2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧
昭和50年に入ると、蒸機天国と言われた道内の路線からも次々と蒸機が消えてゆきました。標津線、釧網本線、石北本線、広尾線、士幌線、宗谷本線、名寄本線、瀬棚線・・・。そして9月時点で残された線区は室蘭本線の室蘭~岩見沢と夕張線、そして根室本線の滝…
徹夜明けで朦朧としてくるとダイヤを確認するのも面倒になってきます。で、こんなわけの分からない写真を撮ったりして。 三川・東追分~追分 奥は夕張線の下り貨物列車、手前は室蘭本線の上り貨物列車。多分、場所を探すこともなくぼけ~っとしているうちに…
今でも録音機を使って駅や車内のアナウンス、また乗車してエンジン音やモーター音を生録するファンはいると思いますが、それは蒸機の時代もそこそこ盛んでした。蒸気機関車のレコードが各社から発売され、私も親にねだって買ってもらったことがあります。ヘ…
古い写真の中には、今とは景色がすっかり変わったものがあります。当たり前っちゃあ当たり前ですが。 滝ノ上←川端 蒸機なき後、二十年ほどしてこの場所にやってきた時、その変わり様にいささか驚きました。道路橋も鉄道橋も架け替えられており、心なしか場所…
まずはこちらの写真。 うぎゃあ。何じゃ、この色は!とびっくらこいたのはコダックのカラーネガ。全部ではないけれども、こういう変な色のネガが何本かあります。 通常のカラーネガはオレンジっぽい色をしていますが、これは紫色をしています。紫色なら緑で…
由仁駅に戻る前に、ちょちょっともう少しだけ撮影していきました。 古山→由仁 DD51 603 蒸機を撮影に来たのですが、DD51もちゃんと撮影してゆきます。フィルムが余っていたし。 古山←由仁駅 また上り列車がやってきました。今では信じられないくらいに貨物列…
人とは違う写真が撮りたい、などと殊勝なことを考えても空回りするばかりでした。レンズの選択肢がないというのはかなりハンディが大きいです。結局、何コレ?みたいな写真ばかりが記録されるのでありました。 沼ノ端駅 う~ん、何かちがう。でもどうしたら…
宗谷本線の「SLさよなら列車」を8mmフィルムで撮影したものの、それしか撮影していなかったので、まだフィルムは残っていました。8mmカメラを返却しなくてはいけないので、その翌週にフィルム消化のため、岩見沢に行ってきました。でもここではついでに撮影…
昭和50(1975)年5月5日。旭川~名寄間に「SLさよなら列車」が走りました。牽引機は9600の重連です。 旭川駅。 札幌から急行で旭川に到着すると、すぐに宗谷本線の列車に乗り換えます。その合間に1番線を見るとすでに、さよなら列車がホームに入っており、牽…
春うらら、穏やかな陽射しの下、雪解け間もない下草も短くすっきりこんの沿線で、誰に邪魔されるでもなくのんびりと撮影しておりました。 煙が薄いとかそんなことなどどうでもよくて、今この至福の時にどっぷりと浸りながらシャッターを切りました。今時の人…
士幌線の9600をどこで撮ろうかと考えたところで、広尾線の9600も撮りたいので奥までは入れません。で、国土地理院の5万の地図を睨むと木野駅の近くにある鈴蘭公園から十勝川の鉄橋が見えそう。 見えた。 木野←帯広 除雪されていない公園の中で雪を掻き分けて…
父は国鉄の車掌をやってましたから、休日は不規則であり、年越しは車中ということも珍しくありませんでした。昭和49(1974)年の大晦日の晩も、父は何かの列車に乗務しており留守でしたので、家族の年越しは前の晩に済ませておりました。 そこで大晦日は暇な…
前日の疲れを感じることなく、少々名残惜しい気もしつつ、岩見沢で「狩勝3号」を下車し、室蘭本線の一番列車222列車に乗り換えて栗丘へ向かいました。狙うは室蘭からの221列車です。これはD51重連牽引の貴重な客車列車なのです。 栗山→栗丘 D51 465+D51 328 …
高校2年生の3学期。高校入試で教室を使うために、その日は休校となることをいいことに、遠出を決意しました。狙いは標津線のC11。移動に使った列車は夜行の急行「狩勝4号」。いい写真が撮れるようにと願掛けしてB寝台を確保。 「からまつ」ではなくて「狩勝…
線路の高架化によって、町の様子はエグイほど変わってしまいます。札幌もそうですが、帯広もなかなかのもので。 士幌線と広尾線の蒸機をまとめて撮影しようと、帯広に行きました。 当時の帯広駅で東側になります。国道236号線の陸橋から撮影しました。現在の…
室蘭本線の苫小牧~東室蘭間は平坦区間のイメージが強いですが、登別駅の札幌方、室蘭方ともにトンネルが存在します。どちらも電化の際に線路が切り替えられ掘りなおされています。 蒸気機関車の撮影に行った時もそのトンネルが気になっていたようで、その付…
鷲別機関区といえば、一昨年、DLが五稜郭機関区に集結されて廃止となりましたが、国鉄時代より貨物用機関車、入換用機関車のねぐらとして多くの機関車が集っていました。ただ、その用途から形式数は少なく、ぱっとしない印象があったのですが、蒸機現役時代…
国鉄で、最後に営業用の蒸気機関車が走ったのは夕張線でした。今の石勝線です。 石勝線になる前、新夕張駅は紅葉山駅といいました。いい名前ですねえ。その次の駅が楓駅でしたから、紅葉に楓、秋の沿線の風情が目に浮かびます。 紅葉山駅の次の駅は、楓駅と…
おととい・昨日と、ようやく札幌も夏っぽい気温になってきましたので、ここで涼しい写真を載せて暑さを凌ぎたいと思います。と言っても、たった27℃とかですけども。 まあ、涼しいというよりも寒いといった方が適当でしょうか。 当時は寒さでよりも感激でブル…
機関区といえば機関車の基地であり、鉄道ファンには聖地ともいうべき場所でしょう。国鉄時代には、ぽっと事務所に行けばさっと記帳してガバッとヘルメットを被ればあとはご自由に、といった感じで撮影させてもらえましたっけねえ。どこからか忍び込んで撮影…
私の高校時代の修学旅行は京都、奈良でした。札幌から東京までは在来線と青函連絡船を乗り継ぎ、東京からは新幹線で京都へ。メインであるお寺回りなどは何にも覚えちゃいませんが、鉄関係の方だけは写真を頼りに多少は思い出せます。 東海道新幹線には初乗車…
民生用のVHSや8ミリビデオのカメラは、安いCCDが1枚ぽっきりということもあって、なかなか色が出ませんでした。特に蒸気機関車の場合、黒が全く出ず、とてもガッカリしたものです。 同様に、蒸気機関車の黒色はカラーネガでもなかなか苦手なようです。 黒が…
数年間だけでしたが清水市に住み、特に力を注いだわけではありませんが、清水港線の撮影は回数を重ね、いつしか終焉の時を迎えてしまいました。道路に沿った平坦地を走り、沿線にはこれといった絶景ポイントも見つけられず、それでもDD13が牽引する客車列車…
今時のデジカメはイメージセンサーが呆れるほど感度が高く、かつて、露出が取れずに悩みまくったフィルムカメラ時代を懐かしく、そして苦々しく思い出してしまいます。 当時はエクタクロームの妙に青っぽい色合いが嫌いで、コダクローム64(KR)を標準に使っ…
宝くじや年賀はがきのクジで、あるいは競馬とか競艇、アパートの抽選とかでも、1番違いに泣いた方は多いことでしょう。鉄道車両の車番でも、1番違いでガックリすることは珍しくありません。 D51 24を初めて見たのは苗穂機関区で、この頃はまだ知識に乏しかっ…
早起きは得意な方ではありませんでしたが、蒸機の撮影ともなれば話は別、ということは全くありませんでしたので、その日は意を決して布団をドンガバチョ、眠い目をこすったかどうか定かではありませんが、長靴を履いて出かけました。家から歩いてわずか30分…
友人はC55が一番好きだという。水かきのついたスポーク動輪が恰好いいのだそうだ。当時、北海道でC55が走っていたのは宗谷本線だけで、旭川~稚内の全線を走破していた。 ということで実際にC55に会いたくなったので、旭川発の321列車と、名寄で交換する稚内…