ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

38633

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年3月17日 人吉機関区

番号板、向かって右側にある縦長の部材は何なのでしょう。

除煙板は前端上部が斜めにカットされており、古風なハチロクにはちょっと似合わない気がします。前端下半分には補強のリブまであります。

シンダ受けは煙室の首回りまで襟のように回り込んでいます。近代形式車のようにエプロンにはしないんですね。サイドステップは梯子タイプ。

空気圧縮機の消音器は大体煙突の後方に据えられていますが、この機関車はちょっと横にずれていますね。

ランボードは少数派であるオリジナル1段のまま。元空気ダメをランボード上に設置しているわけですが、こちらの方が断然改造し易いと思うのですが、どうして2段ものが主流になったのでしょうね。元空気ダメも外に出っ張らなくて済むし。でも、「蒸気機関車の角度」(機芸出版社)の写真(P.264)を見ると、公式側は2段ランボードになっています。何でかな~?因みに過去記事で取り上げた38628は公式側も1段です。

キャブ側面の裾に点検口を設けるのは九州機の特徴。

豪雨被害に遭い、完全水没した経歴がありますが、浸水しただけで廃車・解体された電子機器の塊である新幹線E7系・W7系とは異なり、38633は完全復旧しています。クラシックテクノロジー、侮るべからず。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/38633

38622

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年6月25日 徳島気動車小松島支区

C58 295号機の記事で使用した画像ですが、今回は38622の画像としてのアップです。

正面の番号板は形式入りですが書体がゴシックなので、いささか風格が見劣りします。そしてボイラーが細めなせいか、番号板が大きく見えます。LP42はバランスが取れた大きさです。サイドステップは梯子タイプ。大勢を占めるL型のものとどちらが使い易いのでしょうね。

この当時、四国の国鉄路線は全て非電化なので「架線注意」札はありません。しかし無煙化はどこの地域よりも進んでおり、昭和44(1969)年3月31日現在で、四国に在籍する蒸機は宇和島区のC12が1輌と、ここ小松島支区に在籍する8620が2輌、C58が11輌、そしてC11が3輌の16輌が全てで、これらの蒸機も翌45(1970)年3月のダイヤ改正で全廃となり、全国に先駆けて無煙化を達成し、気動車王国を標榜することになります。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/38622

28698

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年 梅小路機関区

この当時は入換や貨物列車の小運転に使われていたようですが、それにしては妙に小綺麗な外観です。ランボードに白を差しているし。何かイベントでもあったのでしょうか。

正面だけのようですが形式入り番号板がこれまた艶っぽい。

煙突に蓋をしている?ように見えます。火は入っていない様なので、これは雨除けでしょうか。

2枚目の画像で、煙室横に貼られた丸いプレートは何なのでしょう。

キャブは側窓が改造されていますが、外板はベコベコがなく新製車のような趣があります。キャブ裾も切り上げられずそのままです。

炭水車も磨かれたように綺麗です。そして背面の梯子は右側にあります。もしかしてハチロクってこれが標準なのでしょうか。でも「梅小路90年史」に掲載されている図面では左側に描かれているしなあ。梯子が下まで長く伸びているせいか、右側にはステップがありませんね。

それにしても、前にも後ろにも灯具掛けがあるのに、どうして使っていないのでしょうか。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/28698

28688

江別の鐵様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和45(1970)年8月21日 東能代駅

「手打きそば」が入る木造の建物と様々なタイプの貨車、良き時代の昭和の空気感が堪りません。

28688はといえば低めの除煙板と細めの上部ステー、タッパの高い回転式火の粉止め、片側だけの解放テコ、前端梁まで引き回された暖房管、梯子タイプのサイドステップ、旋回窓の他に丸窓も庇付きなど、なかなか癖のあるスタイルです。

 

昭和47(1972)年8月 弘前運転区

庫内で休む28688。この4カ月後の12月2日、深浦発5時55分発、弘前9時14着の1725列車は、広戸~追良瀬間を走行中、前日来の暴風雨と荒波によって道床がさらわれた箇所に突っ込み脱線転覆、機関車は横倒しとなって水没し機関士は殉職するという痛ましい事故が発生しました。他に機関助士と乗客1名が負傷。広戸~追良瀬間は翌年3月19日に復旧するも、蒸機運転は同月25日をもって廃止されます。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/28688

28677

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

昭和41(1966)年8月19日 岡山機関区

パイプ煙突ながら、LP42に形式入り番号板、キャブ裾は切り上げず、炭水車は増炭枠無しの古いまま。石炭の積載量は3.25トンのままでしょうか。入換機だったのでしょうか、前端梁にはゼブラマークが。古い形式でよく見かける、煙突横下にぶら下がるドーナツ板。これは一体何なのでしょう。麦わら帽子のツバでないことだけは確か。元空気ダメの円筒管がいささか外側へはみ出しているようです。車両限界には引っかかっていないのでしょうけど。キャブ前窓の庇は申し訳程度の大きさですが、これで日除けの効果はあったのでしょうか。ま、もともとは付いていない物でしたが。「架線注意」札はありませんね。

 

昭和42(1967)年5月31日 東和歌山駅(現 和歌山駅

和歌山機関区に転属して間もなくの頃になります。ランボードの白線は和歌山区に来てからのものでしょうか。「架線注意」札はありませんが架線の下です。煙突が幾分短いように見えるのですが気のせいでしょうか。こちら側のキャブ裾もオリジナルの長さを保っています。炭水車の背が低いので、前照灯が見えますね。公式側に比べると缶胴側面がスッキリしており、スマートさが浮き立っています。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/28677

28675

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

昭和45(1970)年5月28日 米子駅

ハチロクは除煙板無しの姿が自然で美しく見えます。LP42もお似合いです。回転式火の粉止めには目をつぶりましょう。空気制動以前はもっとスマートだったんでしょうね。正面番号板は形式入りです。煙室戸周りの手摺が特徴的です。かつて東灘信号場から神戸港へと結ぶ臨港線で貨物を牽いていた頃、前照灯と煙突の間には鐘を装備しておりました。貨物牽引や入換の際、穏やかに鐘を鳴らしながら港町の中を走っていたそうです。義經號や辨慶號もまた鐘を鳴らしながら明治の小樽の街中を走っていたことを想像してしまいます。排障器支持材の曲線がなまめかしいです。

キャブ前窓の庇は何だかズッコケているように見えますが、これでいいのでしょうね。

炭水車の増炭枠は木製のように見えます。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/28675

28667

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和47(1972)年5月23日 弘前運転区

後ろ姿だけで失礼します。

入換用として左側ステップには手摺が付いています。最下段の踏段は大きめ。その関係で梯子は右側にあるのでしょうかね。更に手摺との干渉を避けてか、解放テコの左側が短くなっています。番号板下の炭水車形式板にはやはり「450立方呎」と記されているようです。同じ弘前区所属の18677とはディテールが異なるのが興味深いです。18677に比べ炭水車のリベットは少ないです。

正面の画像はありませんが、ネコ・パブリッシング刊「ガイドブック13 最盛期の国鉄車輛 蒸気機関車1」の表紙写真に8630とのツーショットで写っています。それによれば前照灯はLP405、公式側の除煙板にはD51のように手摺が2本付いています。

生涯を東北地方で過ごし、最後の活躍の場は五能線でした。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/8620/28667

 

数年前から数独にハマり、毎日ネットで楽しんでいます。それまで「ふつう」レベルでも難儀する程、全然得意ではありませんでした。ところが不思議なことに、一週間ほど前から「むずかしい」レベルでも割と悩まずに解けるようになりました。縦横の数字の並びが見えるようになったのでしょうかね。

月初めにヤフオクで入手した中古のSONY製XDCAM「PXW-FS7」にはファインダーにアイピースが付いていなかったため、日中の撮影ではファインダ(液晶モニタ)が反射してよく見えません。そればかりか近視と老眼のダブルパンチで、ファインダそのものを見るのが一苦労。いちいち眼鏡を外さないと、ファインダが良く見えません。そこでアイピースを何とか入手したいと思っていたところ、メリカルで、付属品が諸々付いて(バッテリー複数個、充電器、XQDカード、カードリーダー、赤外線リモコン)、アイピース付きのファインダも備わった同形式のカメラが出品されていたので、1日考えた末に購入してしまいました。なんせ、付属品だけで出品価格になる大盤振る舞い品で、付属品を買ったら100万円のカメラが付いてきた、そんな商品でした。FS7を2台で運用することはないと思いますが(重いし嵩張るしXQDカードの持ち合わせが少ないので)これで万が一1台が壊れたり故障したりしても、安心して撮影に出かけることができます。

100-400mmのレンズを装着しての試し撮り。ズームはカメラからサーボで動かすことはできず、またズームリングはビデオ撮影用に設計されていないので、動きが非常に硬く、手動でズーミングしながらの撮影は困難です。ズームインするとレンズが外に飛び出してくるのもちょっと残念。もともとは写真用のレンズだからでしょうか。このカメラ用のズームレンズは数本しかないようで、しかもハンドヘルドや肩乗せカメラ用のレンズのように、10倍を超える高倍率のズームレンズがないのが残念です。ただしオートフォーカスは秀逸で、雲一つない背景の中を飛ぶ白鳥の姿を合焦し続けてくれました。

眼鏡を外してファインダーに顔を近づけての撮影でした。

https://www.youtube.com/watch?v=2LGliezARxU

強風の中、風に煽られながら撮影しました。Log撮影なので、グレーディング処理後との比較動画です。