへ向かいました。なお、前回の記事と時間がダブります。別なカメラでの写真になります。 高松駅 宇和島行きの「しおかぜ1号」が「南風1号」より33分早く発車します。 さりげなく置かれた急行…

四国初上陸

何を思ったのか、3月の連休を使って四国へ向かいました。 横浜から寝台特急「瀬戸」に乗車。初乗車ですが、最後の乗車でもありました。向かいの寝台の方とはお酒を飲みながら夜遅くまで話し込んでしまいました。 時刻から考えると岡山駅のようです。 で、終…

清水港線、ファイナルへ向けて(その3)

前の晩の酒が多少は残っていたかもしれません。午前様だったし。おまけに快晴の朝は清水の町らしからぬ寒さでした。この日の撮影は午前中だけ。 まずはバスで巴川橋梁にやってきました。ここではいつも夕方の列車しか撮っていなかったので、一度くらいは朝の…

清水港線、ファイナルへ向けて(その2)

巴川口まで歩きつつの撮影です。線路はこの辺りから国道150号線に平行しています。 10:19 663列車 巴川口→折戸 「天野回漕店」付近の、踏切のあるカーブです。この辺りの線路跡は遊歩道になっています。 ゴミ散乱。あまり気分はよくありません。 11:37 巴…

清水港線、ファイナルへ向けて(その1)

清水港線が、この年の3月一杯で廃止されるということで撮影にやって参りました。書き忘れておりましたが、この前の年の10月に、私は清水の工場から横浜の工場へと転勤となり、川崎の独身寮で暮らしておりました。新しい職場とは言え、清水の工場と一緒に仕…

何故か熱海へ

東戸塚へ行ったその一週間後、晴天に誘われて出かけたのでしょうけど、なぜか熱海へ行ってました。さて、何が目的だったのか。さっぱり思い出せません。 南武線の武蔵小杉駅 東横線の乗換駅で、通勤にいつも利用していました。ちょうど貨物列車が通過してゆ…

雪の東戸塚(その3)

しつこいと言われそうですが、まだ最後の仕上げが残っています。 「サロンエクスプレス東京」が去った後も、一部のファンは残っていました。インカーブで何を撮るのか?やっぱブルトレですか?でも、私は動きませんよ。 何となくマイナーなイメージがありま…

雪の東戸塚(その2)

日曜日とは言え、普通電車はバンバン走っていたでしょうが、それはほとんど撮っていません。113系ばっかでフィルムが勿体ないから。 例によってかなりな露出不足なポジなせいで、ウチのスキャナーはこんな露出ムラムラな画像をこさえてしまいます。 はっきり…

雪の東戸塚(その1)

何だか雪シリーズになってしまいました。雪の上野駅で撮影した後も、雪がはらはらと舞う日が続いたので、日曜日に東戸塚へ出向きました。期待した通り、一面の雪野原。 最初に登場は普通列車。しっかりピンぼけです。着雪は全然無し。ちょっとイメージが違い…

雪の音威子府駅

前回、うっかり「雪の上野駅」をアップしてしまいましたが、稚内からの帰り、音威子府駅で324列車に乗り損ない、暇つぶしに音威子府駅で撮影した写真があったことを忘れておりましたので、今更ながらですがアップします。 広い構内では雪掻きに多くの人が駆…

雪の上野駅

この時には、少しずつではあるけれど、首都圏に連日雪が降りました。年末年始の帰省で雪を見飽きているけれども、首都圏で見る雪はまた格別かもしれないし、上野駅には雪国から雪まみれの列車が到着するかもしれないと思い、会社から帰宅すると、そそくさと…

最初で最後の天北線乗車

会社の同僚を引き連れて稚内公園やノシャップ岬を散策した後、天北線の普通列車に乗車しました。普通に宗谷本線ではつまらないと思ったからですが、乗車した気動車の窓は曇りまくっていて外がよく見えず、結局、あまり面白くありませんでした。二人してほと…

稚内桟橋駅跡で

会社の同僚を連れて真冬の稚内にやってきました。温暖な静岡県でぬくぬくと育ってきた彼に、北海道の気候の厳しさを思い知らせようという魂胆からでした。ま、それは半分冗談として、急行「利尻」の寝台車に揺られて到着した稚内は、マジで寒かった!風がび…

夕陽ギラリ

期待していたわけではありませんでしたが、そーゆーことになったので、内原には日暮れまでおりました。 交直流電車の403系は、直流電車の113系・115系に比べると地味な印象は拭えません。でも、このマイナー気味な電車、実は北海道とは全く無縁とは言えない…

内原へ行った

内原駅は常磐線の駅で、どうしてそこに行ったのか、なんてことはもうすっかり忘れました。ただ、401系・403系・415系の車体が、交直流色から白ベースに青帯塗色への塗り替えが進行中だったので、その混合編成を撮ろうとしたことだけは確かなようです。 上野…

金山湖付近で

10月も半ばを過ぎた頃、「狩勝ノロッコ号」が運転されるというので、金山湖が見える東鹿越に行きました。残念ながら紅葉のピークは過ぎておりました。それでも、金山湖の青い湖面を渡る列車の姿には心を癒される思いでした。 9:11 金山←東鹿越 2428D 9:53 …

青ガマと789系

青ガマというのは、JR北海道の★ガマのことではなく、JR貨物のA更新車のことです。北海道では3両が青く塗装されましたが、評判が悪かったのか、わずか3両で打ち切られ、その後は国鉄色を逆転したような塗色になりました。 で、その青ガマが、「スーパー白鳥」…

SLクラブツーリズム号

団体列車らしい。返しは回送列車で、日没後の運転となる。程度の認識がない状態で、結局は「SLニセコ号」となんも変わらん撮影をしてました。 小樽築港←朝里 9222列車 この場所でSL列車を撮影するのは初めて。海沿いなのに、海が入らないという忸怩たる思い…

今から見れば夢の如し

以前はちょくちょく札幌駅で撮影していました。中でも、夜行列車の風情に魅かれて、夜の撮影が多かったでしょうか。 「まりも」と「SWA」 役者としては785系よりも781系の方が国鉄形同士になってよろしいのでしょうけど、これはこれでいいかと。 その781系が…

控え車

「ヒ」なる形式の貨車、控え車は、かつて青函連絡船が行き交っていた頃の函館駅で見ることができました。控え車って何さ?なんて質問はしないで下さいね。その控え車もいつしか見なくなりましたが、ある時、函館で見かけまして「まだあったんだ」と思って形…

夜の長万部駅

函館に向かう途中、ちょうど下り「はまなす」が到着する頃だったので、駅近くの跨線橋でビデオを回しました。 3:07 はまなす 寝台車が1両増結されての8両編成でした。 3:12 3050列車 上り貨物が通過してゆきました。 3:15 3055列車 運転停車してから発…

早朝の泉沢駅

その日も雨でした。雨男、面目躍如。嬉しかないけど。 未明に知内で寝台特急を撮影してから江差線に入ったものの、雨は止む気配もなく、しかし朝方は貨物列車が沢山やってくるので撮影はしたい。ということで、雨を凌げる泉沢駅にやってきました。跨線橋があ…

厚別駅で

「旭山動物園号」が厚別駅で「スーパー宗谷1号」に抜かれると知り、厚別駅でカメラを構えました。 8:24 141M、140M 731系、721系、711系が画面に収まりましたよ。 8:35 9021D 「旭山動物園号」が運転停車です。ここで「スーパー宗谷1号」に追い抜かれます…

室蘭方面へ

白老で撮影したあとは、室蘭本線の末端区間で785系の普通列車を撮ろうという事になりました。途中、ヒムソ(JR貨物の東室蘭駅)に立ち寄ると、甲種輸送されたキハ48+キハ141系の姿がありました。 機関車が編成の転線を終えて、単独で東室蘭駅の方に移動して…

未明の白老

白老駅付近ではあまり撮影したことがありません。車を止めてのんびりできる場所が見つけられなかったのと、知人が夜中に駅のホームで撮影していて、心霊現象に遭遇したこともあったというし。 しかし、ふとしたことから、車を止めてのんびり撮影できる場所が…

札沼線のキハ201

731系電車と協調運転が可能な気動車キハ201形式。最高速度は130km/h。北海道のローカル線にはオーバースペックな車両ですが、本来は山線~札幌近郊の輸送改善に投入されたものです。しかし、さほど期待したほどの効果はなかったのか、或いはキハ201が増備す…

夜の撮影

ビデオ撮影では、暗い場所でも被写体が動いてそれなりに写ってくれる点が写真よりもアドバンテージがあるように思います。表現力の違いということにもなるでしょうか。ビデオではバルブ撮影による表現ができませんしね。 上厚内駅 スーパーおおぞら7号、スー…

本輪西で

陣屋町でチップ貨物を撮った後、本輪西駅に立ち寄りました。タンク貨物でも撮るべい。 この頃はまだ窓口で切符を売っていたかもしれません。 単5372列車 係員から無線機を受け取った後に、油槽所の方へと向かいます。 油の満載タンクを率いて、駅に戻ってき…

昔は良かった・・・の昔って、いつ?

いつの時代でも「昔は良かった」とため息をつく鉄道ファンの何と多い事でしょう。私も勿論その中の一人ですが、私が思う至近な「良かった昔」というのは、国鉄特急色に復元されたキハ183系が走り回っていた頃でしょうか。 国鉄色キハ183系が快速「ミッドナイ…

キハ48

北海道のキハ48は、便所付きの300番代が4両、便所無しの1300番代が3両製造されたに過ぎませんでした。キハ40を片運転台とした車両なので、2両編成以上を組む列車でしか運用できない制限があり、単行運転で事足りる閑散路線では使えませんでした。準急用のキ…