ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

士幌線部分休止

新聞記事が目に飛び込んできました。士幌線の糠平~十勝三股間が休止になると。 蒸機時代に、帯広の隣の木野駅にたった一度しか行ったことのない士幌線でしたが、その新聞記事を目にした時にはちょうど学校が冬休みに入っていたこともあってか、無性に行きた…

再び札幌駅で

芸がないというか能がないというか金がないというか。また夜の札幌駅です。 おお、石炭列車が通過してゆきました。手宮行きでしょうか。牽引機は当然DD51。 781系の試運転列車の到着です。アプリの色補正がドきつく、マゼンダ被りになっちまいました。面倒な…

781系試運転の札幌駅

試運転なんてそう見られるものではないから、この時とばかりに撮影にでかけたのだろうと思います。とはいえ、お手軽に札幌駅で、ですけれど。 他に鉄ちゃんはいなかったのでしょうか、閑散としています。夕方5時前というのに、すっかり陽が落ちて夜の雰囲気…

781系電車登場

学生時代、同級生が鉄研に入っていたので、彼からちゃっかり運転情報をもらっていました。で、札幌駅。 何だかあっちにもこっちにもガキんちょがおるど。試運転情報、ダダ漏れじゃん。もしかして新聞にでも載ったかな? ちょっとだけ駅撮りした後、走行シー…

札幌市営地下鉄南北線自衛隊前駅

タイトルが長い割には中身は短いです。だって、ほとんど記憶にないんだもん。 2000形(旧1000形含む) どうしてこの駅に来たんでしょうねえ。さっぱり思い出せません。にしても、これもかなり粒子が粗いぞ。 数年前、依頼仕事で久々にこの駅へ来て、引退間近…

雪晴れの富良野

どうりで寒いと思ったら、富良野は快晴で夜が明けました。 ゆうべは富良野駅の待合室で夜を明かし、かなり寝不足気味。ですが、目の覚めるような快晴ですから撮影には張り切っちゃいます。遠望で撮影した後はお口直しに接近戦です。 布部←富良野 下り貨物列…

石勝線開業前の根室本線

春休みというのは、宿題もな~んもなくて、自由気ままに過ごせるのが最高っすね。 で、鉄友二人と共に三人でまず赤平にやってきました。ただ、当時のメモには撮影データしか記載しておらず、何時に何ちゅう列車で移動したのかは分かりません。いえ、撮影デー…

札沼線 大学前の前

今回もまた札沼線の貨物列車です。 何を思って来たのかは、もはや思い出すことも叶いませんが、石狩当別で下車し、どこをどう歩いて来たんだかも記憶になく、気が付けば少々高い足場に立っておったようです。見回せば斜面の樹木を伐採し、何か建つような雰囲…

新琴似駅の引き込み線で撮った

札沼線の貨物列車が走るのもあとわずか。といっても、いつ廃止になるのかなんて正確な情報など持ち合わせちゃあいません。この年の春頃かしらん、ねえ。 篠路(太平)→新琴似 (6番通りの踏切) 上り貨物列車 いきなり冬の様相ですが、相も変わらずの場所で…

札沼線石狩川橋梁で貨物列車を

ローカル線の貨物列車が軒並み廃止へと向かっていた頃。DLだからなあ、などとは言ってられない気持ちが高まり、一度は撮りたかった石狩川橋梁へGO! 釜谷臼駅より石狩太美方を見ます。 石狩川橋梁の最寄りの駅といえば釜谷臼。あたりは林ばかりで、降りたら途…

札幌市電50周年

恋の町さっぽろ~の札幌市電は、210形から始まる日本離れしたヨーロピアンスタイルで人気がありました。また、路面ディーゼルカーっちゅう車両が非電化区間で活躍し、更にA800形~A830形の連接車はこども心にもかっけー!代物でありました。 歴史を紐解くと…

修学旅行 京都

以前(2016/07/11)、高校時代の修学旅行の時に撮影した写真をご紹介させていただきましたが、カラーの写真を若干追加させていただきます。何しろ、フィルムが疵だらけ、ゴミだらけでレタッチが大変、あまり枚数をアップできません。 青森駅 昭和49(1974)…

市電廃止間近

ここで少々時代を遡ります。 昭和49(1974)年4月一杯で、札幌市電の鉄北線は廃止になりました。 地下鉄延伸工事が始まるからです。札幌オリンピックに合わせて、札幌市営地下鉄 真駒内~北24条間が昭和46(1971)年12月に開通したのに合わせて、まず鉄北線 …

試験を終えて

昭和52(1977)年3月3、4両日、大学入試が無事終わり、5日には室蘭本線の御崎駅に行き、日本製鋼のS-304を撮影。更に7日には苗穂に行ってきました。受験から解放されて、悠々と撮影です。 C55 50 小樽で保存される予定の機関車。本来は30号機が保存されるハ…

受験目前

受験勉強により力を入れるため、11月一杯で新聞配達のバイトを止めました。念願の一眼レフカメラも買っちゃったし。 早起きの習慣はそのまま続け、毎朝5時から勉強を開始しました。ラジオを点けるとちょうどニッポン放送の「オールナイトニッポン」が終わっ…

ショートズーム購入

やはり望遠系ズームレンズだけでは撮影に制限が出て、なかなかキツイです。だで、標準で撮る時だけ、蒸機時代に使っていたオートカメラを持ち出して凌いでいました。 でも2台カメラを持ち歩くのは気軽にというわけにはいかず、いよいよ標準レンズが欲しくな…

札幌新道より 札沼線

札沼線の新琴似駅と桑園駅の間に、札幌新道の陸橋があります。平成28年の現在は両駅の間に新川駅と八軒駅があるので、現状では新琴似駅と新川駅の間ということになります。 その陸橋の上から札沼線の列車を撮影したのはC11が牽引する貨物列車が一回きりで、…

新琴似駅でバルブ

わさわさと時は流れ、気づけば早夏休み。 模試の点数で希望校へ入れるかどうかなんてことを先生と話し合ったりして、まあ何とかこのまま点数を維持すれば合格も無理ではないとか何とかかんとか。 気まぐれで、何となく鉄道友の会なんてものに入会してみるも…

手宮駅

小樽で用事があるので、札幌駅付近でプチ撮影してから列車で向かいました。 桑園~札幌 伊藤さんちの裏 「北斗」の回送列車が札幌運転区へ向けて走ってゆきました。 気動車の一般色、急行色、特急色が揃いました。 小樽では用事を終えた後、近くの手宮駅に立…

一眼レフ始動 小樽築港

バイト代で一眼レフを購入しました。 買う前にはどの機種にしようかと、カタログを集めては眺めてスペックを比べて色々検討するのがなかなか楽しいわけですが、Nikonは高いのでカタログを眺めるだけで候補からは除外。メーカーはCanonとミノルタが候補…

新生活

昭和51(1976)年4月18日、予備校の入学式です。バイトで朝の新聞配達を始め、蒸機も消え、いよいよ新たな生活のスタートです。 新琴似駅 通学に使う札沼線の新琴似駅は改装中です。小ぶりな駅舎ながらも、中にはKIOSKが入っています。それなりに商売になっ…

用事ついでに札幌駅で

受験を終えて、惨敗を実感。まあ、きちんと勉強してこなかったから当然の結果ではあるけれど、はっきりと不合格を自覚するなんて、どんだけ出来が悪かったんだ。 納得の結果であるから、それは大した問題ではありません。 実は受験の前日に、追分機関区で入…

気分直しの新琴似駅

年が明けて昭和51年。 気が抜けてるし正月だし、受験勉強はさっぱり手に付かぬまま自堕落に日々を過ごす始末。 こんなんじゃイカン、とばかりに、友人から借りっぱなしになっている三脚を携えて近所の新琴似駅へ。少しは気が紛れ勉強への意欲も沸くんじゃな…

昭和50年のクリスマス・イヴ

お昼に清水沢から紅葉山へ戻り、朝方撮り逃した夕張川を渡るシーンに再度挑戦します。 紅葉山(現 新夕張)→沼ノ沢 ランボードが白なので、603号機というのが一目瞭然です。 朝方の失敗というのは何ともドジなミスで、うっかりセルフタイマーをセットしてし…

12月14日

大学模試の前夜、私は室蘭機関区におりました。 模試は今後何度でも受けられるけれど、C57を写せるのは今日が最後。そんな言い訳を心の拠り所にして模試をさぼることとし、C57 135と共に夜を過ごしました。今頃室蘭駅では、さよなら列車に乗車しようとする人…

重い心で遠浅、追分

いよいよ秋も深まり、蒸機の命運もまもなく尽きようとしておりました。 のどかな小春日和の下、栗沢駅の近くで撮影した後は遠浅に移動しましたが、太陽はすっかり雲の中に隠れてしまいました。せっかくカラーネガに入れ替えたのに何たる仕打ちぞ。気持ちまで…

赤平そして再び滝川機関区

赤平駅では、未明に滝川を発車していった29657が入換をしておりました。 この後、単機で滝川へ戻ります。何とも単純な運用ですが、それでも生きていてくれるだけありがたいです。 赤平→幌岡信号場 単492 私も滝川に戻ると機関区へ直行します。 機関車にも車…

暁の滝川駅

「SLダイヤ情報」という雑誌がありました。SLが運転されている全線区の時刻表と1時間目ダイヤを全て収録してるという、まさにSLファンにとってのバイブルでありました。しかも時刻表には全駅の通過時刻と牽引機関車の形式も載せてあり、更に運用図も掲載し…

雨の中の撮影 登別・植苗

D51 603の全検出場を苗穂で見送り、いよいよ蒸機全廃へのカウントダウンを意識するようになります。 かねてから気になっていた場所が登別にありました。撮影の合間に下調べして見つけた場所ですが、もうあと何度撮影に行けるか分かりませんし、思い立ったが…

D51 603を豊平川で

その事をどうやって知ったのかはもう記憶にありませんが、昭和50(1975)年10月3日、休み時間に高校の公衆電話から苗穂工場に電話をかけました。 「今日、D51の出場があると聞いたのですが、何時頃に工場を出るのでしょうか」 そんなことを尋ねたような気が…